第十章 大剣道士 参
「御免、こちらに鍛冶屋がいると聞いてきたのだが……」
扉を開けて中を覗き込む道士。日向にいた彼の目には薄暗い小屋の中はより一層暗く感じられる。男は小さく唸ると目を凝らした。
そして、暗がりに慣れ始めた目で改めて見回した鍛冶場。その中に、リクスウと同様に呆然と男を見る青年の作業着姿があった。
タイコウは研ぎ仕事の姿勢そのままに、来訪者を見上げて固まっていた。
「あ、あの! いらっしゃいませ!」
男と目が合った途端、タイコウが思い出したように声を上げた。
「仕事の邪魔をしてしまったか? すまなかったな」
「い、いえ、構いません!」
タイコウの手元にあった砥石と包丁を見て男が詫びると、タイコウは慌ててそれらを片付け出した。だが、彼の急ぐ手元はおぼつかず、抱えた砥石も包丁も悉く手から零れ落ちていく。
タイコウは決して気の強い青年ではないが、だからと言って来客のたびにこうして慌てふためく程に肝が小さいわけではない。彼の慌てようには、それなりの理由があった。
落とした砥石を拾い上げながら、チラリと男を盗み見たタイコウ。
(先生みたいだ……)
リクスウが男を見て慄然としたのが計り知れない技量なら、タイコウが男を見て呆然としたのは遠く離れた故郷への郷愁の念。彼は、男に師匠オウシュウの面影を見ていたのである。
目の前の道士とオウシュウの顔立ちは、さほど似ているわけではない。ただ、彼の持つ雰囲気と、リクスウを退けた一喝がタイコウの中で二人を繋げさせた。そして、二人を繋げたが故に先程の一喝から師に叱られた記憶を思い出し、タイコウの胸中に得も知れぬ落ち着きの無さを生んでいた。
「ほう……これは君が手掛けたのかね?」
タイコウが幾度も取り落としている包丁を拾い上げた男は、興味深げにそれを眺めだす。
「は、はい! いいえ! あ、でも、はい!」
「どっちだよ……」
道士に続いて鍛冶場に入ってきたリクスウが、とっちらかるタイコウにツッコむ。
「えーっと、だからこの包丁を打ったのは昔この鍛冶場を営んでいたお爺さんで、でもそれを研ぎ直したのは僕で、でも研ぎ直しと言ってもまだ途中で……」
「まだ研ぎの半ばなのか……」
タイコウの話を要約した男は、改めて手にした包丁を眺めながらフムと唸る。
その唸り声は若い鍛冶屋見習いを賞賛するのか、罵倒するのか。道士の一声一声はまるでオウシュウに自分の仕事を吟味されているようだ。
タイコウに生まれた緊張の糸が、弓弦のようにギリギリと引き絞られていく。
(全く、まーったく、俺まで緊張しちまうじゃねぇか……)
包丁をまじまじと見つめる道士と、彼の反応を見守るタイコウ。男の背後から彼等を見守るリクスウも息苦しそうに唾を飲んだ。
男は二人の青年の視線など気にもとめていない様子で、しばらく包丁を眺め続けた。やがて、充分に堪能したとばかりに研ぎ中の包丁をタイコウに差し出す。
「なるほど、どうやら村の噂は的を射ていたようだ。その若さでここまでとはな。いや、なかなかどうして大したものだ」
そう言うと男は口の両端を吊り上げ、タイコウに頷いて見せた。
師匠の面影を持つ男に褒められて悪い気はしない。良い気しかしていない。
「あ、はい! その、ありがとうございます!」
道士の賞賛に、タイコウは深々と頭を下げた。
(あぁあぁ、顔赤らめちまって……)
名も得体も知れない男に褒められ顔を綻ばせるタイコウに、呆れ気味で苦笑いするリクスウ。だが、その苦い笑いも男が振り返ると同時に引きつる。
男の鋭い眼光に不意に貫かれたリクスウは、所在無さげにその場でたじろいだ。
「ひょっとすると、こちらの仲間の刀も君が打ったのかね?」
改めてタイコウへと向き直り、問いかける道士。その指先が指し示すのはリクスウの腰元。退魔の刀、雪割り。
「あ、いいえ、違います!」
タイコウはすぐさま首と両手を振って否定する。
「それは僕の師匠が打った物で、僕なんかじゃとてもとても……」
青年の答えに、道士は雪割りへ視線を移すと改めて頷いた。
「君の師匠はなかなかに凄腕と見える。いや、ホウ大国でも指折りの鍛冶屋だな」
男の言葉に若者二人の反応は別れた。タイコウは満面の笑みを浮かべ、リクスウは不思議そうに首を傾げている。
「オッサン。鞘から抜きもせずに、よくもまあそんな事が……」
「やっぱり、凄いってわかりますか?」
そのどちらの意見に対する答えか、男は小さく肩を揺らし笑った。
「儂も道士の端くれだ。退魔の力の有る無しくらいの見立てはできるさ。ましてや、これだけ強力なものなら尚更と言うものだ。もし大国記のおりに、これほどの腕を持つ刀鍛冶がホウ国の敵に回っていたら、ホウ大国の勝利は危うかったやもしれぬな」
大国記。群雄割拠の時代、小国だったホウ国が次々に領土を広げて大国となるまでを記した歴史書である。初代ホウ王が軍師コウタツやホウセン将軍といった有名どころと共に、小さなホウ国を一大国家へと伸し上げる様を描いたのが大国演技。わかりやすく面白く派手に脚色された大国演技とは違い、大国記は大国成立までを記した正史であり、その戦国の時代そのものを指す事もある。
その大国記の時代にあったならばホウ国の勝利を覆すほどの武具。そう賞賛されれば、刀鍛冶にとって最上級の褒め言葉とも言える。
もちろんタイコウも師匠をそれほどに褒められる事は嬉しい。だが、タイコウが湛えていた満面の笑みは、僅かながらに曇った。
(先生はこの言葉を聞いて喜ぶのだろうか……)
男の褒め言葉に、なぜか頭に浮かんだのは師匠オウシュウの不満と不愉快を混ぜ合わせた顔だった。
オウシュウが打つ物は鋏、包丁、鎌といった生活雑貨ばかり。タイコウの知る限り、師匠が武器となる刀を打ったのはこの雪割りが初めてだ。
「その……ありがとう、ございます」
師はいかなる思いでこの雪割りを打ったのか。その疑問がタイコウの謝辞にかげりを生んだ。そして、それを見透かしたように道士はまた笑う。
「いや、すまない。君にも君の師匠にも、この賛辞は向かないな。今のは忘れてくれ。立身出世や名を上げる事を目論む者に、このような澄んだ刃は打てぬさ」
男の謝罪に続いた言葉。それこそが師への賛辞。
「ありがとうございます。師匠もきっと喜び……」
今度こそ満面の笑みを湛えながら、心からの礼を言うタイコウ。だが、またもや謝辞は詰まり、青年の笑顔が凍りついた。
無理も無い。今の今まで和気藹々と話していた相手が、背中に携えた大刀の柄に手をかけたのだから。
男は自分の身の丈ほどもある大刀を軽々と鞘から抜き放った。
「君も君の師匠も気に入った。ぜひとも儂の刀の手入れを頼みたい」
言いながら男は大刀をタイコウに差し出した。
抜かれた巨大な白刃を目の当たりにしてタイコウもリクスウも目を丸くする。
鞘からして大きいのだから、中に納まる刀もそれ相応。わかっていてもその大きさは驚嘆に値する。
幅が広く肉厚な片刃の大刀。僅かに沿った刀の筋に合わせ、凪いだ泉のように真っ直ぐに伸びる刃波。重厚にして繊細で美しい。鍛冶を生業とするタイコウはもちろん、リクスウも鳥肌が立つ思いだ。
「こいつは……」
唖然とするリクスウの口から洩れた言葉。そこで詰まった言葉の続きを見越したかのように、タイコウが口を開いた。
「虎王牙……多くの妖魔を打ち倒してきた、名実共に破邪の刃だよ」
道士や妖魔といった事には疎いタイコウではあるが、刃物の事となれば話は変わる。
男から大刀虎王牙を受け取り、タイコウは唾を飲んだ。
虎王牙。とある道士が携えている大刀。その道士は大刀を小枝のように振り回し、時に巨躯の妖魔を真っ二つにし、時に硬い甲羅に覆われた化け物を突き砕いたと言われる。
その切れ味が道士の技量によるものか、大刀の切れ味によるものかは定かではない。ただ、生きる伝説と化した道士の活躍を語る上で、この虎王牙は欠かす事が出来ない。言わば、その道士の代名詞だ。
「虎王って、それ、おまえ……」
どうやらリクスウもその名は聞いたことがあるようで、驚きを隠せない顔で大刀とタイコウを見比べ、やがて大刀の持ち主である道士へと顔を向けた。
「オッサン……あんた、まさか!」
若者二人の視線を浴び、男は彼等が思い浮かべた名が正しいとばかりに頷いてみせる。
「お察しのとおりだな。儂の名はデイコウ。道士の末席を汚しておるよ」
道士デイコウ。末席どころの話ではない。国内屈指の実力者であり、愛刀虎王牙と共に大国三大道士の一角を担っている男である。
名乗りを上げたデイコウ。突然の大物を前にタイコウとリクスウは驚き、ただただ唖然とするばかりだった。
~次回予告、オウメイ語り~
ゼンギョウの畑仕事から帰った私を迎えたのは、軒先で拳を交えるタイコウとリクスウ。
私が留守の間にとんでもない来客があったらしく、リクスウがすぐにでも体を動かしたかったそうです。
そして翌日。そんなリクスウにとっては朗報で、村の皆には招かれざる報せが村中に広まりました。
何者かによって村の畑が荒らされたのです。
ようやく自分の出番がきたのだと、リクスウは勇んで夜回りを始めるのですが……。
強さを望むは人の性。日々是精進、また精進。
畑荒らしを懲らしめようと、日夜鍛えた腕が鳴る。
人か獣か、相手は誰ぞ。
次回『第十一章 泥棒退治』に乞うご期待♪