第十章 大剣道士 壱
ホウ大国の中央部よりやや西に位置する村ゼンギョウ。これといって目立った名産品があるわけでもなければ、交通の要所というわけでもない。極々普通の村である。
村の者達は皆温厚にして勤勉。村民の誰しもが、貧しいながらも心豊かに生活を営んでいる。
そんな絵に描いたような農村の昼下がり。穏やかな陽気の下、村人達は春を迎えた田畑を耕していた。
そして、ここにも村人と並んで鍬を振るう者がいる。
「ノンベの父ちゃん、日銭を稼ぎ♪ 稼ぎに稼いで酒に変え~、ホイ♪」
オウメイはおどけた調子で歌いながら、拍子に合わせて鍬を振り下ろす。周囲で同様に畑を耕していた村人達が陽気に笑い、彼女の歌に合いの手を入れる。
「母ちゃんのへそくり、壷の中~♪ 父ちゃん知らずに売っ払い、アラヨット♪」
(あー、こりゃこりゃ♪)
樂葉もこっそり合いの手を入れる。龍玉を伝って響く彼女の声に、オウメイは笑みを浮かべた。
葉鱗后樂葉。山村メンサイの池の底に生み出された異世界への門を、長きに渡り封じてきた龍。
村では伝説として祀られているその龍と出会うまで、オウメイは崇拝と共に少なからず恐れてもいた。伝承にあるとおり村に大量の妖魔が湧き出たのなら。それらを退け、門を封じるほどの龍というなら。樂葉はいったいどれほど強暴なのだろうかと。
そして、出会ってみて自身の想像力の乏しさに恥じ、心中で詫びた。
(楽しそうね、樂葉)
(言うたやろ、陽気はウチの好物やて)
彼女は確かに強いのだろう。しかし、その力を奢り溺れるような事はなく、力を御するだけの知恵もある。そして、その知恵を扱う気性は明朗で、春の日差しのように温かい。
ただ、知識と言う点では長らく池の底に住んでいたせいか偏りが著しいところもある。例えるなら、古典万巻をそらんじる世間知らずのお嬢様。
(ウチが知らん間に、こんな間の抜けた愉快な歌が出来てるとはなぁ)
(アタシが生まれた時には歌われていたんだけどなぁ。まあ、何百年も池の中にいたんだもの。樂葉が知らないのもしょうがないか)
(ホホホ、そうやろうな。長い旅路や。これから先も、いろいろと見た事のない物珍しいもんに出会えそうやね。楽しみやわー)
嬉しそうに言う盟友の龍に、オウメイは苦笑いを返す。
(別に物見遊山に行くわけじゃないのだけど……)
そうなのである。今でこそ畑を耕しているが、オウメイには……いや、オウメイ達には向かうべき所がある。
首都コウランに現れた妖魔達。その妖魔を討つ者、宝具といった品々をホウ大国国王が集めている。
オウメイは盟友となった龍、樂葉と共に妖魔と戦うため。仲間であるリクスウもまた、祖先の霊トウコウの力を用いて妖魔を退治するため。そして、もう一人の仲間タイコウは師匠オウシュウが作り上げた破邪の刀、雪割りを献上するため。三人はコウランへ向かい旅を続けている。
旅の目的からすれば、悠長に畑を耕している場合ではないのだが……。
(長い旅にはそれ相応に路銀もいる、か。そういう世知辛いところは、今も昔も変わらへんもんやわなぁ……)
しみじみと呟く樂葉。途端に鍬を握るオウメイの手の力が抜けた。
「もう、そういうこと言わないでよ。やりきれなくなるわ」
「ん? どうしたね、嬢ちゃん」
思わず口から零れ落ちたオウメイの抗議に反応したのは、樂葉ではなく隣で鍬を振るう村の老人。
「え? あ、いや、なんでもないですよ。アハハハ」
オウメイは乾いた笑いで誤魔化しつつ、再び鍬を手に土を耕し始めた。
オウメイの畑仕事。早い話が旅費稼ぎである。ただ、悲しいかな貧しい農村であるゼンギョウで路銀を稼ぐというのは限界がある。どちらかと言えばこの地に滞在する間、食料を分けてもらう代償という色合いが強い。
「それにしても、良く働いてくれてありがたいやねぇ」
「そりゃあ、慣れてますから」
感心する老人に、オウメイは朗らかに笑い返す。
オウメイの故郷ワンシュウもこのゼンギョウと変わらぬ田舎の村。いくら村人から尊ばれる巫女の家系とは言っても、生活に関しては別の話。彼女の家族も田畑を扱う立派な人手として勘定されている。土いじりは幼少から手馴れたものだ。
「いつまでも手伝って欲しいもんだねぇ」
「そうしたいところですけど、そうもいかないんですよ」
「あー、仲間と都のコウランへ行くんだったかね。なんでも妖魔が出てくるって? こんな田舎の村じゃあ、何か出るっつっても畑を荒らす獣ぐらいのもんでね。そんなもんだから、妖魔と言われてもねぇ」
オウメイ達の事情は村の者も知っている。無論、ホウ大国中に出された国王の御触れについてもだ。だが、それでも信じられないと唸る老人。
危機感が薄いと言ってしまえばそれまでかもしれないが、老人の感想もわからなくはない。オウメイ自身も、妖魔と遭遇するまでは妖魔の噂を他人事と思って聞いていた。
「でも、危ないんでないか? 若い身空で命を粗末にしちゃあいけないねぇ」
「そんな。アタシも死にに行くつもりじゃないですよ。それに、アタシには頼れる仲間もいますから」
老人の心配にオウメイは笑顔を返す。
一人では危険だが、オウメイにはタイコウやリクスウ、そして樂葉という信頼できる仲間がいる。もちろん、仲間がいても危険ではある。それでも、オウメイには不思議と自信があった。
この仲間達となら生きて事を成し遂げられるという自信。根拠も何も無い、ただの勘にすぎないのだが。
「……どうだね、嬢ちゃん。都に行くのは止めて、うちの孫の嫁に来んかね」
調子良く振られていたオウメイの鍬が、老人の一言で彼女の手からすっぽ抜けた。
「な、な、何を急に……!」
(オッホッホ! これはメデタイ事やないか)
突然の提案に狼狽するオウメイに、すかさず茶化す樂葉。
(か、からかわないでよ、樂葉! ダメよ。私は……)
(心に決めた人がおる、と。ホホホ、それはそれでオメデタイ)
なおも茶化す樂葉を無視し、オウメイは赤らめた顔を隠すように放り投げた鍬を取りに走る。
「コレ、爺ちゃん。馬鹿な事言うでねぇよ。爺ちゃんの孫ったら、まだ三つでないか」
話を聞いていた村人が苦笑いを浮かべながら老人を諌める。
「馬鹿とはなんね。愛があればそんなもん。儂が婆様と知り合った時なんぞ……」
そっと目を閉じた老人が、うっとりとした表情で語り出す。その瞼の裏には老人と老婆が夫婦になる前、出会ったばかりの若い男女の姿が映っているのだろう。
「あーあー、また始まったよ。爺ちゃんの惚気が」
「爺ちゃんの馴れ初めならガキの頃から聞いてんだ。大国演技よりも詳しく知ってらぁ」
「オシドリ夫婦もここまで年季が入りゃ値打ちもんだ、ワハハハ」
老人の様子に、周囲の村人達はまたかといった表情で口々に言う。それでも老人の思い出話は止まらず、在りし日の自分と妻の物語を語る。
鍬を拾ったものの、自分の持ち場では老人を始めとして村人達が会話に夢中になっている。どうやって畑仕事へ戻ったものか思案するオウメイに、近くにいた夫人が謝罪した。
「悪いねぇ、お嬢ちゃん」
「え?」
「お嬢ちゃんみたいな若い娘さんが仕事を手伝ってくれるおかげで、男連中が調子付いちゃってさ」
畑仕事を続ける村の男連中を見やり呆れ顔で言う夫人に、オウメイは恐縮する。
「すみません。ひょっとして、アタシかえってお邪魔してますか?」
村人達からの好奇の視線は時折感じていた。村人達の仕事を手伝うつもりで、彼等の作業の手を疎かにしてしまっては本末転倒だ。
「いやいや、この時期の人手は大助かりだよ。悪いのは男衆のほうさ。気にせず働いておくれ。ああ、お爺ちゃんの惚気話は話半分に聞き流してくれていいから」
(いやいや、ぜひ聞きたいもんやで。あの御年にいたるまで如何に甘くて酸っぱい恋路を歩んだのか……。かー、たまらん! 面白そうやわぁ)
(樂葉……お願いだから仕事の邪魔はしないでね)
老人の慕情に興味津々の樂葉。そんな彼女に内心言い聞かせながら、オウメイは鍬を担いだ。改めて仕事に戻ろうとするオウメイの背中に、再び夫人が声をかける。
「そうそう、あの鍛冶屋のお兄ちゃんに礼を言っておいておくれ。おかげさまで料理がいつもより一段と美味しくなったってさ」
振り返ったオウメイに、夫人はにこやかに礼を言う。
鍛冶屋のお兄ちゃんといえば、オウメイの仲間のタイコウのこと。オウメイは夫人の礼の意味にすぐに思い当たると、夫人に会釈を返した。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると、タイコウも喜びます」
タイコウがこの話を聞いたら、きっと浮かべるであろう嬉しそうな笑顔で。