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宝剣道中  作者: 紫神川悠
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第一章 錫杖老師 壱

 故郷レイホウから旅立って三日。首都のコウランはまだまだ遠い。


 タイコウは雨の雑木林の中で迷っていた。


「参ったな。日が暮れるまでには、どこか宿を見つけておきたかったのに……」


 夕方になって勢いよく降り出した雨。それまで林道を歩いていたタイコウ。林の中の方が雨をしのげるかもしれないと、道を外れて鬱蒼と生い茂る木々の中に飛び込んだのが災いした。


 小粒の雨に視界を遮られる事は無くなったが、木々の集めた雨粒が大粒になって振ってくるため、衣服の濡れ方は大差無い。おまけに見渡す限り続く雑木林に、自分が向いている方位も分からなくなる始末。


 今日一日で次の村に辿り着く予定だったのだが、道の長さを見誤ったらしく未だに民家らしき影も無い。


 一年の大半をレイホウで過ごしているタイコウは、お世辞にも旅慣れているとは言えなかった。


(このままだと野宿か……)


 初めての野宿というのも興味が無いわけでは無かったが、雨の中、それも野犬、狼、熊に虎、果てには化け物までが出てきて人を襲う御時世。そんな危なっかしい場所で眠りこけたら、風邪を引くだけではすまないかもしれない。


「なんとか一晩しのげる場所を探さないと、このままじゃ濡れ鼠だ」


 肩にかけた荷袋を背負い直すと、袋に収まりきらずに顔を出している刀の柄が揺れる。


 タイコウの師匠オウシュウの作った刀、雪割り。この刀を首都に届けるという事こそが旅の目的。タイコウはそれを思い出すと、ぐずぐずしていられないとばかりに元来た林道を探して走り出した。


 振り出した雨は止む気配が無い。


(雨宿り……屋根のあるとこ……屋根じゃなくても……雨がしのげる……大きな木なんかがあれば……)


 走り続けて息が荒い。


 周囲を見回しながらひたすら走るタイコウ。木々の緑、土の茶色が占領する視界の隅を、周りとは違う色がかすめた。


「何かある!」


 木々の隙間から一瞬見えた何かを探るべく、走っていた足を止める。


 急停止した拍子にぬかるみに足を取られて転びそうになったが、なんとか堪えて見付けた何かへと視線を向けた。


 木々と雨の中に見え隠れするのは、黄土のレンガと朱色の屋根を持つ建物。


 タイコウはそこに向かって駆け出した。


「ふう……助かった」


 軒先で立ち止まると、乱れた息と鼓動を落ち着かせていく。


「ここは、どこ、だ?」


 一度大きく深呼吸し、荷袋を背負い直すと周りを見回した。


 駆け込む際に見た建物の全体は平屋建て。壁は黄土のレンガ。艶の無い朱色の屋根。改めてよく見れば、壁や屋根からは草が生えている箇所がある。


 腐りかけの軋む木戸を開け、暗い屋内を覗いてみた。


 建物の中にはこれといった日常品は見当たらず、人の生活しているようには感じられない。


「廃屋、なのかな?」


 あちこち眺めながら廃屋に入るタイコウ。踏み入るたびに足元で埃が舞う。


 廃屋の中の暗さに目が慣れてくると、石畳の床には本当に何も転がっていないのが見て取れた。唯一、奥の壁に掛け軸らしき物が下がっている。


 荷袋からランプを引っ張り出して火をともす。


「……紫龍」


 ランプの光をかざした先、薄汚れた掛け軸には一体の龍が描かれていた。


 この世界の創造主と呼ばれ、ホウ大国で一番崇拝されている神格の龍。


 無論、タイコウも紫龍は知っている。もっとも信心の薄い彼が知っているのは、この紫龍と師匠オウシュウが崇める鍛冶の神、府玄だけなのだが。


「元は、社か何かだったのかな?」


 ランプを掲げ、改めて部屋を見回す。


 タイコウの濡れた靴が一本の道を作っている以外は、これといったものは無い。開けっ放しの木戸の外にはランプの光が届かず、すっかり暗くなった漆黒の空間に雨音だけが響いていた。


「フェックシュ!」


 雨音に包まれた廃屋の中で、不意に生まれたクシャミの声。


 驚いて取り落としそうになったランプをかろうじて捕まえると、その明かりを声のした方へと向ける。


「な、な……」


 照らした先にいたのは、一人の老人。


 禿げ上がった頭と、それに反比例するかのように豊かな白髭。長く延びた白眉に目元は隠れ、顔に刻まれた皺はタイコウの師オウシュウと違って柔和な印象を与えていた。


 誰もいなかったはずなのに。


 驚きに声が出ないタイコウ。彼の持つランプに照らされた老人は、ズズッと鼻をすすり上げた。


「おお、驚かせてしまったようじゃのぉ」


 取り乱すタイコウを見て、老人はフォッフォッと呑気に笑う。


「あ、いえ、こちらこそすみません。勝手に上がりこんでしまって。道中雨に降られて森の中に逃げたら、出られなくなってしまったのです。その時、ここを見つけたもので、ここには誰もいないものと勝手に思いこんでしまって……」


 謝ろうとするタイコウを、老人は手をかざして制した。


「いや、気にせんでくれ。確かに、この廃寺には誰もおらぬよ。ワシもおまえさんと……」


「……あなたも僕と?」


 老人の言葉をなぞり、話の続きを促すタイコウ。対する老人は……。


「フェックシュ!」


 クシャミと同時に老人の白髭が揺れた。


 タイコウは木戸を開けっ放しにしていたことを思い出し、慌てて閉めた。


「おお、すまんの。どうも雨に冷えたらしいわい。つまるところ、ワシもおまえさんと同じで雨に振られてここに逃げ込んだんじゃ」


「そうだったんですか。お爺さんは、この辺りの方で?」


「うんにゃ、ずっと遠くから来たんじゃよ。おお、名乗るのをすっかり忘れておったわ。ワシは鉄冠子と言う。いや、呼ばれておる」


 言い直した意味を図りかね、タイコウは小首を傾げる。


「あだ名じゃよ。本名はどこかに置いてきてしもうたのか、はたまた誰かが持って行ってしもうたのか。ワシにも思い出せん」


 言うとフォフォと笑う。


 名乗りたくないのか、はたまた本気で忘れているのか。タイコウには呑気に笑うこの老人から、それを計り知ることはできない。


「僕の名はタイコウといいます。ここより西方の山村レイホウで鍛冶屋を営んでいるオウシュウ先生の弟子です」


 タイコウの名乗りに、鉄冠子と名乗る老人が白眉を上げた。細い目が僅かに覗き、その瞳には興味の色が映っていた。


「ほう、鍛冶屋か……」


「はい。あ、いえ、僕自身はまだまだ見習の身で、鍛冶屋を名乗るほどの大した技量もあるわけじゃないんですけど」


 タイコウは鉄冠子の興味の色を払い飛ばさんばかりに、パタパタと手を振って自分が見習であることを強調した。


 もし、何か作ってくれと言われたら困る。


 師匠の下で腕を磨いてきたのだ。全く自信が無いというわけではない。それに、師匠に並ぶほどの技量を持とうと思えば、槌を振るい経験を積むより無い。


 それを考えれば、槌を振るう場所にこだわる気は無い。必要な道具さえ揃えば、この場でやったって構わないぐらいだ。


 だが、今はいけない。大事な旅の途中だ。時間を費やすべきではない。


「いやなに、おまえさんの持っていた袋から顔を出している物が気になっての……」


 タイコウの胸中を知ってか知らずか、鉄冠子は衣から皺だらけの手を出すと、彼の荷袋から出ている刀を指差した。


「タイコウ、おまえさんは屈強とは言わんが体躯は悪くないようじゃし、最初は旅の浪人か何かかと思っておった。しかし、おまえさんの刀なら帯刀しているだろうし、飾り物にしては随分と簡素な作りをしている。はて、この刀とおまえさんは如何な関係かと……」


「ああ、雪割りが気になったんですか」


 老人の興味の矛先に納得すると、タイコウは石畳の床に置きっぱなしにしていた荷袋を拾い上げる。


「雪割り……その刀の名か?」


 問う老人に向かって頷いたタイコウ。ランプを挟んで老人の対面に座り込んだ。


「はい。雪割りて新芽拭き、桃花咲き溢れる。僕の師匠、オウシュウ先生がそう願って付けた名前です」


「カチ割りて白目剥き豆腐湧き溢れる?」


「雪割りて新芽拭き、桃花咲き溢れる」


 どこか聞き覚えのある間違いに、苦笑いしつつ訂正。


「雪割りて新芽拭き、桃花咲き溢れる……ふむ、その雪というのは首都コウランに降り積もっているということかの」


「ええ、そういうことです。この刀は、コウランに出没する魑魅魍魎を倒すために献上します。僕はその旅の途中なんですよ」


 言ってポンと雪割りの柄を軽く叩くタイコウ。鉄冠子は彼に叩かれている刀を興味深げに眺めながら、豊かな白髭をしごいている。


「なるほど、おまえさんの師オウシュウ殿と言うたか。大した御仁のようじゃな。これは立派な刀じゃわい」


「……あの、お爺さん。鞘から抜いてもいないのにわかるものなんですか?」


 ひょっとして、この老人はボケているのではないだろうか。


 訝しげに尋ねるタイコウの方を、鉄冠子は片眉を上げて見る。


「切れるかどうかは試してみねばわからぬよ。この刀がなにかしらの力を持っている事ならわかるがの。タイコウ、おまえさんは疑っておるようじゃが……」


 タイコウは最後の言葉にドキリとした。


「な、な……」


「ふむ、図星のようじゃのぉ」


 タイコウの正直な反応にフォフォと笑う。


「鉄冠子。あなたはいったい……」


 タイコウのその問いかけには、明らかに警戒の色があった。


 思えば、部屋に入った時にこの老人に気が付かなかったのは、気が付かなかったのではなく、やはり最初は部屋におらず湧いて出たのではないか。


 自分自身は半信半疑ではあるが、雪割りを力のある特別な刀だと言ってのけたのは、それが本当にわかるからではないか。


 そして、なぜ雪割りの力を見抜き興味を持つか。それは自分が警戒すべきものだから。もしそうだとしたら、この老人は……。


 雪割りの入った荷袋を庇うように抱える青年の様子に、鉄冠子はさらにフォフォと笑う。


「そんなに怯えんでもええ。ワシはただの勘のいい爺じゃ。歳を取るとのぉ。色々と見えにくくなるモノがあるが、見えるようになるモノも少しはあるんじゃよ」


 さらりと言うが、無論タイコウが警戒を解く事は無かった。


「まあ、見ず知らずの者に言われても、そうそうは信じられんじゃろうが……」


 困った顔で白髭をしごく鉄冠子。対するタイコウは、いざとなればいつでも逃げ出せるように少しずつ老人と距離を開け始めていた。


「そうじゃのぉ。どうすればおまえさんがワシを信じるようになるか……」


 老人が考え込み首を捻る。視線がそれたその瞬間を見計らって、タイコウは荷袋を抱えて上げて腰を浮かせた。もちろん、この怪しげな老人から逃げるため。


 だが、その試みは出口に向かって走り出す前に中断させられた。


 タイコウの踏み出した足が何かを踏みつけたかと思うと、見事に足を滑らせ尻餅をついた。


「おお、そういえば杖を置いたままじゃったわい。すっかり忘れておった」


 打ち付けた尻をさするタイコウを見て、またも鉄冠子がフォッフォッと笑う。


「杖?」


 タイコウの手には老人の言う杖があった。転んだ時、床につこうとした手の下に滑り込んだらしい。


 そんなバカな、だ。


 タイコウがこの廃寺に入って中を見回した時には、壁に掛け軸がぶら下がっていただけで、他には何も転がっていなかったはずだ。


(このお爺さん、怪しすぎる)


 改めて逃げ出そうとするタイコウを鉄冠子が呼び止めた。


「タイコウ。ワシがおまえさんに何か悪事をするとしたら、当の昔にやっておったと思わぬか? そうでなければ、おまえさんはそうやって逃げ出せるほどに元気でもおられぬのではないかの?」


 その問いに対する答えを探すタイコウ。半開きにした木戸に手をついたまま膠着し、少しの間が流れた。


「フェックシュ!」


 背後で再び聞こえたクシャミに、タイコウはもう一度木戸を閉めなおした。


「いったいあなたは何者なんですか?」


「ワシは鉄冠子というあだ名の爺じゃ」


「それは、名乗る気は無いということですね……」


「鉄冠子と名乗っ取るじゃろうに」


 疑いの姿勢を崩さないタイコウに困ったように言い返す。


「本当の名を名乗る気は無いのですね」


「本名はどこに置いてきたものか、はたまた誰かが持って行ってしまったものか……」


「やっぱり言いたくないんですね」


「やれやれ、ここまで疑いを晴らさぬとは頑固なヤツじゃ。タイコウ、頑固過ぎる男は嫌われるぞい」


「信じる要素が少ないと言いたいんです」


「本名を名乗ったとして、おまえさんはその名を信じるかね。もっとも、ワシ自身忘れておるがの。はてさてどこに置いてきたものか、はたまた誰かが持って行ったものか……」


「それはさっきも聞きました」


「もし本名を覚えていて名乗ったとしても、どのみちその様子じゃ信じぬじゃろ」


 確かに。


「それにじゃ、タイコウ。さっき言うたが、ワシがおまえさんに悪意があればとうの昔に何かしておる。それこそ、つい今しがた名乗る名乗らないで話しておった間にでものぉ」


 それも、そうかもしれない。


「まあ、確かに怪しいところがあるのは、ワシも認めるわい。じゃがの、タイコウ。おまえさんに害をなす者ではないことも、認めてもらいたいの」


 老人の言う事も一理ある。確かにやる事なす事怪しい老人だが、タイコウが何か被害をこうむったわけでもない。


 改めて老人とランプを挟んで座る。


「その雪割りも盗みやせんよ」


 未だに雪割り入りの荷袋をしっかり抱えている青年を見て笑った。



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