第八章 月下咆哮 壱
「巡る汝は今何処。流れる汝は今何処。我が言の葉に、応えよ、吼えよ。活!」
タイコウは何度目かの衝撃波を解き放ち、群がる村人達を吹き飛ばす。弾かれた村人達の先に見えるは、彼の怒りの根源。
「モウエン!」
鉄冠子の姿をした老人の元へ駆け込みざま横薙ぎの一閃。
しかし、モウエンは半身をそらして容易く避ける。タイコウは間髪入れず魯智を振り下ろし、突き出し、薙ぎ払うがどれも老人の杖に受け流されていく。
「どうしたどうした。威勢は良いが、その程度で儂が参るとでも思うとるのか、小僧?」
「五月蝿い!」
吼えるタイコウの攻勢を、余裕の笑みを浮かべ難無く凌ぐモウエン。
「儂が憎いか、小僧? せいぜい憎むがええ。それはそのまま龍の供物にしてやろう」
そう言いながら突き出された魯智を払い、タイコウの腹へ蹴りを入れる。
その枯れ枝のような細い身体のどこに力が隠されているのか。蹴りを受けたタイコウの身体は弾かれたように宙を舞い、数秒の間をおいて地に叩きつけられ砂塵が舞う。
「哀れじゃなぁ、魯智。いかに貴様が相手と言えども、持ち主がこのような小僧では恐るるに足らんわい」
身体を襲う激痛に咽る青年、正しくは青年の持つ錫杖を冷ややかな眼で見据えて呟く。
対するタイコウに言い返す言葉が無かった。
彼の憤りは確かにモウエンに対してもあったが、むしろ老人の術中に堕ちた自分の不甲斐無さに向けられていた。
(僕がオウメイを殺してしまったんだ……)
その悔恨の重さからすれば、モウエンへの憎しみは八つ当たりにさえ近い。
「少々予定は狂ったが、まだ直しは効くかの。小僧、貴様は先程の娘共々龍の元に行ってもらうとしようか。その為にも、その錫杖は取り上げさせてもらおう」
言うと老人は手にした香炉を掲げる。周囲に新たな香が立ち上り、魯智の術に伏していた村人達は立ち上がってタイコウを取り押さえようと進み出す。
タイコウもまた、それを迎え撃つように魯智を構える。その表情からは怒りで生じた歪みが和らぎ、幾分穏やかなものになっていた。
池に堕ちた娘、オウメイ。皮肉にも憎むべきモウエンのその言葉によって、タイコウは憤怒から解放された。
(オウメイは、僕を怒らせる為に助けてくれたんじゃない。僕に託してくれたんだ)
自分への悔恨の重さ。モウエンの憎しみ。そのどちらも今は捨て置こう。自分はオウメイに生かされたのだ。その命をもって彼女の望みに応えてみせよう。
(モウエンの企みは、僕が絶対阻止してみせる)
「小僧じゃない、タイコウだ」
「なんだと?」
決意の意思を秘めた瞳でモウエンを見据え、吼える。
「僕の名はタイコウだ!」
その叫びに呼応するように彼の周りを風が舞う。
「天を駆けるもの。地を巡るもの。そのもの何処より湧き出で。何処へと流れ行かん」
両手でしっかり掴んだ魯智をモウエンに向ける。
「小賢しい!」
対するモウエンもまた手にした杖をタイコウに向ける。その先には、夜の中にあって尚黒い瘴気の塊が渦を巻く。
「我が身、我が内流るるもの。集いてかの先に赴かん。我が意思はかの地を指さん……」
タイコウを包む風は逆巻き、荒れ狂い、迫る村人を押し返す。
討つべき者はそこにいる。撃つべき術はここにある。彼女が拾った己の力。放つ機会は今より無し。全開発動、出し惜しみ無し。後の事など知るものか!
「砕……!」
言いかけたその言葉が突如響いた轟音に途切れる。
それはタイコウの砕破が放った破壊の旋律ではなく、モウエンの瘴気が喚いた呪言でもない。龍神の池に突如生まれた逆向きの瀑布が響かせたもの。
「オウメイ!」
タイコウは、豪快な水飛沫の中に見知った娘を見つけ、その名を呼ぶ。
「その気配は……おのれ、樂葉か!」
モウエンは、オウメイが翻す薄桃色の羽衣を忌々しげに見据える。
樂葉布をはためかせ宙を舞うオウメイも、同時に二人の姿を見つけていた。
驚きと喜びが混ざった顔をしている鍛冶屋見習いの青年、タイコウ。そして、もう一人の姿を見た瞬間、樂葉布を介して樂葉の記憶が流れ込んでくる。姿こそ鉄冠子仙人のそれだが、内面から滲み出る邪気を見抜けない樂葉ではない。それも、過去に因縁のあるものならば尚のこと。
「モウエン! 古に鉄冠子と樂葉に敗れた老妖よ! 性懲りもなくこの地を狙うなんてバカな真似は止しなさい! 今度は怪我だけでは済まさないわよ!」
メンサイの伝承でこの池の底を異界と繋ぎ妖魔を呼んだのは、このモウエンだ。
「吼えるな小娘! その減らず口、塞いでくれる!」
彼女の大喝に、モウエンは過去飲まされた敗北の苦汁を思い出したのか、激昂し手にした杖をオウメイに差し向けた。杖の標に導かれ、瘴気の塊は彼女を狙う。
慌ててタイコウがモウエンに妨害を試みるが、間に合わない。瘴気の塊はオウメイの四肢を食い散らさんと飛び掛った。
「オウメイ、逃げて!」
悲鳴のようなタイコウの声を耳にしながらも、オウメイは臆した様子は無い。澱み無い所作で樂葉布をひらりと翻し、瘴気と対峙する。
「疾ッ!」
彼女の掛け声と共に樂葉布が揺らぐと、それに合わせたかのように迫り来る瘴気が軌道を変え、オウメイの脇をすり抜けるようにして彼方へと飛び去った。
「チッ、小癪な!」
舌打ちしつつ杖を振るうモウエン。それに反応して再び瘴気が集積していくが、今度は一つでは無い。ゆらゆらと蠢く不快の塊の数は、大小合わせて十を超える。同時に放たれれば、そのいくつかはオウメイに届くだろう。
だが、それを抗う事無く黙って待つはずもない。
「砕破ッ!」
先に動いたのはタイコウ。彼のかざした錫杖から打ち出された閃光に、モウエンは弾き飛ばされ祭壇に叩きつけられた。
詠唱から術の発動までに間が開いたおかげで、全力で放つ事はできなかったが手応えはあった。まともに食らえば無事では済まない。
「……終わった?」
肩で息をしながらタイコウが誰とも無く問う。
否。
「まだ油断しちゃダメ!」
安堵と術の反動で腰砕けになるタイコウに、魯智とオウメイの叱咤が飛ぶ。
(モウエンが村の者にしよった小細工が解けてへん。術をかけた当人が健在な証拠や)
オウメイは内側から響く樂葉の声につられて周囲を見回しながら、タイコウの元に降り立つ。
なるほど、確かに。龍の姫が言うように、村人達は未だに虚ろな相貌を虚空に漂わせて佇んでいた。再びモウエンが動けば、彼等も再び障害と化すだろう。
「なんとか呪縛から解放しないと……」
(あるやん)
「何が?」
間髪入れず返ってきた樂葉の言葉に、思わず問い返すオウメイ。隣で魯智を構えなおしていたタイコウが「何がって、何が?」という困惑顔を向けている。
(教えて、樂葉。みんなを助ける方法ってことなの?)
(言うまでもあれへん。オウメイ自身答えを知ってるやないの)
「え?」
言われたオウメイは、自分の持ち得る知識を片っ端から調べ上げていく。
解く鍵は『自分が知っている手段』。
手段。自分に何ができる? ……傷を癒すおまじない。ダメだ、外傷は治せても病や呪いに通じるものではない。病を治すおまじないは知っているが自分には使えない。正しくは、使っても今まで一度も成功した試しが無い。……知ってはいるが?
「えー! 無理だって!」
一つの結論に達すると戸惑いの声を上げた。その隣では、その声に途惑うタイコウ。
「あの……オウメイ?」
心配になって尋ねる青年に、彼女は困惑の表情を向ける。
「ああ、ごめん、タイコウ。村の皆を正気に戻す方法があるにはあるんだけど……」
「それは有難い。どうすればいいの?」
思いついた病を治す術は、タイコウの傷を癒した術『神子唄』と並びオウメイの家系に伝えられる『神子舞』という術。
人の治癒能力を活性化させて外傷を癒す効果がある神子唄に対し、神子舞は人の心気を奮い立たせ体内に巣食う病を消し去る効果がある。心奮わば、或いは術の魅了を振り払い正気を取り戻すことも……。
問題はオウメイにこの術の成功例が無いということ。失敗した数は術を試した数に等しく、それは三桁に達しており、先日リクスウに試したことで一つ増えていた。
「アタシが術を使う。その……」
成功する自信は無い。そう告げようとしたオウメイの表情が強張る。同時に、タイコウの顔も険しいものへと一変した。
魯智と樂葉から、各々の持ち主に発した警告。
彼等に言われるがままに、各々の持ち主であるタイコウとオウメイはその場から飛び退く。今まで二人がいたその場所に、轟音と共に黒煙の如き瘴気の渦が爆ぜた。