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宝剣道中  作者: 紫神川悠
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第七章 竜神巫女 参

 メンサイの村に隣接する森の中。鬱蒼と茂る木々の中にあって、唯一開けた場所にある池。村の者は、言い伝えからその池を龍神の池と呼ぶ。


 龍神の池の傍らには小さな祠があり、その中には龍を模したこれまた小さな像が祭られている。


 その祠の前では年に二回、祭りが開かれる。池の底に開いた異界の門を封じている龍がその責務に飽きてしまわぬようにと。


 今宵。村の者達は皆、祠の周囲に集っていた。


 だが、祭りの時期にはまだ早い。


 そして、この集いの理由は祭りとは全く逆の意味を持っている。


 龍を責務から開放する。それは異界の門の封印を開放するという事でもある。


 祭りを賑やかに彩る囃子も笑い声もここには無い。甘い匂いの香の煙の中がほのかに漂う中、あるのは沈黙と、村人達の虚ろな眼、眼、眼。


 皆、呆けて焦点が合っていない。何をするわけでもなく佇んでいる。


 そんな中にあって、己の意思を持って歩く者がいた。


「……そろそろかの」


 龍神の池の手前で立ち止まったのは一人の老人。鉄冠子を自称する彼は、薄雲の中で淡い光を放つ月を見上げながらそう呟くとニタリと笑みを浮かべた。


「葉鱗后樂葉。長きに渡り封印を守っていた忌々しき龍め。今から貴様をその責から解いてやるわい」


 天上の月から、池の水面に映る月へと視線を落とす。正確には、水面で揺れている月のさらに下。池の底に眠る龍を見据えているのだろう。


「タイコウ。リクスウを連れて付いて来い」


 老人は傍らに跪くタイコウを一瞥して言うと、祠の前に作られた祭壇へと歩き始めた。


 タイコウからの返事は無い。彼の隣で気絶して寝転がっているリクスウの片足を無造作に掴むと、遠慮無しで引きずりながら老人の後を追った。


 彼も村人達と同様に虚ろな目をしている。


「心は未だ桃源の夢の中、か。げに恐ろしきは魔女の媚薬じゃわい」


 老人は従順に動く青年の様子を鼻で笑った。


 目の前の祭壇に手をかざすと、祭壇に置かれた無数の燭台に火がともる。


 彼の瘴気に反応するように揺らぐ燭台の火に満足げに一度頷くと、続いて両手で印を結び声にならない言葉を口ずさむ。


 虚ろな村人達が見守る中、老人は時折印を結び変えながら一心不乱に呪詛を紡いだ。


「……!」


 老人の声が可聴範囲にあるならば、その呪詛の意味が解けるのならば、その術が完成に近付いていることがわかるだろう。それを証明するように祭壇での火が勢いを増し、炎と化したそれは、生きているかのように不自然に揺れ踊る。


 狂い踊る蛇のような燭台の火焔を前に、鉄冠子はニタリと笑みを浮かべる。その炎に向けて己の右手をかざした。


 炎の蛇達は目の前に寄ってくる獲物を見逃しはしない。老人ごと丸呑みにする勢いで炎達が一斉に飛びかかる。


 刹那。


「ぬるいわ!」


 あろう事か、鉄冠子は大喝するとその炎達を右手一本で掴み取った。


 その手から逃れようとのた打ち回る紅蓮の蛇を真っ向から見据え、老人は空いていた左手で印を結ぶと新たな呪詛を紡ぐ。


 暴れていた炎はやがて老人の右手へと集まり、凝縮されていく。


「……!」


 ニタリ。改めて浮かべたその笑みは、老人の術の完成を意味した。


 彼の手に残ったものは炎と呼ぶには小さな火。ただ、その火がまともなモノではない事は一目で察しがつくだろう。


 その火は黒かった。火そのものの影とでも例えたものか。それが夜の闇の中で尚暗く揺らめいていた。


「久しぶりにしては上出来じゃな」


 手の中の黒い炎は徹底的に凝縮された瘴気の塊。結晶と呼んで差し支えないその高密度の瘴気の塊は、生き物の気を掻き乱す猛毒であり、それは人知を超えた力を持つ龍であろうとも気の流れる生き物である以上は例外ではない。


 鉄冠子は棒立ちしているタイコウに視線を向ける。


「タイコウ。ここに跪け」


 言われるがまま、老人の目の前まで歩み寄ったタイコウはその場に両膝をつく。


「上を向き、口を開けろ」


 これもまた言われるがまま。跪き上を向いた青年の虚ろな瞳は、目前の老人を映す。


 後は、タイコウの中にこの瘴気を落とし込んで池に投げ込むだけだ。


「実に長かった。いったいどれほどこの時を待ちわびていた事か……」


 口を開けて上を向くタイコウの口元へ、そっと手を近付ける。


 そして、漆黒の火種は老人の手に刻まれた皺をつたうように滑り、今まさにタイコウの口へと……。


「ダメェェェェェッ!」


 物言わぬ虚ろな村人達の中から響く女の叫び。


 それと同時に飛来した何かが鉄冠子の頭に直撃した。


「ぐぬっ!」


 思わぬ襲撃の思わぬ強烈な一撃に、老人はバランスを崩して祭壇に倒れこむ。


 その途端、彼の制御下を離れた黒い火は、本来の炎の色を取り戻すと爆発的に燃え上がり霧散した。


「……間に……あった?」


 足がもつれ倒れそうになる体を錫杖で支えながら、オウメイは息を荒げながら呟く。


 肯。


 魯智から響いてくる答えに安堵すると、深呼吸もかねて深い溜息をついた。


 だが、そうそう落ち着いてもいられない。封印解放の事態を遠ざけたが、その元凶が消えたわけではないのだから。


「タイコウ!」


 黒い火の爆発に吹き飛ばされて目を回している青年に向かって走り出す。


「ぐっ……! おぉぉのぉぉれぇぇぇっ、小娘がぁっ! 貴様等、あの娘を止めろ!」


 未だに痛む頭を抑えながら鉄冠子が発した怒声に、村人達は返事をする事も無く一斉にオウメイに群がる。


「みんな、どうしちゃったの? お願い、邪魔しないで! って、どこ触ってんのよ!」


 足を捕らえようとする子をかわし、肩を掴む婦人を振り払い、腰元に抱きついた村長を容赦なく張り倒し、なんとかタイコウの元に辿り着く。


「タイコウ! タイコウってば! 目を覚ましてよ!」


 彼女の声に応えるように彼は閉じていた目を開いた。


 だが、それは正しい意味での目覚めでは無かった。


 眼前にオウメイの姿を認めたタイコウは、表情一つ変えず彼女のその細い首を両手で掴み上げた。


「な? ……タイ……コウ?」


 締め上げる手に躊躇いが無い。


 タイコウもまたあの老人の言葉に従って動いている。老人は『娘を止めろ』と言った。手段はおろか生死も問うてはいなかった。ならば、この青年の行動も間違いではない。


(そんな……助けようとしたタイコウに殺されるというの?)


 タイコウの手を掴み、引き剥がそうとするがビクともしない。引き剥がしたところで、村人達に組み付かれれば逃げ場は無い。たった一つの仲間だった錫杖魯智は、タイコウに締め上げられた拍子に手放し地に落ちた。


 オウメイを助けるモノは何一つ無い。


(もう少し頑張れると思ったんだけどな)


 彼女の胸中に湧いた諦めは、一つの決断を下す。


(ただ死を迎えるだけなんてしない。せめて、最後に……)


 せめて、最後に自分にできる一手を打っておこう。


「子の手を……あなたは……握り……子の……手は……あなたを……握る」


 オウメイはタイコウの腕を掴んでいた手を離し、彼の顔を撫でる。


 タイコウの顔は、先ほどの黒い炎を浴びて焼けただれていた。


「……子の……目に……あなたは……映り」


 もし、タイコウが正気を取り戻せたらなら、この怪我は彼の妨げになるだろう。


 この怪我があったところで状況を打破するかもしれない。この怪我を癒したところでどうにもならないかもしれない。それでも。


「子……の……目は……あな……た……を……映す……」


 オウメイの家に伝わるまじないの一つ、神子唄と呼ばれる癒しの言葉。


 結局、この神子唄だけしか自分には使う事ができず、そこに劣等感を感じていた。それでも今は、この神子唄を歌えるだけで満足だ。この神子唄で彼を癒せる事が嬉しい。


 神子舞の最後の一節を口ずさもうとした時、どこからかドンと鈍い破裂音がした。


 その音と共に飛来した闇色の矢尻がオウメイの脇腹を撃ち抜き、その衝撃によって彼女はタイコウの手元から弾き飛ばされた。


 首元の圧迫から解放されたオウメイの喉は一気に大気をかき集めると、それを言葉として再び解き放つ。


「子をあなたは知っていて、子はあなたを知っている」


 言葉を紡ぎきった。


 これまでで一番会心の出来だった気がして、つい笑みがこぼれる。


 大きく弧を描いて飛んだオウメイの体は、そのまま龍神の池に落ち水飛沫をあげた。


「えぇい、忌々しい小娘め! 何もかも台無しにしおって! こんな事になるなら、あの森で殺しておくべきじゃったわ!」


 その小娘を撃ち抜いた凶弾を撃った当人。鉄冠子の姿をした老人は苛立たしげに杖で大地を打った。


「クソッ! おかげで一からやり直しじゃ! こちらに来い、タイコウ! さっさと祭壇を元に戻せ!」


 中空を握り締めるようにして静止していたタイコウが、その怒鳴り声に動き出す。


 だが、一本の杖が視界に入った途端、彼はまた静止した。


「何を呆けておるんじゃ、この木偶の坊が!」


 静寂の中に再び怒鳴り声が響いたが、それでもタイコウは動かない。


 やがて、彼はそれが当然であるかのように、その杖を拾い上げようとしゃがみこむ。


 タイコウの手が錫杖に触れた瞬間、悪夢は覚めた。鉄冠子の偽者に香を嗅がされてから今まで、彼の意識を埋めていた濃く深い甘美な霧が消え失せる。


 そして、魯智から流れてくる意識喪失から今までの錫杖の記憶。


 オウメイとの邂逅。


 邪悪な瘴気の森と、その中に佇む者達。


 カコ邸で回収した雪割りを手に目指した龍神の池。


 そして、オウメイの首を締め上げる見慣れた手……。


「あああああぁぁぁぁぁぁっ!」


 止め処ない後悔の念は、叫びとなってタイコウの口から溢れ出た。


 今、この時こそが悪夢であって欲しい。いっそのこと、桃源の香りが見せた偽りの夢の中に戻ってしまいたい。


 だが、手にした魯智はそれを許さない。今も漂う甘い香の中にあって、タイコウは魯智の持つ力によって夢に落ちず正気を保っている。いや、もはや魯智を手放したところで、今の彼の胸中を占める怒りは香の魅惑程度では揺るがない。


「貴様、その杖は……もしや!」


 タイコウの持つ錫杖の正体に気付いた老人の目が険しくなる。


 だが、その彼を見返すタイコウの目も負けてはいない。


「よくも、オウメイを!」


 地を蹴ったタイコウは、かざした錫杖を偽鉄冠子の脳天に向けて振り下ろす。


「ふん、久しいじゃないか。魯智よ」


 彼の一撃を杖で受け止めた老人は、憎悪を込めて錫杖の名を呼ぶ。


 タイコウもまた、魯智の意識から垣間見た老人の本当の名を叫んだ。


「モウエン、おまえは許さない!」


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