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宝剣道中  作者: 紫神川悠
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第七章 竜神巫女 壱

 オウメイはビクリと体を震わせた。


 誰かに呼ばれた。呼ばれはしたがここには誰もいない。夕暮れを過ぎて闇に支配されつつある川原にいるのは彼女ただ一人。聞こえるのは川のせせらぎと風で打ち合う草木の音だけ。自分以外、誰もいない。それでも……。


「あなたが呼んだの?」


 思わずそう尋ねた。誰でもない。目の前のその杖に。


 断崖の下を流れる川の端。夜ともなれば月の光も満足に射さない暗い中で、オウメイの目にはその錫杖がやけにはっきりと見てとれた。


 川に半身を浸しながら砂利に寝そべる一本の錫杖。小波に揺れた拍子に杖の先の金輪が小さくシャランと音を立てる。


 オウメイの問いに錫杖が返した答えは、言葉という形ではなかった。


 耳に聞こえる音ではない。目に見える変化でもない。肌に感じる鼓動でもない。だが、不思議と杖が肯定している意思だけは認識できる。


 続けて杖から飛んできた意思は、助力を求めるものだった。自分の話を聞いて欲しいと、自分の行動に協力して欲しいと、とにもかくにもまずは自分をこの冷たい川から拾い上げて欲しいと。


 形を持たない漠然とした意思だけに杖の意思の解釈はオウメイ次第。どこまで意思の解釈が当たっているかはわからないが、彼女の目には春先の川は冷たかろうと思える。少なくとも、自分を拾って欲しい事だけは間違えていないだろう。


「あ。あなたってひょっとして魯智って名前じゃないかしら?」


 その問いに返ってきた肯定の意思。


 タイコウがこの魯智を探していたように、魯智もまた持ち主であるタイコウを探していたのだ。


「まさか、落ちた所から動いていなかったなんてね。道理でタイコウさんが探しても見付からないわけだ」


 そう言いつつ川辺から錫杖を拾い上げ、ドキリとした。


 手にした瞬間、先程までより遥かに鮮明な意思が魯智から流れてきた。その途端、自分の感覚が研ぎ澄まされ、自分の背後にある禍々しい瘴気に気付かされたのだ。


(嫌ッ! 恐い!)


 慌てて振り返るがそこに誰がいるわけでもない。それでも安堵の息をつく気にはなれない。今尚、彼女の感覚は瘴気を感じ続けている。


「な……なんなのよ、魯智! あなたの仕業?」


 文字通り魯智に掴みかかる。


 否。


 オウメイの剣幕に慌てるように、錫杖はすぐさま否定してきた。自分を手にした事でオウメイ自身が持つ感覚が鋭敏になっただけで、感じ取っている瘴気の類はまやかしではなく実在するものだと。


 魯智の言う事が正しいとするなら、この瘴気はどこから流れ出たものなのか。彼女の疑問に従い鋭さを増す感覚が瘴気を探るが、余りの気配の濃さに出所が掴めない。


 錫杖を手にしたまま、じっと辺りを窺うオウメイの体に次第に鳥肌が立っていく。


(き……気持ち、悪い)


 瘴気の毒気に当てられたのか、体に悪寒が走り息苦しさに胸を押さえる。


 目を瞑ろうと、耳を塞ごうと、口を閉じようと、肌を覆おうと、鼻を摘もうと、魯智によって高められた感覚は瘴気を認識し、認識すればするほど体は不快感に蝕まれていく。


 いっそのこと気を失ってしまえばと思ったが、心に響いてきた魯智の叱咤の意思にオウメイは気持ちを立て直す。


(瘴気も気の内。紫龍様の神気に触れる事が仕事の家系にあるアタシが、この程度の気に屈していたら皆に笑われちゃうわ!)


 錫杖の叩きつけるような意思は決して優しくはないが、頼もしくはあった。


 質の違いに戸惑ったが、よくよく考えれば瘴気も神気も気だと言うなら、あとは紫龍に祈る時の心得をなぞるのみだ。


 人一人の気など神格を持つ紫龍と比べ物にならないほどに弱小。無理に紫龍の気に抗えば容易く潰れてしまう。ならば……。


「心鎮め、己を知る。気に抗わず、己が脇へ通す」


 一度大きく深呼吸してから家に伝わる心得を声に出してなぞる。


 まず大地に根を張る樹木のように己の位置を保つ。保たねば、気の流れに呑まれて自分を見失う。


 そして、風に揺らぐ枝葉のように気を受け流していく。抗えば、気の流れに負けて自分が折れる。


「やれやれ、紫龍様のような品格が無いせいか随分勝手が違うわね。手間のかかる……」


 数分の精神統一の後、オウメイは苦笑いしつつぼやいた。


 落ち着いたところで改めて周囲を窺う。


 瘴気は未だに健在。だが、先ほどまでのような苦しさは無い。瘴気に毒されていた頭もすっきりしており、これなら瘴気の出所を探る事も不可能ではない。


(森の中……あれ? 瘴気の源泉の近くに誰かいる?)


 毒持つ気をいなしている今なら、魯智に高められた感覚が離れた気配も探ってくれる。さすがに誰なのかまでは知れないが……。


「な? 近寄れって?」


 瘴気の源泉を探り当てたオウメイに、今度はそこに接近するよう魯智が指示してきた。


 集中力が途切れれば再び瘴気の渦の中へ逆戻りという状態で、瘴気の源泉に近寄るのは自殺行為とも思えた。


「冗談言わないでよ! 一刻も早く逃げ……」


 魯智に食ってかかるオウメイだったが、大声を出すなという新たな指示に口を閉ざす。


(わけわかんないわよ。どうして危なっかしい森の中に入れって言うかなぁ。遠回りだけど森を迂回して村に戻れば、こんな気持ち悪い思いしなくてすむじゃないの)


 彼女の抗議に対して魯智の返答は簡単だった。


 そこに戦うべき相手が存在するからだ、と。


(言っておきますけど、アタシはこんな尋常じゃない瘴気の中にいる何者かと争う気はありませんから。アタシには戦う手段が無いのよ)


 できることと言ったら、簡単な怪我を治せるぐらいなのだから。


 しかし、それでも魯智は指示を覆さない。


 しばし問答を続けたものの相手は杖だ。こちらの行動を抑制できるものでもない。オウメイは魯智の抗議を無視して、森を迂回するべく歩き出す。


(ホンットに強情だなぁ。どうしてそこまで拘るのかしら)


 タイコウと合流した時に、如何に戦うか策を練りたいから。


 魯智の答えに彼女は足を止めた。


 無論、そこまで鮮明な解答があったわけではないが、魯智の意思を自分なりに解釈すればそうなる。


 今、自分が感じている瘴気が村に害成すとしたら、村の住人で退けるものではない。実力は未知数だが、妖魔の類と一戦交えた事があるタイコウならば、或いは……。


 決心と呼べるほどの心構えは無い。見つかれば無事ではすまない予感もある。でも、ここで逃げても後でこの瘴気が村を襲えば同じ事。この瘴気に抵抗するきっかけが今ここにあると言うのなら、タイコウと魯智に協力するべきではないか。


(うーん。でも、偵察と言ってもアタシにできるかしら)


 揺らぎ始めた彼女を後押しするように、魯智が誘導すると告げる。その途端、頭の中に浮かんだのが、森に入り始めるオウメイ自身の姿。


(な、何? 魯智の仕業?)


 当惑するオウメイに魯智から肯定の意思が飛んできた。頭に浮かんだ自分と同じように動けば、瘴気の源泉に近付けると。


(まだやるとは言ってないじゃない)


 文句を言いながらも、オウメイは魯智に従い歩き出した。


 足の踏み場。支える手の位置。姿勢。頭に浮かぶ自分の所作を真似ていく。


(自分を追いかけているみたいで奇妙なものね)


 魯智を手にしてから混乱続きで感覚が麻痺してきたのか、その程度の違和感は気にならなくなっているようだ。


 右の木陰、左の草むらと、少しずつ瘴気の源泉へ近付いていく。


(そういえば、随分と大人しいわね。魯智)


 オウメイに自分の姿を見せ始めてから、錫杖自体の声は響いてこなくなっていた。響かないと言えば、錫杖の先に下がる金輪さえ音を立てない。


(それだけ慎重に行けってことか……あれ?)


 彼女は視線を前に向けて足を止めた。


 さっきまで頭の中にいたもう一人の自分が、いなくなっている。


(ちょっと、魯智。あなた、まさかここまで誘導しておいて、後は自力で何とか進めって言うんじゃないでしょうね)


 否。錫杖から返ってくる否定の意思。


 どうやら、これ以上進むと相手に感づかれるらしい。


(とは言っても、瘴気が濃い場所まではまだ少し離れているんだけどなぁ)


 困ったように森の奥へ視線を向け、オウメイは思わず驚いて声を出しそうになった。


 木々の隙間から僅かに見える瘴気の源泉。その傍らに立っていた一人は、オウメイの見覚えのある人物だった。


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