序章 宝剣誕生
今は昔、大陸の東半分を占めるホウ大国。その西方にそびえる大山の中腹を切り開いて作られた村、レイホウ。春を間近に控えた雪の残るこの山村に、金属を打ち鳴らす音が響き渡っていた。
一定の間隔をおいて鳴っていた金属音が止んだのは、太陽が顔を出して朝靄を消し始めた頃のこと。
音の出所である煉瓦造りの小屋の木戸が開き、中から一人の青年が姿を現す。
朝日を眩しそうに見る彼。その整った顔も、肩まで伸びた黒髪も、髪を隠す頭巾も、だぶついた作業着も、全てすすけていた。
青年の顔からは徹夜明けの疲労感が見て取れたが、その瞳は疲労を忘れているかのような昂ぶりがあった。
「ほう、こいつは今日も良い天気になりそうじゃないか」
青年に続いて小屋からひょっこり顔を出した老人が、朝日に照らされる軒並みを眺めながら満足そうに頷く。
老いを感じさせない鋭い眼光。顔に深く刻まれた皺。青年の隣に立ち、朝日に堂々と向き合っているこの老人。一目見ただけで只者ではないと思わせる雰囲気を持つ彼も、青年と同じような服装で、青年と同じようにすすけていた。
「お疲れ様でした、先生」
そう言って穏やかな微笑を向ける青年に対し、老人はまだまだ元気そうな顔でカカと笑い返す。
「徹夜仕事は老いぼれには堪えるわい。すまんが茶を淹れてくれんか、タイコウ」
首をコキコキと鳴らしながら言う老人に、青年タイコウは頷いて小屋の隣にある一軒家に向かった。
タイコウが茶器を乗せた盆を持って戻った頃には朝靄も取り払われていた。
暖かな日差しが射す中、地面にあぐらをかいて村の朝の情景を眺めていた老人。組んだ足の上には、彼の飼う鶏カンソが朝陽の中で心地良さそうに丸まっている。
「鶏は朝鳴くのが仕事だろうに……」
「主人が夜通し起きておったのだ。目覚めを知らせることも無いと思っとるんだろう」
一向に鳴く様子の無いカンソに呆れるタイコウ。彼から湯飲みを受け取った老人は、そう言い返すと茶を半分ほど飲んで息をついた。
「……雪割りて新芽吹き、桃花咲き溢れる」
「なんです?」
物思いにふけっていた老人が中空を見据えながら告げた言葉に、タイコウは意味がわからず問い返していた。
「いや、こいつに名を付けてやりたくなってな」
そう言うと、老人は隣に置かれた布切れに視線を向けた。
布の上には一振りの刀があった。刀と言っても、鞘はおろか柄も無く刀身だけ。
これが小屋で金属音を発していた音の主。鍛冶屋の工房であるこの小屋で、一番長く音を奏でていたであろう代物である。
タイコウも老人ごしに今朝打ち上がったばかりの刀を覗き込む。
「それで、カチ割りて白目剥き豆腐湧き溢れるという名ですか。長くありません?」
「雪割りて新芽拭き、桃花咲き溢れる。なにもそのまま名前にしようってんじゃあない。この刃が生み出された理由。そしてその先に何が生まれる事を望むか。それを口にしたまでだよ」
老人の言葉に、彼はその刀身を作り上げるに至ったきっかけを思い出す。
今、ホウ大国の首都コウランでは魑魅魍魎の類が出回り、コウランの人々は恐慌状態に陥る寸前だという。そこでホウ王は国土中から妖魔を討つ者、破邪の品々といったものをコウランに集めようとした。
しかし、残念ながら退魔士、破邪の品とは名ばかりのモノも多く、悪鬼羅刹を打ち滅ぼすには未だに数が足りない。
そこでタイコウの師、オウシュウも鍛冶屋として一肌脱ぐ事を決意したのだ。
「コウランの、ひいてはホウ大国に再び安寧を生み出す礎となるべき刃。ならば、コイツの名は『雪割り』だな」
鍛冶屋の老人オウシュウは、打ち上げた刀身に話しかけるかのように名を告げた。
確かに師匠オウシュウの作る包丁、鎌、鋏といったものは良く切れて使いやすいと評判で、他所からも買い求めにやってくることもある。
しかし、タイコウはオウシュウが武具の類を作ったところを一度も見たことが無い。
「はたして、この刀が破魔の一撃を放つのだろうか……」
知らず口にしていたタイコウの言葉にオウシュウがカカと笑う。
「そうならなかった時は、このオウシュウ。名を捨て、槌も捨てて日を避けて生きていく事になるわ」
「そんな。槌を捨てるなどと、縁起でもない事を言わないで下さいよ、先生。先生は墓の中にまで槌を持っていくと言っておられたではないですか」
「ふむ、そうだったかな……」
冗談半分の言葉に真面目に答える青年に、少し困ったような顔をするオウシュウ。
「まあ、その儂が分身とも言える槌を捨てる覚悟で打ち上げた刀ということよ。この刃には儂の魂が込められている。魔を討ち払う意思を込めた代物。それで切れぬというなら、今まで揮っていた儂の技量はその程度のものということだ。そうなれば、恥をさらしてまで鍛冶屋など続けられやせんわい」
老人は刀身から自分の手へと視線を移す。長年槌を握ってきたその手はゴツゴツとして掌にはタコが出来ている。
「まあ、所詮刀は刀。使う者の腕によるところも大きいが……。さて、タイコウ。こいつを鞘に収めたら、おまえさんにはコウランまで行ってもらうぞ」
「へ?」
カンソを抱いて立ち上がったオウシュウの言葉にタイコウが問い返す。
「そりゃ、そうだろう。コウランの混乱を収めるために雪割りを作ったのだ。コウランに持っていかんでどうする」
呆れた顔をするオウシュウに、青年はそういうことではないと首を振った。
「僕だけですか? 先生は?」
「おいおい、おまえはこの老体に長旅をさせる気か? そもそも、うちには二人分の旅費などありゃせんよ」
オウシュウを老人と呼ぶには元気すぎる気もするが、旅費という面ではタイコウも納得がいく。いくら腕がいい鍛冶屋とは言っても生活に余裕らしい余裕は無い。
「この雪割りが高く評価されれば、ホウ王も儂を放ってはおかぬだろうよ。そうすれば儂とカンソは従者付きでのんびりとコウランまで向かえるだろうさ。うむ、楽しみだわい。吉報を待っておるぞ、タイコウ」
そう言うと高笑いしながらタイコウの背を張り飛ばした。その音に驚いたのか、師に抱かれたカンソが天を向いて高らかに鳴いた。
それが、タイコウの旅立ちの合図だった。
〜次回予告、タイコウ語り〜
雪割りを献上する為、首都のコウランへ。
旅慣れない僕は雨の降る森の中で、道に迷いました。
雨から逃げるように入った古寺にいたのはお爺さん。
お爺さんは鉄冠子と名乗り、僕に錫杖魯智を譲り何処かへと去りました。
そして、その夜。
古寺に忍び寄る音。
僕は初めて化け物と対峙する事になりました。
雪割り封印、魯智解禁。人生初の退治劇。
生死をかけて只今出陣。生きながらえれば万々歳。
負ければ必死の真剣勝負。
次回『一章 錫杖老師』に乞うご期待。