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宝剣道中  作者: 紫神川悠
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第五章 老師再来 壱

「ファックシッ!」


 雲一つ無い青空に隻眼の青年リクスウのクシャミが響いた。


「風邪でも引いたの? リクスウ」


 鼻をすする彼を見ながら、鍛冶屋の見習いタイコウが尋ねる。


「いやいや。誰かが俺の事を噂してんだろうよ。イックシッ!」


 タイコウの旅は西方の山際にある故郷レイホウという村から始まり、終着はこのホウ大国の東部にある首都コウラン。その目的は師匠オウシュウが作り上げた破魔の刀、雪割りを魑魅魍魎がはびこる首都へ持って行き、ホウ王に献上する事。


 リクスウの旅はホウ大国南西部にあるサイハクという町から始まり、終着はタイコウと同じ首都コウラン。その目的は自らに憑いた先祖トウコウの霊の力を用い、首都にはびこる魑魅魍魎を退治する事。


 使い手を選ぶ刀、雪割りは運び手のタイコウを選ぶ事は無く、カリュウの町で出会ったこのリクスウを使い手に選んだ。


 終着点は同じ。目的も大差無い。雪割りを運ぶ者と扱える者。そんなところから二人は一緒に旅を続ける事になったわけである。


 そして、二人の旅はまだ半ばを過ぎた辺り。ホウ大国中央部の山間部を越える最中。


「全く、まーったく。なんでこんな道を歩かにゃならんのだ」


 リクスウは疲労が伺える顔で愚痴りながら、忌々しげに山道を踏みしめた。


 彼が愚痴りたくなるのもそのはず。この一帯の山々は西方から流れる川が長い歳月をかけて岩盤を削り続けたため、傾斜がきつく深い渓谷が多い。時に崖にへばりつき、時には谷を越えるその山道は決して旅に向いているとは言い難い。言い難いのだが……。


「何言ってるんだよ。南へ迂回してコウランに向かおうって言ったのに、真っ直ぐ行くのが一番の近道だとか言ってリクスウが勝手に山に入っちゃったんじゃないか」


 そう抗議するタイコウは大して疲れた様子も無い。


「タイコウ。これだけ山道歩いてるってのに元気そうだな」


「そう? 僕は結構歩きやすいけど」


 山村のレイホウで暮らしていたせいだろうかと考え始めた彼に、リクスウが一言。


「山猿が……」


「山育ちだからって馬鹿にしないでよ。レイホウは良い村なんだよ。リクスウの方こそ、用心棒とか体力勝負な事してる割にバテるの早すぎだよ」


「言ってくれるじゃねぇか、タイコ……」


 言い返そうとしたリクスウの言葉が止まる。


「リクスウ?」


「エックシッ!」


 声をかけるタイコウに彼はクシャミで返事。


「やっぱり風邪なんじゃない?」


 タイコウは改めてリクスウにそう尋ねながら肩からずれた鞄を背負い直す。その拍子に手にしていた破邪の錫杖、魯智の金輪が揺れシャランと軽い金属音を奏でた。


 旅の道中、謎の老人鉄冠子から渡された錫杖。魍魎に関する知識を持ち、その類の知識が浅いタイコウにいろいろと教えてくれる。また、妖気、霊気を見抜いたり、邪を破る術法も扱えるようになり、危険の多い旅でタイコウには最早欠かせない物になっている。


「バカ言うな。俺がそんなひ弱に見えるか? 三回までは人の噂。俺はそう決めてんだ。そうだなぁ、たぶんリホウちゃんが俺の事を心配してるんだろうなぁ」


 そう言って今まで来た道を振り返るリクスウ。


 旅の途中、交易都市カリュウで出会った行商人の娘リホウの笑顔を思い出し、彼の顔がにやけた。


 リホウ七歳。リクスウ十九歳。年の差十二歳の恋。正しくはリクスウの片思い。


「ホントにいい子だったよなぁ……フェッ、フェッ……エックシッ!」


「これで四度目、ホントに風邪だね」


 再び放たれたクシャミにタイコウは呆れ顔で呟いた。


「おかしいな……。俺が風邪なんぞ引くわきゃねぇんだが……」


 心なしか足元もふらついている。


 そんなリクスウの様子を見てタイコウは足を止めた。


「ちょっと休もうか?」


「何言ってんだ。早いところ次の宿に辿り着かにゃあ。こんなところで休んでられっか」


「そりゃあ、この山を越えないと次の宿は無いけど……。でも、リクスウの様子じゃ厳しいんじゃないかなぁ」


「俺はまだ大丈夫だ」


 当人は強気でいるがタイコウから見れば十分に病気。


「今からでも遅くないよ、リクスウ。前の村まで引き返そうよ」


「同じ道を辿るなんぞ邪道だ。俺は断固としてこの山を越える」


 どの辺りが邪道なのか気になったタイコウだが、その疑問はひとまず脇に置く。今はリクスウを休ませることが優先だ。


「小休憩くらいなら山越えに差し支え無いと思うよ」


「くどい。ほら、とっとと行くぞ」


「あとで泣き言を聞かされるのは僕なんだけどなぁ」


「誰が泣き言なんぞ言うもんか。そうやってボケッと突っ立ってるなら俺は先に行くぞ」


 そう言って歩き出す隻眼の青年。溜息をつきながらタイコウも彼に続く。


「本当に強情だなぁ、リクスウは」


 彼の背中に向けて放たれた決して小さくないボヤキは彼の耳に届いていない。正確にはちゃんと耳にまで届いているのだが、今のリクスウにはそれを声として認識する余裕が無くなっていた。


(畜生。やたらと寒ぃじゃねえか。足も力が入らねぇし……)


 全身を襲う悪寒と脱力。気を抜けば視界は焦点がずれ、体が前か後ろに倒れそうだ。


「それにしても細い道とは言え、これだけ硬い岩盤の崖をくりぬいて道を作るなんて大した人がいたもんだね」


 絶壁の中腹に作られた桟道。その壁を撫でながら感心したようにタイコウが言う。


「やっぱり作業中に一人二人は谷に落ちたりしたのかなぁ。それでも作り上げたってんだから立派だよ、うん」


 そんなタイコウの言葉を、やはりリクスウは聞いていない。


(クソッ。体が重てぇ。トウコウが実体化したみてぇだ)


 彼の肩に憑いている先祖の霊トウコウに重さなど無いのだが、今のリクスウには人一人背負って歩いているような疲労感に襲われていた。


「リクスウ? 話聞いてる?」


 先を歩くリクスウに問うが彼は黙々と前進を続ける。


(ヤバイな。なんか足の感覚が薄れて……いや、泣き言なんぞ言ってる場合じゃねぇ。今は意地でもこの山を越えるんだ。クソ山が! こんなところで足止めなんぞさせられてたまるか!)


「ド根性ッ!」


「へ?」


 急に絶叫して速度を上げるリクスウ。呆気に取られて彼を見ていたタイコウだったが、異変に気づいて慌てて彼を追う。


「止まれ、リクスウ!」


 悲しいかな、タイコウのその忠告も意識朦朧のリクスウには届かなかった。


 ただ、届いていたとしても、それはもう遅かったかもしれない。


「およ?」


 タイコウの目の前を歩くリクスウから間の抜けた声が漏れた。


 リクスウの視界が傾いていく。


 タイコウの視界の中、リクスウ自身が傾いていく。彼の左足は付くべき地に無い。もしも真っ直ぐ足を下ろしたなら、その先は崖下だ。


 リクスウは道を踏み外した。


「リクスウ!」


 タイコウは今まさに谷に落ちようとしている隻眼の青年の元に駆け寄り手を伸ばす。


 間一髪。タイコウの左手はリクスウの右腕を掴んだ。


 だが……。


「あれ?」


 タイコウの視界が傾いていく。


 リクスウの視界の中、タイコウの体が傾いていく。リクスウを助け上げるために踏ん張ろうとした左足は地に付いていなかった。もしも真っ直ぐ足を下ろしたなら、その先は崖下だ。


 タイコウもまた踏み外した。


「うわぁっ!」


 溺れる者はなんとやら。慌てて空いていた右手で崖の縁を掴む。


 間一髪。などと安堵する暇は無かった。


「ウソだ……」


 絶望するかのようなタイコウの呟き。彼が掴んだ縁が崩れた。


「ウソだ……」


 もう一度、自由落下を始める中でタイコウは呟いた。


(まずい、落ちる! こんなところで転落死するなんて嫌だ! 誰か! 何か! 何とかして!)


 落ちていく中で必死に自分を助ける者、助ける物を探す。


 自分の右手。崩れた崖の石。即座に捨てる。


 自分の左手。リクスウ。病状が悪化したのか、うわ言のように「リホウちゃん……」と唸り声を上げている。今は無視。


 自分の足元。地面があるなら付いている。今はそれが無いから困っているのだ。


 自分の周り。落下速度が上がる中で助けてくれる何かなど探しようも無い。


「誰か……」


 あてもなく伸ばしたタイコウの右手。その手に何かが触れた途端、手は吸い付くように触れた何かを掴んでいた。そして、掴んだと同時に勝手に口が動き出す。


「天を駆けるもの。地を巡るもの。そのもの何処より湧き出で。何処へと流れ行かん」


(魯智?)


 掴んだ何かは錫杖。魯智の持ち主タイコウの口はなおも術の呪文を続ける。


「我が身、我が内流るるもの。集いてかの先に赴かん。我が意思はかの地を指さん……」


(こんな時にどうして術なんて……下?)


 彼の疑問に即答した魯智。その指示に従い下を向く。


 川だ。だが、浅くはなくても深くもない。二階から飛び降りる程度ならまだしも、これだけ落下の勢いが付いていたら川底に激突するだろう。


(ああ、それで)


 魯智によって紡がれる術に納得した。以前、全力で術を打ち出した時に反動で自分が吹き飛ばされた事がある。それの再現で落下の勢いを消そうというわけだ。


 撃ち込む先は川の底。これを放てば気絶は必至。落ちる水面は眼下か三途。上手くいったら御喝采。反動覚悟の手加減無し。最大出力。


 タイコウは気を失うリクスウを抱えながら錫杖を眼下の川へと真っ直ぐ向ける。


「砕破ッ!」


 轟音と共に激しい水飛沫が上がった。


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