第四章 宝剣抜刀 壱
突如現れた妖魔の大群に、交易都市カリュウは混乱に包まれている。
その町の一角にある空き倉庫の中。その片隅に人影が三つ。
「……おトさん……おカさん」
行商人リブンの娘リホウは、心配そうに両親の名を呼ぶ。
心配をかけまいと泣き出す事こそ堪えているが、その声は涙に濡れている。
「大丈夫。大丈夫だよ、リホウ」
リホウの母リヨウは少女をしっかり抱きしめると、出来る限り穏やかに声をかけた。
「何、心配すんな。あんな化け物達なんぞ、タイコウの兄ちゃんがチョチョイと退治してくれるさ」
父リブンも努めて陽気にリホウを励ます。
彼の手には、タイコウが首都に運ぼうとしていた雪割りが握られている。リブンでは刃を抜く事は叶わなかったが、破魔の力があるらしいこの刀を手にしているせいか、これまで不思議と妖魔との遭遇は少なかった。
「でも、その刀。タイコウにわたしておいた方が良かったのかねぇ」
心配そうな表情で呟くリヨウに、リブンがカカと笑って見せた。
「リヨウ、あいつの話をちゃんと聞いてなかったのか? あいつはこの刀で妖魔を退治するわけじゃねぇんだ。使えない刀を持っていても邪魔なだけだろ。無事にタイコウが務めを果たしたらわたせばいいんだ」
リブンがそう言ったものの、リヨウの憂い顔は晴れない。
「タイコウ。大丈夫だよね……」
「心配しすぎだって。あいつなら何かデカイ事やらかしてくれるって俺は確信してるね。そんな男がこんな所でくたばんねぇさ」
そう言っているリブンも、内心は不安の塊ではあるのだが……。
それから少しも経たないうちに、親子三人が隠れる空き倉庫の扉が音を立てる。
「何?」
涙声で問うリホウに父親が笑いかけた。
「タイコウだ! きっと外の化け物やっつけて俺達を助けに来てくれたんだ!」
「あれ? でも、私はタイコウに明日店を開く場所は言ってないよ。それにこの騒ぎでその場所からも逃げてきてんだから……」
リヨウがそう言い切るのと同時に倉庫の扉が打ち砕かれた。
それは、外にいるモノが扉の開け方も知らないようなモノだという証明。同時にタイコウでは無いという証明。
「この早とちり! アンタ、あの化け猫のどこがタイコウだって言うんだよ!」
倉庫に入ってきた人より大きな猫を指差し、リブンの後頭部を叩くリヨウ。
「こんな状況でいちいち頭叩くなよ!」
「おトさん! おカさん!」
こんな状況でも普段と変わらないやりとりをする二人に、リホウが力一杯しがみ付く。その声は、もういつ大泣きしてもおかしくないほど涙を含んでいた。
化け猫はじわじわ間合いを詰めてくる。
「クソ! 寄るな、来るな! 俺達食っても美味かないぞ!」
雪割りを鞘ごと振り回して追い払おうとするリブン。しかし、彼の言葉を妖魔が聞き入れることも無い。
獲物である親子が射程距離に入った瞬間、化け猫は弾かれたように三人に飛びかかる。
「……!」
その時。
少女は自分を抱きしめる母を呼んだのか。それとも娘と妻をかばおうとする父を呼んだのか。はたまた二人共呼んだのか。もしくは、ただの悲鳴だったのか。それは彼女自身も覚えてはいない。
そして、その声は別の場所から発せられた音によってかき消された。
「活!」
次の瞬間、三人の横の壁が砕け散り、一つの影が倉庫に飛び込んできた。
襲いかかる妖魔から隠すように両親に抱かれたリホウ。彼女がその二人の隙間から見たのは、空き倉庫に飛び込んでくる見慣れない部族の服を着た青年と朱の毛並みの虎。
タイコウではない彼は、妖魔とリホウ達の間に入るとリブンが持っている雪割りの柄に手をかけ……。
「おっしゃあぁぁぁッ!」
気合一閃。
青年リクスウの手によって鞘から飛び出した刀身は、青白い弧を描いて化け猫を両断した。
切り飛ばされ二つになった妖魔の亡骸は、青年とリブン一家の両脇へと墜落。リクスウは倉庫に侵入した妖魔達を瞬く間に切り捨てると、タイコウの師オウシュウの作った刀を感心したように眺める。
「いやはや、まったく。こいつはタイコウの師匠の爺様に感謝するぜ」
そう言って術で壁を破ったタイコウの方を向くリクスウ。
だが、そのタイコウからの返事は無い。彼は倉庫の中に入った途端降ってきた妖魔の亡骸に押しつぶされ、なんとか抜け出そうと悪戦苦闘の真っ最中だった。
「まさかとは思ったけど。まさかホントにリクスウが雪割りを抜けるなんて……」
リクスウとリブンに助け出されたタイコウは、隻眼の青年が持つ抜き身の雪割りを見てもまだ信じられないという表情。
「抜けると思ったから、俺にこの刀を託したんだろ? もう少し俺を信じろって」
それは確かにそうなのだが、それでもタイコウは驚きを抑えられないでいる。
「危ないところを助けてくれてありがとよ。タイコウとえーっと……」
「俺はリクスウ。タイコウと同じく首都を目指して旅をしてんだ」
そうリヨウに名乗ると、彼女の背中からリホウがひょっこりと顔を出した。
「ありがと! タイコウおニーちゃ、リクスウおニーちゃ、虎のおいさん!」
さっきまでの涙声はどこへやら。リホウは満面の笑みを浮かべて言う。
しかし、その礼を言われた二人は少女に笑みを返すどころか、驚愕に顔を引きつらせてリホウを見た。
「……リホウ。今、虎のおじさんって言った?」
「うん」
タイコウの問いに素直に返すリホウ。両親の方は首を傾げている。
「リホウ。それはどなたさんだ?」
「え? だって、リクスウおニーちゃの後ろに立ってるよ」
リホウは間違い無く虎の相を持つトウコウの姿が見えているらしい。
「まさか、リホウが見てる虎のおじさんってのは……」
「幽霊!」
再び娘を庇うようにして抱きしめるリヨウとリブン。二人に挟まれたリホウだったが、今回は妖魔を前にした時のように二人の不安が感染する事は無かった。
窮屈だと言わんばかりにリホウがもがく。
「おトさん、おカさん。この虎のおいさんは悪い人じゃないよ」
直感でそう感じたらしく、リホウは平然とした顔で言う。
(リクスウが雪割りを抜いたのもかなり驚いたけど、リホウにトウコウが見えるってのも相当驚きだ)
内心そう呟きつつ、タイコウも二人を落ち着かせるべく説明を始めた。
「リブンさんもリヨウさんも落ち着いて下さい。リホウが言うように虎のおじさん……トウコウと言うんですけど。彼は妖魔と違って僕達を襲うようなことはなくて、えーっと、リクスウ。説明を頼めるかな……リクスウ?」
そう言えばさっきから彼が一言も喋っていない。タイコウよりもリクスウの方が多弁なはずなのだが……。
不思議に思ってリクスウを見ると、彼は未だに呆けたように立ち尽くしていた。
「リクスウ。リホウにトウコウが見えるって驚くのはわかるけど、三人に説明を……」
「……可愛い」
「はい?」
リクスウが相変わらず呆けたまま呟く。その言葉の意味を図りかねて問いかけるタイコウ。
「リクスウ?」
持っていた魯智で彼の肩を叩き、もう一度名を呼ぶ。
耳元でシャランと鳴る錫杖の金輪に、ようやくリクスウは我に返った。
「あ、ああ。タイコウ。どうかしたか?」
「みんなにトウコウの説明を。妖魔が減っているうちに妖魔の世界とつながっている場所を探しに行きたいから、なるべく手短に」
「お、おう。俺にはトウコウって人の霊が憑いてるんだ。俺の先祖にあたる人で、今は無きコウハ族の族長をやってた男だ。それで自分の部族を滅ぼされた恨みで、成仏できずに霊体になって現世に残ってる。このトウコウが取り憑いているおかげで、俺自身不思議な力を持ったんだ。それで俺は道士の真似事をするようになって、今度の首都の道士募集にも参加する事にしたってわけだ」
リブン一家に、というよりはリホウに集中して説明するリクスウ。
彼のその様子に、タイコウは一つ溜息をつくとリブン達に向き直る。
「魯智の……この錫杖が言うには今回の妖魔の大量発生は誰かが故意にやったもので、その誰かが使った術を止めれば妖魔の出現を止められるらしいんです。それで、これから僕とリクスウでその術者を探そうと……」
そこまで言うとリホウが両手を上げ、タイコウを注目させる。
「アタシも行く!」
「ダメだ!」
即答で返したのはリブンでもリヨウでもタイコウでもなく、少女になにやら熱い視線を送っていたリクスウその人。
「君みたいな可愛い子を危険に近付けるわけにはいかねぇよ。術者をぶっ飛ばす勇姿を見せられねぇのは残念だが、それ以上に君のことが心配でしょうがないんだ」
リホウの上げた両手を、ギュッと握り締めて熱く語るリクスウ。
「……まあ、危険なのは確かだし。リホウは連れて行くわけにはいかないね」
隻眼の青年の行動に呆れつつ、タイコウもリホウに言い聞かせる。
「ここで待っていてくれ……。俺は必ず君の元に帰ってみせるから」
「とにかく、行ってきます。ほら、いつまでリホウの手を握ってるんだよ、リクスウ」
タイコウに背を突付かれ、リクスウは名残惜しそうにリホウの手を離した。
「お父さん、お母さん。リホウちゃんをお願いします」
「言われんでも娘は守る」
真顔で言うリクスウに、リブンはいささか不機嫌な調子で言い返す。
「行っといで。無事に帰ってきなよ」
リヨウの方は、なにやら面白い発見をしたと言いたげな顔で二人を見送る。
リクスウが二人に深々と一礼して歩き出すと、彼等のやりとりを眺めていたタイコウもそれに続く。
入ってきた壁から出ようする青年二人をリホウが呼び止めた。
「タイコウおニーちゃ、リクスウおニーちゃ、トウコウのおいさん。アタシ、ちゃーんと待ってるから絶対に帰ってきてね。絶対、ゼーッタイだよー!」
両手を振って見送る少女に、タイコウは軽く手を振り返す。リクスウは……。
「燃えてきたぁ! 行くぞタイコウ、とっとと悪党ぶちのめして凱旋だ!」
……感無量といったところか。雪割り片手に、怒涛の勢いで外へ駆け出していった。
(まあ、元気になってくれるのは結構なことだ。……恋は人を変えるなぁ)
ぼんやりとそんな事を考えつつ、タイコウは魯智を手にリクスウを追う。
「いやー、リホウも随分とイイ男に惚れられたもんだねぇ」
ニンマリと笑みを浮かべつつ言うリヨウ。
「何がイイ男だ。どこの馬の骨ともわからない輩に大事な娘を渡せるか!」
対するリブンは憮然としている。
「そうかい? バカなところなんか誰かさんとそっくりだ。イイ男だよ」
「誰が誰に似てるって?」
「ま、アンタがどう言おうと、こればっかりはリホウが決める事だからねぇ」
「いいや、許さん!」
両親が話す間で、話題の中心である当のリホウは二人の会話の意味が読み取れず、右へ左へと首を傾げた。