第三章 隻眼道士 弐
「……何が目的だ?」
「いや、だから何の事だかさっぱりわからないんだけど……」
「コウハ族の装束。朱の毛色の虎人。トウコウの事が他のヤツに見えるはずがねぇ。おまえはこいつの事を誰から聞いた? いったい何を企んでんだ?」
「トウコウって……キミ、さっきのあの化け物の事知ってたの?」
驚きの声を上げるタイコウに対し、青年は少し考え込むと溜息をつく。
「なんか、話が噛み合わねぇな。ここからはお互い正直に話そうや。ひとまず、俺はリクスウって名前だ。キミって呼び方はやめてくれ」
「あ、ああ、わかったリクスウ。僕の名はタイコウ。よろしく」
「で、だ。タイコウ、おまえはトウコウの事が見えたんだな?」
「トウコウってのが、リクスウがさっき言っていた容姿なら……」
そう条件を付けてからタイコウは頷いてみせる。
「そうか。トウコウの姿が見えるのか……。ってことは、タイコウは妖怪退治とかやってる道士様ってわけだ。いやはや、こいつはホントに驚いたな。本物の道士に出くわすとは」
一人感心する青年リクスウ。
「すると、タイコウも首都のコウランへ向かう途中だったのか?」
「僕もってことは、リクスウも?」
リクスウの言葉に、自分が道士では無い事を訂正するのも忘れて問い返していた。
「これでも道士の真似事をやってるからな。せっかく稼ぐ機会だし行かなきゃ損だろ。あくまで真似だけで本物の道士なんかじゃないが、そこらへんの名前だけで何も出来ないニセ道士なんかと一緒にするなよ。道士の真似事だと言ってもトウコウの力で妖魔は退治できるんだ。今、コウランで欲しているのは本物だろうと偽物だろうと関係ねぇ、妖魔を倒せる力だ。違うかい?」
「あの化け物の力で妖魔退治を?」
「まあ、はたから見れば化け物だよな」
カカと笑い飛ばしてから、リクスウは少し真面目な顔でタイコウを見る。
「なぁ、タイコウ。サイハクって町は知ってるか?」
「いや、長くレイホウを出たことが無かったから、あまり他所のことは……」
「それほど大きな町でもないし、知らないのは仕方がねぇな。とにかく、ホウ国の南西部にサイハクって名の小さな町がある。俺の生まれ故郷だ」
「はぁ……」
リクスウの生まれ故郷とトウコウという化け物が、どう関係するのだろう……。
そんな疑問からか、どこか気の抜けた返事を返すタイコウ。
「ホウ国が今の領土に広がるより少し昔、サイハク付近はコウハと呼ばれる部族が収めていたんだ。武勇に優れた者が多い部族でな。周辺にいた他の部族には、相当恐れられていたらしい」
だから、その部族とトウコウという化け物が、どう関係するのだろう……。
「そんな血気盛んな荒くれ者達を束ねていた男の名がトウコウ」
「あの化け物は、その人物から名を貰って名付けたということ?」
「話は最後まで聞いてくれよ、タイコウ」
彼の早とちりを軽く笑いつつ、リクスウは話を続ける。
「俺の背に憑いているのは、今言ったトウコウその人なんだよ」
「な?」
その一言にタイコウは驚いていた。
あのトウコウの顔は虎に似た人物ではなく虎そのものだ。体を覆っていた朱色の毛にしても、毛深いでは済まされない。いかにも獣という感じで、あれを人と呼ぶのはどうかと思うのだが……。
「虎が部族を収めていたということ?」
その問いに、リクスウはカカと笑う。
「生きていた時はちゃんとした人だったみたいだぞ。まあ、気性は獰猛な虎だったらしいがな。死んでからその気性が人相風体にまで出てきたってことなんじゃないか?」
「なるほどね。でも、どうしてまたその部族の長が……」
「化け物じみたなりをして俺に取り憑いているのか、か?」
リクスウが繋いだ言葉は、タイコウの疑問そのものだった。タイコウは頷いてみせると彼の答えを待つ。
「コウハ族は個々の腕っ節は凄かった。だが、悲しいかな、知恵が足りなかったらしい。当時急速に勢力を広げていったホウ国によって、コウハ族は滅ぼされちまったんだ」
タイコウはその話に心当たりがあった。
初代ホウ王に仕えた軍師コウタツが神算鬼謀の策略をもって周辺諸国を制圧し、今のホウ大国を作り上げる話。その数々の戦いが講談で取り上げられたり、中には半分以上神話化した昔話として子に聞かせたりと、ホウ大国の者なら誰しも耳にする話だろう。
「確かにホウ大国は大陸の半分を収めて、その後も繁栄しつつ現在に至っちゃいるが、トウコウとしては滅ぼされた部族の長として恨み辛みがあるんだろうな。だから、黄泉路を辿ろうともせずに、あんななりでこの世に留まってるわけだ」
「その話からすると、リクスウはその部族に何か関係がある人?」
彼がコウハ族の長に似た鎧を着ているのだし、納得の行く話だ。
「関係も何も、部族の生き残りさ。もっと詳しく言えばトウコウの血族の生き残りだ。だから取り憑きやすいのか別の理由があるのかは知らねぇが、トウコウは俺に取り憑いていて離れない。別に害があるわけでもないし、いろいろと手を貸してくれるから俺も大して気にしてないんだが……」
「手を貸す……?」
「トウコウの力が妖魔に通じるからな」
トウコウの力という言葉にタイコウは首を傾げていると、リクスウが身を起こす。
「俺はコウハ族の血のせいか、小さい時から喧嘩には自信があった。だから、自分の腕を頼りに用心棒みたいな事をやって……。あの頃は負け知らずだったし、自分の力を過信してたんだよなぁ。それで、腕を見込まれて頼まれた妖魔退治も、報酬が良かったんで二つ返事で引き受けた。その結果がこれだ」
言うと傷で塞がれている右目を指差してみせる。
「なんとか妖魔退治はしたものの、こっちも大怪我を負った。それからは妖魔退治なんぞ耳を貸さなかった。命がいくつあっても足りやしねぇしな。そんで、ある日突然トウコウに取り憑かれた。最初は驚いたぜ。自分の背中に虎の化け物がいたんだからな。でも、しばらくしてトウコウの正体もわかって、こいつの持ってる力を自分の意のままに操る事ができるようになった。蛇の道は蛇って言うんだったか? 怨霊と化したトウコウの爪や牙は妖魔を傷付ける力があった。おかげで俺は妖魔と対等に戦える力を手に入れたってわけだ」
「それから道士の真似事を?」
「そういうこと。首都の騒ぎが起きるまではホウ大国を転々と……。そうだ、タイコウ。どうせ目的地は同じなんだ。首都まで一緒に行かねぇか?」
まるで飲みにでも行くかのように。とても妖魔退治に向かうとは思えない軽い調子で、リクスウが問いかける。
タイコウにとっても、彼の申し出はありがたい話だ。
リクスウの強さは飯店での乱闘騒ぎで充分わかった。魯智無しでは戦う事さえ満足にできないタイコウからすれば、彼が同行してくれるなら心強い限りである。
「ああ、そうしよう……」
リブン一家の店を手伝う話が脳裏を掠めたが、もともと明日旅立つつもりだったのだ。明日改めて謝ることに決める。
「僕は明日この町を発つつもりだったのだけど、それでいいかな? 何か用事とかは?」
「ああ、構わない。もともと偶然立ち寄っただけの町だからな」
そう言ってリクスウは再び横になり、眠りにつく体勢に入った。
「明日朝一番に出るとしても、次の町までは一日では辿り着けねぇ。とりあえず、今は充分休養を取っておこうや」
言うが早いか欠伸一つ。
タイコウもリクスウに習って横になると目を閉じ、体を休める事にした。
いったいどれほど眠っていたのだろうか。
格子窓からの射す夕日で牢の床に作られていた朱色の四角は、今は月明かりで淡く冷たい白に変わっている。
(夜か……鼓動がやけにデカく聞こえるな)
目覚めたリクスウは自分の昂ぶりに違和感を覚え、寝ていた身体を起こす。
起きると改めて感じる。自分が本能的に周囲の気配をうかがっている事に。
何かいる……そうでなければ、何か来る。
彼に憑いているトウコウと自分の六感が警告している。
「タイコウ、起きろ。おい、タイコウ!」
「んあ? どうしたの、リクスウ」
向かいの牢屋から聞こえる寝ぼけた調子のタイコウの声。
「何か感じないか、タイコウ?」
「感じる……?」
まだ夢心地な声だ。
しばらくするとリクスウの目が闇に慣れだし、寝ぼけた調子で周囲を見回しているタイコウの様子が見て取れた。
「……ああ、そういえば牢屋に入れられていたんだ」
「起きろって、タイコウ。おまえさんも道士なら何か感じるだろう」
「道士? 誰が?」
「タイコウがだ! いい加減目を覚ませ」
「僕は鍛冶屋の見習だよ。道士じゃ……」
言葉が止まる。タイコウの視界が、夢の中から現実のそれを見つめるようになる。
「そうだ、リクスウの誤解を解いておかなくちゃいけなかったんだ」
目のほうも暗闇に慣れてきていた。タイコウはリクスウのいる牢に向いて話し出す。
「誤解?」
「昼間言い忘れていたんだけど、僕は道士じゃないんだよ。西のレイホウという山村に住んでいる鍛冶屋の見習なんだ」
「まだ寝惚けてんのか?」
いいかげんにしろと言いたげな視線をタイコウに向けるリクスウ。
「もう起きたよ」
「昼間騒いでいた時、俺に殺気満載の変な術をかけようとしてたろ。知らないなんて言わせねぇぞ。ただの鍛冶屋がそんな物騒な真似が出来るかよ」
「あれは僕の力じゃないんだよ。僕があの時持っていた魯智……あの錫杖の力なんだ」
「あの古ぼけたヤツの?」
正直な意見を言うリクスウに、タイコウは思わず苦笑いしていた。
「まあ、見た目は古ぼけてるかもしれないけど、あの錫杖には目に見えない不思議な力があってね。貰い物だから詳しい事は僕にもまだよくわからないけど、とにかく魯智のおかげで僕はトウコウの姿が見えたし、危うくトウコウを倒してしまうところだった」
タイコウの言葉にリクスウが笑う。
「なんてこった。あんたも偽物の道士ってわけかい」
「僕は偽物の道士でもなく、ただの鍛冶屋見習だよ。僕が首都に向かっている理由は師匠が作った雪……」
そこでタイコウは言葉を止める。いや、驚愕に言葉が詰まったという方が正しい。
向かいの牢にいたリクスウがふいに目を見開いて右腕を振り上げたのだ。その目は殺気に溢れ、タイコウの体が竦む。
「頭下げろ、タイコウ!」
その言葉に、タイコウは弾かれたように頭を抱えて伏せる。
リクスウが腕を振り回したところで、こちらの牢に手が届くはずが無い。頭ではそう思っているのに、腕ではない何かが届いてくる危機感から本能的にそうしていた。
「ギィアァァァァッ!」
リクスウが振り上げた腕を振るう音。その直後に牢に背後から響いてきた人外の者の苦悶の叫び。
「チッ、仕留め損ねたか……」
タイコウは伏せていた頭を上げ、舌打ちするリクスウを見る。
自分の背後、牢の外に何かいた。リクスウは何かを投げつけたのか? そんなもの持っていたとしたら牢に入る前に取り上げられる。では、どうやって?
「タイコウ、牢を出るぞ。妖魔はあいつ一体だけじゃないらしい。とっとと片付けねぇと怪我人どころか死人が出ちまう」
「え? でも、どうやって……」
問いかけようとしたタイコウだったが、その問いの答えは言葉無しで出された。
リクスウは先程より少し軽く腕を振り上げると、目の前の格子に向けて振るう。牢を閉ざしている格子は、刃物か何かで切りつけたかのような切り口を作って壊れ落ちた。
「言ったろ? トウコウの力を自分のものにしたって。トウコウの爪にかかりゃあ、こんな牢屋なんぞ……」
言いながらタイコウの牢に向けて、同じように腕を振るう。
目の前を殺気ある何かが通り過ぎ、腰を抜かしたタイコウ。その視界にあった格子はトウコウの牢と同様切り崩されていく。
「紙細工みたいなもんだ」
リクスウは彼に少し自慢げにニッと笑って見せた。