1 前書き
ACと名乗る差出人から、台場の公園に集まるようにと云う謎のメールが届いたのは、2日前。宇奈月流雫が室堂澪と指定された場所に行くと、高校生6人と刑事、弥陀ヶ原陽介が既にいた。
流雫:
……このメンバーか……。そもそも誰が何の目的で……。
澪:
このACってのが気になる……。
流雫:
いや、心当たりが1人だけ……。
そこにスーツケースを持った人が1人、三つ編みにしたシルバーヘアを揺らしてやってくる。
アスタナ:
ルナ、久しぶり!
流雫:
母さん!?やっぱりだとは思ったけど……。
流雫が驚くのも無理は無い。そもそもフランスに住んでいる流雫の母アスタナが、何故日本にいるのか。スーツケースを持っているから、日本に着いたばかりか。
アスタナ:
そう、ACは私、アスタナ・クラージュのこと。全員判ると思ったんだけど。
流雫:
いや、作中でも室堂一家以外、母さんの名前を知らないから……。
澪:
ところで、今日は何を……。
アスタナ:
ああ、そうね。今日は、私のファウスト解説!
澪:
解説……ですか?
アスタナ:
ルナティックティアーズって、ゲーテの戯曲ファウストが時々入ってくるじゃない?
流雫:
そもそもモチーフがそれだし。
アスタナ:
だから、ファウストを知っていると話が判りやすくなるの。でも、名前こそ聞いたことは有っても話が難しいと言われるから、解説がいると思って。ほら、ドイツ文学と云えば私でしょ?
澪:
そうなの?
流雫:
僕がファウストを読めるし、作中でも読んでるの、母さんの影響だから。そもそも隣国の話だし。僕はドイツ語が読めないから、フランス語と日本語だったけど。
アスタナ:
それで、2部構成のファウストはドイツ文学史に残る名作ではあるけど、日本では難しく捉えられがち。でも、実際の中身はファンタジーなのよ。宗教や生き死にの世界を超えた、壮大なファンタジーの世界。戦も有れば恋愛だって有るわよ。カテゴリーは、悲劇だけどね。
立山結奈(澪の同級生):
アスタナせんせー。戯曲とは何ですか?
(手を上げる結奈)
アスタナ:
先生……いい響きね。……戯曲って云うのは、簡単に言えば脚本ね。やろうと思えば、そのまま演劇だってできるわ。実際、ベルリン演劇祭では8時間超もの長丁場でファウスト全編を上演したと云う話も有るし。小説じゃないから、読む感覚は違ってくるけどね。
アスタナ:
それで、ルナティックティアーズに関係している第1部と、第2部5幕の後半部分を簡単に再現してみようと思うの。……ルナ、オープニングでファウストになりたいと言っていたわよね?なので、ファウストはルナ風に。
流雫:
僕!?ま、まあ……それが判りやすいなら。
アスタナ:
メフィストこと、悪魔メフィストフェレスは……ヨウスケさん風にいこうかしら。男性でルナと一番仲いいから。
弥陀ヶ原:
でも俺が悪魔か……刑事なのに。あ、警視庁の弥陀ヶ原陽介です。流雫くんを何時もお世話してます。よろしく。
流雫:
弥陀ヶ原さん……。
(少し呆れる流雫)
アスタナ:
そして重要なグレートヒェンは、やっぱりヒロインだから澪さんっぽくね。
澪:
あたしが……?緊張する……。
アスタナ:
後の人物は、それぞれが適当に誰っぽいか当て嵌めて?
アスタナ:
先に断ると、戯曲で台詞ばかりなので、それに合わせて私たちキャストの会話も脚本風に合わせてあるわ。普段のルナティックティアーズとは全く違った書き方で、迷う人もいるだろうけど。
流雫:
誰に向かって言ってるの?
澪:読者でしょ?
アスタナ:
判りやすいように現代風に少しアレンジして、それぞれ割り当てたキャスト風の言いを当てて、脚色も入ってるからね?ただほぼ、話の本筋はこの通りよ。
アスタナ:前情報として大事なのは2つ、まずはファウストについて。元々は16世紀の学者ヨハン・ファウストについての伝説が死後に広まっていくの。黒魔術を使っていた、悪魔を召喚したと云う噂がきっかけね。それに基づいて色んな小説や戯曲などが生まれていったの。
アスタナ:
そして、深く関わってくるのがドイツの宗教事情。キリスト教が最大勢力で、しかも16世紀と云えば特に、キリスト教会が絶対的な権力を持っていた時代。だから、簡単に言えば神や神に関する学問……神学を捨てて悪魔メフィストフェレスと契約したファウストは、悪魔によって地獄に囚われる。これが神に対する裏切り者とされたファウストの、末路の典型的なパターンだったの。
アスタナ:
さあ、始めるわよ!