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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夜叉太郎

作者: 小城

 安土城地下1階の穴倉で、武器、弾薬と伴に、鎖で繋がれていた、夜叉太郎は、外で、人々が騒ぐ声を聞いた。

「何事か?」

 夜叉太郎は、別名を、加藤段蔵または果心居士と言った。彼は、安土城に、信長を尋ねてきて、捕まった。尋ねてきたと言っても、それは、彼の言葉であって、庶人は、忍び込んできたといった。

「天下に名を顕す安土の城を見物に参った。ついでに、織田殿の顔も、拝見仕りにきた。」

「下種め。」

 そういったのは、夜間、信長の寝所でのことである。

「蘭。曲者ぞ。」

 信長は、小用を頼むが如く、蘭丸を呼んだ。

「曲者!?」

 驚いたのは、蘭丸であった。よもや、この厳重な警戒の安土城へ、それも、信長が眠っている寝所へ、何食わぬ顔で、忍び込む輩がいるとは思わなかった。

「捕らえて、地下牢にでも入れておけ。」

 そう言うと、信長は、衾を被って、再び、眠りに就いた。

「ははは。よう言うた。」

「黙れ。下郎。」

 そんな信長に、敬意を表したのか、夜叉太郎は、素直に縛に付いた。その後、安土城の地下に幽閉されたのだが、一向に、沙汰がなかった。

「(そろそろ飽きたな…。)」

 夜叉太郎にとって、この穴倉を抜けることは、容易い。しかし、それでは、おもしろくないので、引き出されて、処刑される寸前に、姿を消そうと思っていた。

「(もう、二、三日、居て、何事もないようならば、大人しく逃げるか。)」

 そう聞くと、可笑しな話ではあるが、夜叉太郎には、それが可能であった。昼なのか夜なのかも分からぬまま、夜叉太郎は眠りに就いた。この眠りが、後に、夜叉太郎の命運を分かつこととなった。

「誰ぞ。おるようだな。」

 どのくらい眠っていたのだろうか。地下への扉を開けて、誰かが入って来た。

「何者だ?お前は。このような所に人がおるなど聞いておらぬぞ。」

「俺は、夜叉太郎。お前こそ。何者なのだ?」

「夜叉太郎?」

 侍と思われるその者は、質問には答えなかった。

「おぬし、右府の命で、寝所に忍び込んだ俺を処刑しに来たのではないか?」

「信長ならば、儂が殺した。」

「なに?」

 相手は明智光秀であった。彼は、本能寺で信長を襲撃すると、その数日後には、安土城へ入った。そのときの、城内検分のときが、今に当たる。

「お前は、賊か?まあ、かような所に囚われておるのは、賊に相違なかろうな。」

「その風貌。惟任日向か?」

「いかにも。」

「おもしろい。惟任。俺を仕え。俺を仕えば、おぬしに、天下を取らせてやるぞ。」

「お前の手を借りずとも、儂は、天下を取る。」

 光秀は、そう言うと、傍らにいた明智秀満に、夜叉太郎を槍で突かせた。

「ははは。」

 突然、夜叉太郎の周りに、煙が立ち込め、視界が聞かなくなった。

「曲者!?」

 煙の中を秀満は、槍で突いたが、手応えはなく、煙が晴れると、その場から、夜叉太郎は消えていた。

「妖しめ!」

「もうよい。」

 光秀は、秀満を連れて、地上へ出た。そして、光秀が、知ってか、知らずか。いつのまにか、その場にいる家臣の人数が一人増えていた。

「羽柴が、攻め上ってきていると?」

「数日中には、摂津に到着するかと思われます。」

「毛利への、密書は届かなんだか。」

 中国地方で、秀吉と対陣中であった毛利の軍勢に、密書を送っていたのだが、それは、秀吉によって、差し止められていた。光秀は安土城を出て、摂津に向かうことにした。山崎で対陣した両者であったが、明智へは、近隣の諸将も与することを渋り、反面、秀吉には、大坂の丹羽長秀、織田信孝らの軍勢も合流する手筈であり、総勢二万余となっていた。

「このままでは、おぬし、負けるぞ。」

「何だ?お前は。」

 軍議の最中に、やって来た侍がいた。

「夜叉太郎だ。よもや忘れたわけではあるまいな。」

「安土の…。」

「一日。待て。俺が何とかしてやる。」

 12日の朝、勝竜寺城で、軍議を開いていた光秀の下を抜けた夜叉太郎は、その足で、摂津高槻城へ向かった。

「各々方、お集まりか。」

 高槻城では、秀吉たちが、軍議を開いていた。

「では、先陣は、右近と瀬兵衛に決まりだな。」

「殿。客人にござる。」

「客?」

「天満宮の社人が、戦勝祈願に、菖蒲酒と舞を献上したいと仰せです。あっ。」

 伝令の侍の横を通り抜けて、遊び女一行が入って来て、突然、舞楽を奏で始めた。

「これ、止めよ!」

「さあさ、良いではありますまいか。」

 侍たちを尻目に舞楽は続き、社人が土器に注いだ菖蒲酒を秀吉たちに、配って行った。

「どうぞ。どうぞ。」

 社人に言われるがまま、一人、また、一人と、酒を口にして行った。

「それでは、これにて。」

「待たれよ…。」

 侍は、彼らを制止しようとした瞬間、地面に倒れた。見ると、秀吉を始めとして、その場にいる諸将らは、皆、地面に倒れ、息を失っていた。

「して、やられたわ…。」

 その中で、一人だけ、酒を飲まなかった男がいた。黒田官兵衛である。

「あのような毒、見たことがない…。」

 諸将が一斉に毒殺された後、噂はすぐに全軍に知れ渡った。離散していく、一万以上の兵士たちは、官兵衛一人で、どうにかできるものではなく、彼は、その阿鼻叫喚の地獄を、命からがら抜け出した。たどたどしい足取りで、官兵衛が向かっていたのは、信孝らの軍勢の下であった。彼らは、ほどなく、大坂から淀川を越えて、この地にやってくるはずであった。

「待てい。何者だ!?」

「羽柴筑前様。家来の黒田官兵衛と申す。火急の用件により、三七殿にお目通し下され。」

 息せき切る官兵衛の様子に、番兵も驚いた。すぐに、官兵衛は、信孝と長秀の下に案内された。

「火急の用件とは何ぞ?」

床几に座った信孝が、官兵衛に尋ねた。その傍らには、丹羽長秀が立っている。

「水を…。水を一杯下さらぬか…。」

「おい。水を持て。」

 兵士が一人、桶一杯の水に柄杓を入れて、 持って来た。官兵衛は、それを受け取ると、柄杓で水を掬い、がぶがぶと飲んだ。

「何があったのだ?官兵衛殿。」

 長秀が聞いた。

「明智の間者の手により、筑前様、池田殿、高山殿、中川殿ら、皆、悉く、毒死し、軍勢は雲散霧消致し候。」

「なに、それは、真の話か!?」 

 にわかには、信じられぬ話ではある。

「真にござる。妖しの如き仕業にて、某、一人だけが…。うっ…。」

 そこまで言うと、官兵衛は倒れた。口からは、血を吐いている。

「水か…!?」

 水を運んで来た兵士の姿はない。

「曲者ぞ!!皆の者、曲者ぞ!!」

 辺りは、いつの間にか、靄がかかっていた。

「殿。」

 信孝の下に小姓が一人、走って来た。

「曲者だ。気をつけよ。水に毒が仕込まれておる。」

「果て?それは、どなたかが、毒死致したのでございましょうか?」

「筑前殿からの、使者が殺された。とにかく、水だ。水を飲まぬように伝えよ。五郎左殿はどこに行った?おい、おぬし…。」

 今、そこにいたはずの、小姓の姿がない。

「どこに行った?」

 辺りは、一段と、靄が濃く、激しくなっていた。

「三七殿。」

 長秀の声がした。

「五郎左殿。どこだ?」

「こちらにござる。」

 靄の向こうからする長秀の声を便りに、信孝が進むと、靄の中から、長秀の姿が、現れた。

「どこにおったのだ?」

「果て?三七殿も、既に、こちらにいると思われたが、まだにござったか。」

「何のことだ?」

「冥土のことにござる。」

「冥土だと…。」

 信孝の両脇に、刀が突き立てられ、そのまま、血を吐き、信孝は、倒れた。

「丹羽五郎左衛門長秀。信長公の仇、織田三七郎殿を討ち果たしたぞ。くははは…。」

 晴れた靄の中から、信孝の御首級を持った長秀が、血刀を提げて、兵士たちの前に現れた。

「乱心だ!?丹羽殿が、御乱心なされたぞ!!」

 軍勢は混乱に陥った。

「くははは…。信長公。遅ればせながら、我も、お伴仕る。」

 そう言い、長秀は、持っていた血刀で、喉を切り、絶命した。高槻から、信孝の陣に至る道中には、心臓を突かれて、息絶えた黒田官兵衛の骸が捨てられていた。

 勝竜寺城にいた光秀らは、異変に気付くと、すぐさま軍勢を出したが、秀吉らの軍勢は、明智の軍勢が来るのを見ると、蜘蛛の子を散らしたように消えた。

「待たせたな。」

「一体、何をした。」

 秀吉たちの、亡骸を検分していた光秀の前に、夜叉太郎が、現れた。

「屠って来た。」

「化生が…。」

 光秀は、夜叉太郎を罵りはしたが、手出しはしなかった。おそらく、彼がいなければ、この戦は、負けていたであろう。

「あとは、おぬしに任せる。」

 夜叉太郎は、背を向けて歩き出した。

「殺しますか?」

「止めておけ。」

 傍らの斎藤利三が、進言したが、光秀は、それを制止した。

「それより、周囲を検分せよ。」

 夜叉太郎の姿は、既になかった。

 秀吉らの脅威を退けた光秀は、畿内、西国を一応は、平定した。毛利や長宗我部らと改めて、書状を交わし、上方が落ち着いたら、将軍を京へ迎える手筈となった。その間、北陸、東国の諸将が集合し、信長の弔い合戦を起こす気配を見せ始めた。

「越前の柴田、美濃の三介、三河の徳川。」

 相手は三方から、同時に軍勢を寄せて来るだろう。一方の光秀は、畿内を押さえたと言っても、それは、屋台骨のない仮屋住まいに過ぎず、大合戦をするには、烏合の衆でしかない。

「お困りの様子だな。」

 安土城で、地図を開いていた光秀の前に、鼠が一匹現れると、その鼠が、口を聞いた。

「何の用だ。」

「存知ておろうが。」

「また、手出しをするつもりか?」

「呆れたことを、おぬしだけでは、どうすることもできまいに。」

「好きにしろ。」

 光秀は少し黙ったあと、そう打ち捨てると、再び、地図に目をやった。数日後、日を同じくして、柴田勝家、織田信雄、徳川家康の三大名とその重臣たちが、一斉に、死んだということを聞いた。

「柴田は、血を吐き、織田は、乱心し、徳川は、家臣に討たれたと。」

「急ぎ、兵を出すぞ。」

 光秀は、にわかには信じられないその報せを、信じた。秀満を越前に、利三を伊勢に、自らは美濃に、それぞれ軍を率いて出陣した。ほどなくして、それぞれの国は、明智に服属し、三河、遠江も、明智に臣従を誓った。

「これほどまで早く、天下を治めるとは、真、大儀である。」

「いえ。未だ、諸国には、乱世の武者共が、出張っております故、彼らを平らげずば、将軍様の天下は成りませぬ。」

「よう言うた。真、頼りにしておるぞ。」

 京へ、将軍を迎え、自らは、副将軍の位に就いた光秀は、権威と武力を持って、念願の天下平定を推し進めた。それは、信長とは違い、従来の権威に寄った半ば、停滞した中世的色合いの政権であった。

「何用だ。」

「久しぶりだな。」

 今は、光秀の居城となった安土城で、彼が執務を取っている中、夜叉太郎が姿を現した。

「今日は、変装しておらぬのか?」

「必要ないのでな。して、惟任よ。おぬし、天下は取れたか。」

 夜叉太郎は、光秀の目の前に座った。

「何故、そのようなことを尋ねる?」

「約束したであろう。おぬしに天下を取らせると。」

「何が欲しいのか?」

「何もいらぬよ。ただ、ひとつ、俺が、欲しいのは、おぬしの誠心まことごころよ。」

「誠心だと?」

「そうよ。主を殺しまでした、おぬしに、誠心はあるのかと思うてな。」

「信長と儂は違うわ。天下は、将軍様のものだ。」

「違うな。天下は天下のものだ。」

「戯れ言を…。」

 光秀は、既に、この妖しとの問答に飽きていた。

「金なら、くれてやる故、どこへなりとも失せるがよい。」

「惟任。それが、おぬしの誠心か?」

「下種め…。」

 光秀は秘かに、間合いを詰めつつあった。彼は、流浪時代に、ひととおりの兵法を収めていたので、座位での刀の扱い方も、心得ていた。生憎、夜叉太郎は、柱を背にしている。

「死ねっ!」

 抜き打ちの刀が、夜叉太郎を斬った。

「ははは…。それが、おぬしの誠心か。見えたぞ。おぬしという人間が。惟任。おぬしに天下は取れるまい。」

 夜叉太郎は、体が上下半分に別れた、そのまま消えた。

「どこに行った?」

 光秀が気が付くと、そこは安土城の地下1階にある穴倉であった。

「どうなされました?」

 傍らにいる秀満が尋ねた。光秀の手に刀はなく、それは、腰に納まったままであった。

「今、そこに誰かおらなんだか?」

「おい。」

 秀満は、家臣に命じ、穴倉を探索させた。本能寺から数日経った、今、光秀たちは、安土城に入り、城内を検分しているところであった。

「武器、弾薬の他は、なにもございませぬ。」

「左様か。ならばよい。行くぞ。」

 光秀たちは、地下に通じる扉を閉めた。それから、更に、数日後、山崎の地で、光秀は、秀吉に敗れ、この世を去った。


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