パターンA:何も始まらなかった
「公爵令嬢様、ご婚約なさるとか。おめでとうございます」
「まぁ、伯爵令嬢、お祝いを言っていただくのは嬉しいのですけれど、その話はなくなりましたのよ」
「ええ、存じ上げず、失礼を……」
「お気になさいますな。決まったばかりですもの。それにしてもあなたの情報収集能力は相変わらず素晴らしいわね」
茶会に出ればこの伯爵令嬢が話しかけてくるのは判り切っていた。社交界きってのゴシップ好きのスピーカー令嬢。
彼女に『内緒ですわよ』とか『ここだけの話ですけれど』なんて打ち明け話をすれば、3日もせずにそれは社交界に知れ渡る。
だから、わたくしたち高位貴族の令嬢はマウントの取り合いに彼女を利用することも多い。当然、わたくしの狙いもそれ。
「確か、婚約のお話があったのは侯爵家の御嫡男とか」
「ええ、一人っ子ゆえにご両親が是非にも良縁をと張り切って我が家にお話がまいりましたの」
侯爵家の領地経営には何の問題もないし、犯罪とも無縁。高位貴族としては可もなく不可もない、特徴も何もない家だった。つまり、我が家には特に旨味もないが、すぐに断るほどでもない。
そこで、わたくしは専属のお庭番に指示し、徹底的に侯爵家を調べた。嫁ぐ可能性の高い家のことを知るのは大事なことだから。
「けれどねぇ、侯爵家にお子はお一人のはずなのに、なぜかご子息より一つ年下の女性が同居していたのですわ」
侯爵家とは親族でも何でもない。侯爵夫人の学生時代の取り巻き令嬢の娘がその女。それだけの関係なのに、なぜかその女は侯爵家に我が物顔で居座り、娘同然に扱われているとか。見た目は相当可愛らしく、病弱らしいこともあって、屋敷の使用人にもお姫様扱いされているらしい。
お庭番からの報告でその女の存在は家族も知っていた。だから、様子見していたのだが、何故か、両家の顔合わせにも当然の顔をして彼女も同席していた。
そして、わたくしにマウントを取りに来た。曰く家のことも婚約者候補のことも良く知っているから教えてあげると。
それを婚約者候補も侯爵夫妻も咎めない。剰え妹と思って仲良くしてねと宣った。
図々しくも愛人の同居を認めろ、愛人を立てろというその言葉に、普段は温厚なお父様が切れた。
本当に愛人かは判らない。お庭番もそこまでの証拠は掴めなかった。けれど、何故赤の他人の同居を認めないといけないのか。
なので、その場でこの話はなかったことになった。
そもそも女の親は一代限りの准男爵。その娘が公爵令嬢であるわたくしに許可もなく口をきいたのだ。それだけで十分に不敬だ。
お母様は王女の孫で、とてもプライドが高い。まぁ、そのせいで中々わたくしの婚約が決まらなかったのだけれども。
侯爵夫妻は慌てて、結婚後は自分たちと共に領地に行くからなどと言っていたけれど、子息と女が馬鹿だった。嫁に来るのだから婚家の方針に従えと居丈高に言い放ったのだ。馬鹿か。
ということで、お母様もブチ切れた。めでたく婚約話はご破算となったわけである。
様子見する必要もなかったなと、帰りの馬車でお父様が呟いた。侯爵ご本人は善人だったから、彼の顔を立てる意味で顔合わせまではしたのだけれど。愛人もどきの存在が明らかになった時点で断ればよかったのだ。
尤も、わたくしが行き遅れになりかけているゆえの焦りも両親にはあったのだろう。娘可愛さに選り好みをしていたからこうなったのに。
と、まあ、そんなことを伯爵令嬢に話せば、伯爵令嬢の目はギラギラと光っていた。
後日、侯爵子息は社交界で侮蔑の視線に晒されることになった。
愛人もどきをエスコートして夜会に参加しようとすれば、門前払い。侯爵家が参加するような夜会は准男爵家や騎士爵家といった一代貴族の参加を認めていないところが多いからそれも当然だろう。
なお、わたくしの夫選びは難航している。選り好みをまだ続けている両親にも問題はあると思う。これは自力で見つけるしかないかと溜息をついた。