変わりゆく世界の真ん中で
初めまして、胡椒の粗挽きです。今作は初めて小説家になろうさんにUPさせていただく作品です。高校生のサクラが大人になって友人の結婚式に参加するまでを短編で紡ぎました。つたない文章ですが、御一読いただけたら幸いです。
温かい季節。食べ物が美味しくなる季節。気分が上がる季節。そんなワクワクするような言葉を並べる同級生達をよそに、高峯サクラは凍り付いた表情で一言「視界がピンクに汚染される季節」と言い放ち、席に座った。高校二年生の春はこの日、サクラの中で国語教師の困ったような表情が最も印象的な季節に変わった。春が嫌いだった。花粉は飛ぶし、桜が散って庭の掃除が大変になる。そんな中で「春はどんな季節ですか?」なんて聞かれようものなら、サクラの表情は般若のごとく一変する。自分が嫌いだと言うだけで、授業にけちを付けるなど、言語道断と雪子は言った。
「サクラ~、かわいそうじゃんゆかりん先生~」
「え、だってどんな季節か?って聞くから。私にとって春は花粉との戦いの季節よ」
「そっちの方がゆかりん先生の傷は浅かったと思うなぁ。あたしは春好きだけどなぁ。サクラ綺麗だし」
サクラの前に座る安藤雪子はサクラの机に肘を置き、先程の言動に対し苦言を呈していた。良くも悪くもはっきりした性格のサクラと、細かいことは気にしない性格の雪子は入学当初からの仲だった。高校一年生の頃、ゴミ箱にゴミを投げ入れ、失敗しても拾わずに笑っていた男子生徒にゴミを持って詰め寄り、半泣きにさせた事から、女王と呼ばれていたサクラに、雪子が興味本位で話しかけた事がきっかけだった。奇妙な相手に初めこそたじろぎはしたが、サクラにとっては気を張らずに話せる良い友人になった。
「サクラはさ~好きな人とかいるの?」
「・・・・何急に」
雪子の興味は変わりやすく、ころころと話題が変わる。そんな秋の空のような雪子と過ごす時間が、サクラにとっては好きな時間だった。
「別にいないよ・・・」
サクラは恋愛に関する話を避ける傾向にあった。高校生と言う多感な時期。周囲の女生徒たちは、浮ついた話題で休み時間を過ごしている。サクラにとって恋愛に関する質問の返答は無意味の一言だった。
「いないの~?なぁんだぁ・・・」
恋や愛と言った言葉は色々な意味をはらむ割りに、使う人間はその用途を限っているように感じていた。雪子や他の女生徒達が使う“好き”という言葉と、サクラの使う“好き”は絶妙なずれを呈していた。
「昨日出てたお笑いの人は好き」
「もぉ~、そう言うんじゃないんだけどぉ・・・・」
明らかに不服そうな表情を浮かべる雪子に、内心「わかってるよ」とだけ口添えしておいた。
「そう言う雪子はどうなの?」
一応の礼儀として聞き返してみたものの、雪子が自分に恋愛関係の質問をするときは、決まった答えが返ってくる。
「聞いて!三組の大山君とね、偶然昨日帰り道一緒になって帰ったんだけど、めっちゃ面白くて!」
相手は時折変わるが、大抵、話してみたら印象が変わって、気になる相手になった、と言う話になることは、目に見えている。今回も口から三組の大山君への感情が湯水のごとく流れ出てきた。
「そんなにいい人だったんだ」
「そうなの!初めて会った時は身長高いからさ、怖い人かと思ってたんだけど、話してみたらめっちゃ面白いの!」
嬉しそうに、楽しそうに語る雪子。眩しく映るのはきっと恋をしているからだろう。恋というものが何なのか、サクラにはまだよくわからない。
放課後、校門を出てすぐに散った桜の花びらが地面を覆っていた。
「視界の汚染に加えて花粉での攻撃・・・」
小さく呟くとサクラはむずがゆくなる鼻を隠して小さくくしゃみを落とした。桜の花びらを見るだけでも鼻がむずがゆくなる気がした。鼻をすすりながらバス停へ向かうと、雪子が例の大山君と共に歩く姿を見かけた。腕を絡ませ、友人以上の関係が築けている事がよく分った。大山君は雪子の言うとおり身長が高く、鋭い目つきが特徴的だった。一見すると強面で、初対面ではたじろいでしまいそうなほどだったが、雪子に笑いかけるその顔だけで、悪い人間で無い事は容易に想像出来た。楽しそうに笑う雪子を邪魔してしまわぬよう、バス停の列から離れた。学校から徒歩十分程度の所に、今にもつぶれてしまいそうなほど古い、純喫茶がある。サクラは時折ここで小説を読んでから帰る。今日はその予定では無かったが、同じバスに乗って二人を邪魔することは避けたかった。やむなし、と年季の入った店の戸を開いた。ドアの上に着いていたベルが、高い音で揺れた。
「いらっしゃい」
ドアを開けた瞬間、珈琲の香りがぶつかってくる。充満する珈琲の香りを楽しみつつ、マスターの柔らかな声が、静かに流れるジャズと美味くかみ合って、店に入るだけで癒やされてしまう。
「一人です」
「お好きな席にどうぞ」
小柄で少しふくよかなマスターは、立派に整えた口ひげを持ち上げ、微笑んだ。ほんの少し老いの見える目元が、笑顔の愛らしい性格を表していた。この喫茶店で過ごす時間が、好きだった。サクラは決まって店の一番奥の席に座る。小説を読み始めると、暫く止らなくなってしまうので、できるだけ奥で邪魔にならない場所にいたかった。他に客は一人。カウンターに座ってスマホを片手にブラック珈琲をたしなんでいるようだった。
「何にしますか」
「あ、えっと・・・カフェオレのホットで」
「かしこまりました」
いつかブラック珈琲片手に小説を読む自分を妄想しながら、サクラは鞄から小説を取り出した。はさまれたしおりを頼りに、続きのページを探り当て、見覚えのある文字列と見覚えの無い文字列の境を見つけると、視線は既に行を追うことに集中していた。同性愛を自覚している男性が、世間の荒波に揉まれ、女性の友人と結婚する話。主人公の恋心が揺れ動く描写が好きだった。今まさに、女性との結婚を決意した男性が、交際していた男性に別れを告げるシーンまで来た。物語は終わりに向かっていた。別れを告げ、普通の結婚を選んだ主人公は、果たして幸せになれるのだろうか。そんな不安を抱え、サクラはページをめくった。しばらくは交際相手との口論が描かれており、何とか別れを承諾させたところで物語は次の章に移行した。そのタイミングを見計らったように、淹れ立てのカフェオレを、マスターがそっとテーブルに置いた。
「あ、ありがとうございます」
「ごゆっくり」
一度小説を置いて、淹れ立てのカフェオレを味わった。ちゃんと豆を挽いてから、抽出した本格的な珈琲に、ミルクを入れてしまう罪悪感が拭いきれなかったが、コンビニやスーパーで買うカフェオレとは違い、珈琲の高い香りが鼻を抜けた。珈琲の酸味はミルクの甘さに包まれて、優しい刺激だった。少し濃いめのミルクは、濃厚な舌触りで飲み込んだ後も、珈琲に負けないくらいしっかりとした味わいが口の中に残っていた。気分が上がったサクラは、小説を再び開き、物語の世界に没頭した。
二時間ほどして、病気に冒された主人公が死を迎えるシーンで、サクラは思わず泣き出してしまった。主人公の葛藤が、まさか死の間際まで彼を苦しめるとは。涙で歪む視界の中で、最後の行を追いきり涙を拭うためにハンカチを探っていると、マスターがホットタオルをそっと渡してくれた。
「あ、済みません」
サクラはここで自分が喫茶店にいたことを思い出した。店の中で小説を読んで泣き出してしまうなんて、今までに無い失態だった。マスターの厚意をありがたく受け取り、流れ出る涙と赤くなっているであろう目元をホットタオルで拭った。ふと気がつくと、飲みかけのカフェオレは既に冷たくなってしまっていた。もったいないと思いつつ飲み干そうと手を伸ばした瞬間、マスターがもう一杯カフェオレを運んできた。
「え・・・」
「冷めてしまっていたでしょう?素敵な小説に出会った記念に、サービスです」
「・・・ありがとうございます」
紳士的なサービスが、むずがゆく、嬉しかった。温かなサービスをしっかり味わってから飲み干した。同じカフェオレでも、気分の違いで味も変わるようだった。雪子達を避けバスを待つだけのつもりが、外は既に夜になっていた。スマホを見ると母親からの着信が何度か入っていた。
「やば・・・あ、ごちそうさまでした」
「はい、またどうぞ」
急いで会計を済ませ、サクラはバスに飛び乗った。なんだか物語の主人公になったような気分で、帰りの足取りはとても軽やかだった。
目を覚ましたサクラはスマホの時計を確認した。カーテンの隙間から差し込む光を見るに、まだ十分ゆっくりできそうだった。
「懐かしい夢みたなぁ・・・」
高校生の頃通っていた喫茶店。感じの良いマスターと珈琲の良い香りが大好きだった。ぼやけた頭で夢の思い出に浸っていると、スマホの画面に電話のマークと早苗と言う名前が表示された。
「おはよ~」
「サクラ、あんたもしかしてまだ寝てたんじゃないでしょうね?式の準備もう始まってるよ!友人代表挨拶するんでしょ?」
「え、でも集合は十一時って」
「いやいや、式に関係する人はもっと早く集まるんだよ!順番とか確認するんだから!」
「えぇ・・・そうなの?・・・・わかったすぐ行く・・・」
鋭い金切り声を上げた早苗は、大学に入ってからの友人だ。学部は違えど、雪子とサクラは同じ大学に進学した。その大学で高校からの仲の二人に物怖じせず、学食で話かけてきたのが早苗だった。さばさばした性格の早苗は豪快な性格で、サクラとも、雪子とも全く違うタイプの人間だった。それが二人にとっては心地よくもあり、気兼ねせずに一緒にいられる親友が増えたことをサクラは純粋に喜んだ。カレンダーの赤丸に雪子の結婚式と書いてあることを確認してサクラはベッドから這い出てきた。高校の頃の大山君とはとっくのとうに別れ、大学で出会った彼氏とも別れ、会社で会った年上の上司とゴールインを果たしたのだ。大きなあくびをしながら洗面所に向かったサクラは寝起きの暴れ回る髪の毛をブラシで整え、顔を洗った。
「結婚か・・・」
友人達の中でいの一番に結婚した雪子。明るく元気で、優しい雪子。いつも好きな人の話をする雪子は輝いて見えていた。結婚という文字を改めて口にすると、何だか酷く寂しい気持ちになった。まるで大切な物をなくしてしまったような、そんな気持ちがサクラの中に広がっていた。結婚は喜ばしい事のはずなのに、素直に喜べていない気がして、何だか申し訳なかった。
美容院で髪型とメイクを整えてもらい、サクラは駆け足で会場に向かった。
「やっときた!」
「ごめん~」
「あぁ、ほら走ると髪型崩れちゃう」
「あぁ~大変」
「ほら、やったげるから、座って」
豪快な性格だった早苗は、保育士として働いているせいか、しっかり者の姉御肌に変わっていた。
「まだ花粉酷いの?」
「うん、今は薬飲んでるから高校の頃よりマシ」
サクラは鼻を少しすすりながら市販の花粉症薬を早苗に見せた。高校生の頃は桜の季節が大嫌いだったサクラも、今では季節の一つとして受け入れていた。
「雪子は?」
「今ドレス着てるところ。めっちゃ綺麗だったよ」
「見た~い」
「・・・・結婚するんだね、雪子」
「・・・そうだね」
「なんか、変な感じ、大学時代いつも一緒にいたのに・・・なんか離れて行っちゃうみたい」
「うん・・・」
実際を思えば、会おうと思えば会える、食事に誘ったりする事だって問題はない。そのはずなのに、なんだか二人の心は曇っているようだった。
「ってなにしんみりしてんだろうね、アタシ達」
「そうだね」
サクラの紙を整えながら、二人は小さく笑い合った。
「新婦さんの準備整いましたよ」
ウェディングプランナーの女性が、二人の元に雪子を連れてきた。上半身から足下に至るまでスレンダーなシルエットが特徴的なドレスだった。腰元から脚を覆うスカートの部分は寄り集まって捻れ、巻き付くような形で、いわゆるマーメイドタイプのドレスを披露した雪子は、照れくさそうに微笑んだ。白い真珠やビジューがちりばめられたドレスが照明に当たってキラキラと輝いた。首からはダイヤのネックレスが存在感を放っていた。
「・・・・綺麗・・・」
「サクラ!早苗!」
興奮が抑えきれない様子で走り出そうとした雪子をプランナーが制止した。
「あ、そうかいつもみたいに暴れちゃダメなんだった」
舌を少しだけ出し、肩をすくめて見せた雪子は、いつもと変わらない雪子だった。
「凄く綺麗だよ、雪子」
「ありがとう~」
「綺麗・・・・本当に」
「やだ、サクラまで語彙力無くなってんじゃん」
サクラは大学時代を思い出していた。前日に見たテレビ番組について他愛も無い話で何時間でも一緒にいられた、あの頃が急に懐かしく感じて、いつの間にか目には一杯涙が溜まっていた。
「結婚おめでとう、雪子・・・」
「やだなんで?まだ結婚式始まってないじゃんっ」
「何だろ・・・凄い嬉しいのに・・・・」
「もぉ~なんで泣くのぉ~アタシ涙に弱いの知ってんでしょぉ~」
「ごめん~」
せっかく整えたメイクが崩れてしまう事を意にも介さず、三人は昔話に花を咲かせては涙を流した。プランナーの女性が困り果てた顔をしていたのは言うまでもない。
空間の一番奥の壁、正面を陣取った新郎新婦のための席。見慣れない男性と、気恥ずかしそうに座る雪子。プランナーに呼ばれ、マイクの前のサクラは、かなり緊張していた。話すことは事前に決めていたが、吹き飛んでしまったらどうしようかと不安だった。
「では、ご友人代表の高峯様より、ご挨拶をいただきます」
「っ・・・・」
多くの想いが喉につかえて、一瞬言葉を失ったが、雪子の顔を見て、せき止められた言葉が、一つ一つ確認するように零れ出てきた。
「えぇ・・・改めまして、高校時代からの友人の高峯サクラと言います。えっと、彼女・・・雪子は、とても挑戦的な性格で、変に真面目な私に構わず仲良くしてくれた、高校時代からの唯一、親友と呼べる間柄でした。あの頃の私は、彼女と過ごす毎日が楽しくて仕方がありませんでした。彼氏ができる度に、少し肩身の狭い思いをしたけれど、多くの人を好きになる、これは凄いことだと私は思っていました。どんな人にも必ず良いところがあり、雪子はそれを見つけることに長けていました。周囲がどんなに悪口を叩いても、彼女は一切悪口を言いません。むしろ良いところ見つけて、凄いと感心できるような、そんな心の持ち主です。大学では早苗とも仲良くなって、三人で一緒に旅行に行ったり、授業終わりにカフェで待ち合わせたり。三人で一緒にいる時間は、かけがえのない時間でした。人が嫌がりそうなことを率先してできる、ダメなことはダメと言わず、どう言えば相手に伝わるのか、そう言うことを考えて言葉を選んでくれる。こんなにも相手を思いやれる人を私は他に知りません」
思い出と共に、気づかなかった、見ない振りをしていた感情が、急に芽を出し始めた。
「私は・・・・そんな雪子が・・・・」
サクラは堪えきれず、涙を拭った。あの頃感じていた感情に、今更気づかされた気がした。思い出が枯れかけていた種に水を与えてしまっていた。
「そんな、雪子が・・・・大好きです」
大好きという言葉に込めた、自分でも計り知れない想いは、止めどない涙と共に押し流されていった。
「どうか雪子を、幸せにしてください」
新郎に向かって会釈をすると、サクラは雪子を見た。
「雪子・・・結婚おめでとう。大好きだよ」
押し込んでくしゃくしゃになっていた感情が、今大きくなってサクラを包みこんでいた。誰にも見せなかった、自分でさえも気づかなかった芽をそっと心の中で摘んだ。ふと、あの時読んだ小説を思い出していた。主人公の死ぬ間際の一言が、サクラの中で渦巻いていた。
「芽吹いてしまった気持ちを俺は何度も摘んでしまった。摘んでしまった芽はもう二度と咲かないと思っていたんだ・・・そう、思いたかっただけかもしれない」
あの頃は、好きと言う気持ちがよくわからなかったけれど、今なら、あの主人公の気持ちがよくわかるような気がしていた。
結婚式は無事終了し、皆一様に家路へと向かっていった。雪子は式の後片付けがあり、早苗は翌朝の仕事があるのだと足早に帰って行った。一人になったサクラは引き出物を手に、電車に乗り込んだ。何気なく外を見ていると、見覚えのあるバス停が見えた。高校時代使っていた路線のバスだった。つい懐かしくなって、次の駅で降り、バスに乗り込んだ。高校への道のりはあの頃の思い出が一つ一つ蘇るようだった。高校前のバス停で下りると、あの喫茶店へ足が向いていた。あれから七年ほど経っている。今にもつぶれそうだったあの店。あの小説を読んだ日から一度も行けていないあの店。楽しかったあの頃の思い出に引かれ、サクラはいつの間にか小走りになっていた。たどり着いた場所に、店はあった。今にもつぶれそうな外観が変わらずソコにある事に安堵し、オレンジ色の光に一歩足を踏み入れた。
「いらっしゃいませ」
「あ・・・・えっと・・・」
小柄でふくよかで、立派な口ひげをたくわえていたマスターは、髭の無い、髪もさっぱりと刈り込んだ壮年の男性に変わっていた。
「お一人様ですか?」
「あの・・・・はい・・・」
サクラは促されるまま、男性の目の前のカウンター席に座った。店の内装や席の数は変わっていなかったけれど、予想より客数が多く、あの頃決まって座っていた店の奥の席は、カップル座ってしまっていた。
「あの・・・・マスターさんって・・・」
「あ、先代、親父ですか?・・・二年前に他界しました」
憂いを帯びた表情の男性は、あのマスターの一人息子で、父親が亡くなる数年前から一緒に働いていたが、父親の死をきっかけに店を継いだのだという。
「そう・・・・なんですね・・・・」
「はい、結構親父の代から来てくれてたお客さんが多くて。でも、親父はもういない。二代目として受け入れてもらえるように頑張ります」
笑った目元が、あのマスターそっくりで、変わってしまった事のショックも少し和らいでいた。
「高校生の時、ここのカフェオレが好きだったんです。まだブラックが飲めなくて・・・・だから、大人になったら、絶対ここのブラック珈琲を飲むんだって思ってたんですけど・・・」
「じゃぁ、ブレンド淹れますね」
柔らかく微笑むと手際よく豆を挽き、ゆっくりと時間をかけて珈琲を抽出していた。ジャズの音色に、お湯が珈琲の粉を叩く音が心地よかった。程なくしてテーブルに置かれた珈琲を、一口すすった。アツアツの珈琲がほんの少し舌先に触れて、苦みと酸味が一緒に駆けていった。飲み込んで鼻から息を吐き出すと、ふくよかな珈琲の香りが広がっていた。カフェオレと違って、苦みも酸味も強かったけれど、想像よりもずっと深い味わいで、自分が大人になったことを実感した。
「おいしい」
「よかった。親父と全く一緒、とは言わないですけど、ありがたいことに常連さんからは近いって言ってもらえてるんです。一番最初に親父に習ったのもブレンドの淹れ方なんです」
「そうなんですね」
もう一口珈琲を口に含んで、雪子への想いも、懐かしく悲しく寂しいような、そんなこの喫茶店への想いも、全部を含めてブラック珈琲と一緒に飲み込んだ。美味しいとは思ったが、やはり苦みと酸味を強く感じた。もうあの頃の雪子はいない。喫茶店もマスターも、あの頃の面影はほとんど無くなってしまった。どんなに願っても取り戻せない思い出が、胸一杯に広がっていた。
「今日、友達の結婚式だったんです」
珈琲をすすりながら、サクラはずっと隠していた想いを、彼に打ち明けていた。自分の好きの感情が向いていた相手のこと、大切なことに気がつくのがいつも遅いこと、今更になって後悔してしまっている自分がいること。話し始めると切りが無いほど、サクラの感情は止めどなく溢れていた。
「多分好きだったんだと思います、あの頃から・・・でも、もう遅いですよね・・・こんなこと伝えたって・・・意味が無い・・・」
話し終えて、温くなったブレンドを流し込み、カップを置いた。これで全て忘れてしまおうと思っていた。最後まで静かに聞いていた二代目が、そっと口を開いた。
「珈琲って、一杯作るのに結構時間かかるんですよ」
「・・・・はい」
「親父が教えてくれたブレンドの淹れ方は、ネルドリップって言って、凄く時間のかかる淹れ方なんです。でもこの方法で挿入れると、こくがあってまろやかになるんだって言ってました。豆の種類にもよるんですけど。おねぇさんは、きっとそのネルドリップみたいな感じで、大事に大事に自分の心に向き合ってたから、自分の気持ちが咲いてる事に気づけなかったんじゃ無いかなと思います。でもね、急いだからって美味しい珈琲が飲めるわけじゃ無くて、時間をかけるからこそ美味しくなる物も有るんですよ。だからきっと、今その気持ちに気づいたのは何か意味があると思います。あとね、珈琲の淹れ方って沢山あるけど、基本は変わらないでしょう?粉状にして、フィルターを使ってお湯を注ぐ。それだけで美味しい珈琲は飲めるんです。だから、おねぇさんもムリに変わろうとしなくて良いんです。自分の好きな物は好き、苦手な物は苦手、そうやって自分の心に目を向けてあげてください、きっと綺麗な花が咲きますから」
笑顔で話す二代目マスターは、サクラの後ろに座っていた常連客にヤジを飛ばされ顔を真っ赤に染めていた。環境も、友人も、自分の心でさえも、めまぐるしく変わっていくこの世界で、サクラは変わらない自分に気がついていた。
「マスター、カフェオレのホットをください」
「・・・かしこまりました」
変わりゆく世界の真ん中で、変わらない思い出を抱いて。
読んでいただきありがとうございます。私は基本BL関係の小説を書きますが、今回の作品を書きながらこれはGLの方が良いかもしれないと思い、この形にしました。自分の心に目を向けることは難しく、自分の心に従うことも、また難しいんだと言うことを改めて考えながら書かせていただきました。ちなみに、サクラが読んでいた小説は元になった物語や映画、小説はありません。
改めて、お読みいただきありがとうございました。




