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06

「そんなにじっと見てて飽きない?」


 少し呆れたみたいな視線をこちらによこしながらも、くるくると器用に動くエリオスの指先。そんな風に見られても金属の板にナイフで刻まれていく文様はそれはそれは見事で、とても目を離す気になれなかった私ははっきりと首を横に振った。


「……まあニナがいいならいいけど」


 突き放すような言い方なのに、どこかその声に喜色がにじんでいる気がするのは私の願望が聞かせた幻聴だろうか。いや幻聴だっていい。

 作業を開始してすぐ、けっこうな近距離に寄っても邪魔だと言われなかったことに味を占めた私は、そのまま側にいさせてもらえるようにできる限り息を潜めてずいぶんと長い間彼の隣にじっと座っていた。一度昼食時に休憩をとったものの、それ以外はほとんど動くこともなく眺めていたわけだからエリオスが呆れるのも当然かもしれない。


 だって横からのぞき見るエリオスの瞳は真剣そのもので、初めて見る細い銀縁の眼鏡を掛けた姿――どうやら仕事中にはいつも掛けているらしい――も相まって非常に、その格好いい。飽きるわけがないのだ。


 少しずつ銀盤に刻まれてゆく文様が埋め込まれた五つの透明な輝石を繋ぎきると、ぼんやりと光る魔力が道を辿るように複雑な光芒を描く。エリオスは自身の手のひらほどのそれをレンズ越しにじっくりと角度を変えながら眺めて、それから作業机の端に追いやられていたランプの底に慣れた手つきで填め込んだ。


 先ほどまでただのがらくたと化していた古いランプは、どうやら彼の手によって再び本来の役目を思い出したようだ。カチリと音を立てて銀色のスイッチを押し込むと、繊細なガラス細工のシェードを通した柔らかな光があたりを優しく照らす。

 エリオスはしばらく不具合がないか試すように何度も灯りを点けたり消したりしていたが、その回数も十回を超えたあたりでようやく満足したように一つ頷いて眼鏡を外した。


 どうやら作業はつつがなく終わったようだ。さすがの淀みない手際にいたく感激した私は、音のない拍手と惜しみない賞賛の眼差しを贈る。


「ふふ、ありがとう。……懐かしいな」


 小さく漏れた彼の声に温かな思い出がよみがえって、同意するように深く頷く。昔――王都に行く前――のエリオスはよくこうやって近所の人から頼まれた魔道具の修理を請け負っては、キラキラと瞳を輝かせながら作業をしていたものだ。

 私はそんなエリオスと、それ自体が魔法であるかのように魔道具が組み上がってゆくのを眺めるのがとても楽しくて、よくこうして隣で作業を見せてもらっていたっけ。王都から帰ってきてからのエリオスは研究で忙しかったせいか、こんな風に作業をしている姿を見るのは本当に久しぶりのことだった。


 昔のことを思い出してつい頬を緩めた私に、ふとエリオスの怪訝な視線が突き刺さっていることに気がつく。


「その、小さい頃のことを思い出して」


 一人で笑っていた私のことを不気味に思ったに違いない。慌てて言い訳じみた言葉をしどろもどろ募らせると、エリオスはそっと小さく笑って首を振った。


「うん、そうだね。昔からニナは……」


 なにかを言いかけたエリオスの唇は、それ以上空気を震わせることなく閉ざされる。伏せられた瞳はなにかを考え込んでいるようだ。


「エリオス?」

「うん? ああ、ごめん。小さな頃のニナはかわいかったなぁって思って」


 なにを言い出すのかと思えば優しく微笑まれてそんなことを言われて、かっと頬が熱くなった。エリオスにしてみればたわいのないお世辞みたいなものだろうに、我ながらあまりに耐性がなさすぎる。


「昔のこと、その……恥ずかしいよ。

 それよりも珍しい、ね?」

「なにが?」


 ごまかす為に無理矢理話題の方向転換を試みた私に、にやにやとエリオスにしては珍しく少しいじわるな笑みを向けながらも話題に乗ってくれたことに息を吐く。ドキドキと動揺をあらわにしている心臓をなんとかなだめたあとに、私は続けた。


「魔道具の修理。エリオス、こういうの引き受けないようにしてるのかと思ってた」

 頼られてしまうと、キリがないから。


 そうはっきりとエリオスが口にした訳ではないけれど、何度かやんわりと断っている姿を見かけたことがあったからそうなのだと思っていた。壊れた魔道具をあっという間に直してしまうエリオスの姿は本当に格好良かったけれど、彼からしてみれば既存の魔道具を修理するよりも新しい魔道具を開発する研究により多くの時間を割きたかったのだろう。


「……ああ、うん、そうか。そう、だね」


 暗く陰った瞳に浮かぶ色は自嘲、だろうか。

 私の言葉を聞いた途端口元に苦みをのさばらせて笑う姿に、自分の無神経な言葉に気がついてさっと青くなる。そう言えばすっかり元通りの姿に忘れかけていたけれど、最近までエリオスは外に出ることもままならない状態だったのだ。それがもしかしたら今までの仕事に悪影響を及ぼしたのかもしれない。


「ご、ごめんなさい」


 慌てて謝るとエリオスはちょっと驚いたように瞬きをして、すぐにいつもの笑顔で笑いかけてくれた。逆に気を使わせてしまったことに申し訳なく思いながらもその笑顔にほっとする。


「なんで謝るの。……地味な仕事だけど、直接感謝されるのは結構嬉しいんだ」


 そう語る穏やかな声にはささやかではあったけれど、確かな自尊心が見え隠れしているように聞こえた。けして不本意な仕事をしているわけではないことがわかって嬉しくなる。


「思い出も一緒に直してる……」

「え?」


 私の突拍子もない言葉にエリオスが呆気にとられているのにも気がつかず、彼が直したばかりのランプをそっと撫でる。


「これすごく古いから、きっと大切なもの。エリオスが直してるのは道具だけじゃないんだね」


 ガラスに繊細な彫刻を施されて宝石みたいにキラキラと輝くシェードは、素人の私にはよくわからないけれど量産品ではなくきちんとした工房が作った一点ものに見えた。今は庶民の家にあってもおかしくない魔素ランプだが、古さからまだ高級品だった時代に作られたと思えばほぼ間違いないだろう。

 それくらいのものが買えるほどのお金持ちなのに、こうして修復しながら使い続けているなんてきっと思い出の品なのだ。全部想像でしかないけれどそう考えるとすごくエリオスのことが誇らしく思えてくる。


 つい楽しくなって木で作られた飴色のベースをそっとなで続けていると、何故かエリオスが顔を手で覆って俯いていることに気がついた。


「エリオス?」

「あー、いや……」


 またなにか気に障るようなことを言ってしまったのだろうか。

 不安になる私を首を振って片手で押しとどめたエリオスは、おもむろに立ち上がるとまるでなにもなかったような表情で作業机を片付けはじめた。そのまま私が呆気にとられている間に見事な手際で片付けを終えると、顔を上げてにっこりと笑顔を向けてくる。


「よし、そろそろ夕食にしようか。お腹空いたでしょう」

「……う、ん?」


 その背をぼうっと見送りかけて、私は慌てて追いすがった。


「手伝う」


 朝や昼の手伝いは固辞されてしまったが、今度こそ役に立つべしと心に決めていたのだ。

 確かにエリオスの油断するなという言葉通り、夕方になるにつれ時折痛む頭とうっすらと体を纏う倦怠感は強くなっていた。だけどこれくらいの体調不良なら良くあることだし、ここまで元気になってしまえば、病人ぶってただエリオスの厚意に甘え続けられる程私の神経は太くない。


 さらに王都で暮らしていた間に習得したのか、エリオスの料理の腕――生活力なんてまったく無さそうなのに!――はなかなかのもので、きっちり三食おいしい食事を食べさせてもらっていることも私の罪悪感を覿面に煽っていた。


「だから無理はダメだよって何度もいったでしょう。それに確かニナは料理が」


 苦笑いを浮かべながら首を横に振ろうとしたエリオスは、私の真剣な表情を見てはっとすると、緩く笑った。


「……そうだね。ありがとう。そしたら無理しないように一緒に作ろうか」


 神妙に頷き返しつつも、なんとなく釈然としない反応にすこしだけ苦い気持ちになる。言いかけた言葉の先を想像するに、もしかしなくても私があまり料理が得意でないことを知っているのだろう。


 不器用で手際が悪いのは幼少期からの付き合いのせいで当然知られているから予想がついたのかもしれないが、たぶんクレアが教えてしまったのだと思う。

 なんとか私の料理技術を人並みにしようと手を焼いてくれた少女のことを思い出して、居心地の悪さを覚える。まさかこんな風にエリオスと肩を並べて台所に立つ日がくるだなんて、いったい誰が想像できただろうか。


「ニナ、じゃがいもの皮剥いてもらっていい?」


 とりあえずたどりついた台所にて手を洗い終わったところで、私はエリオスから前掛けとナイフと一緒にじゃがいもを三つ手渡された。思わず走った緊張をなるべく悟られないようにしながら慎重にそれを受け取って、そのまま邪魔にならないようにそろそろと台所の隅へと移動する。


 クレアの努力によってそれなりのものは作れるようになったはずの私だけど、ナイフの扱いだけは未だ擁護しようもないほどに――はっきり言って――下手くそだ。ちょっと前までせっせとエリオスの家に運んでいた食料だって、そのほとんどがサンドイッチだとかまともに刃物を使わなくていいような料理ばかりだった。


 今こうしてエリオス自身が作る料理をごちそうになった後では、なんて恥知らずだったんだろうと私の卑屈な部分が叫び出しそうになるけど、今はそんなことを言ってられる状況ではない。こくりと息を呑んで、ナイフと歪な形のじゃがいもを見据える。

 これがもう少し、いや、つるりときれいな形をしたりんごだったりしたら私だってもっと気楽な気持ちで向き合えていたと思う。たぶん。


 なけなしの見栄を振り絞って、できるだけ薄い皮の生成を求めてゆっくりとナイフを滑らせ始める。しばらく慎重にナイフを動かしていた私は、思ったよりもするすると動く自身の指先に徐々に張り詰めていた気を緩ませた。

 もしかして私は自分で思っていたよりもできる人間だったのかもしれない。


「……っ!」


 調子に乗ったツケが回ってくるのは本当にすぐのことだった。

 なんとなく浮かれた気分で調子よく滑らせていたナイフが指の腹を撫でる。刃先が通り抜けていく感覚にぞわりと背筋を凍らせて、私は思わずナイフを取り落としてしまった。


「ニナ?」


 ガシャンと金属が作業台を叩く音に、自身の作業に集中していたはずのエリオスが文字通り跳ぶようにやってくる。

 ああ、やってしまった。

 手伝う以上、与えられた仕事をきちんと全うしてエリオスに褒めてもらいたかったのに。


「だい、じょうぶ」


 空回りしてしまった下心が恥ずかしくて、慌てて取り落としたナイフを拾う。横目で確認した指からは幸い血は出ていなくて、ほっとすると同時に大げさな反応をしてしまった自分が余計に情けないようでもあった。


「怪我した?」


 だけどエリオスは当然そんなことを知るはずもなく。彼は私の手からあっという間にじゃがいもとナイフを取り上げてしまうと、そのまま私の左手を引き寄せて指先をためつすがめつ検分し始める。


「その、すこし刃が当たってびっくりしただけだから」

「確かに怪我はないみたいだね」


 たいしたこともないのに心配をかけてしまったことが申し訳なくて、慌てて手を引こうとした私を、だけどエリオスは許してはくれなかった。指をそろりと撫でられて、ついでとばかりに右手も絡め取られる。私の主張に納得してくれたはずなのに一向に手を解放してくれる気配はなかった。


「エリオス?」


 近い。


 ふと彼と私とのその距離に気がついてしまえば、胸がぎゅっと締め上げられてにわかに鼓動が騒ぎ始めた。エリオスの長い指が絡みついた部分がひどく熱い。妙に鋭敏になったその感覚を恥ずかしく思いながらも、一方で私の浅ましい欲望が歓喜の声を上げているような気がした。

 動揺に揺れる私の視線の先で、エリオスが静かに笑う。


「……ああ、やっぱりそうか」

「え?」

「ニナって不器用なんだね」


 見栄を張って言わなかったことをはっきりと指摘されて、顔が熱くなって行くのがわかる。だけどなにも笑わなくたっていいはずだ。つい恨みがましい視線を向ければ、エリオスは困ったように眉尻を下げて首を振った。


「ごめん。からかうつもりじゃなかったんだ。ただ……」


 さっと瞳から穏やかな光が消え去って、代わりに掠めた熱にどきりと心音が一際大きく高鳴り、息を呑む。じっとこちらを見つめる瞳は真剣そのもので、睫毛が僅かに震える音すら聞こえそうなほどの沈黙が二人の間を支配する。

 だけど実際二人の間に静寂が降りたのはほんの一瞬のことだった。


「……ほら、早く終わらせよう」


 見間違い、だったのだろうか。

 私の手を離してすでに先ほどの熱の余韻などなにも感じさせないように笑っているエリオスを見て、まだどきどきとうるさい胸の痛みをぐっとこらえる。


「うん」


 いくらなんでも気のせいだ。都合の良い勘違いだろう。

 かぶりを振って見覚えのある熱の色を忘れるように努める。いつだって外から眺めるばかりだったあの熱を私が分け与えてもらえるはずなど、絶対にないのだから。

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