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05

 ゆっくりとベッドから上体を起こして、寝ぼけ眼をこすりながらあたりを見回す。起き抜けに広がる見慣れない風景にも随分と慣れてきたものだ。


 私はしばらくそうして自分になんの異常もないことを確かめると思い切ってベッドから降りて、慎重に立ち上がった。ここで倒れなんかして大きな音を立ててしまったら、心配したエリオスが飛び込んでくるのが目に見えていたからだ。

 エリオスに心配されることはやぶさかではないが、なんの不調も感じられないのにずっとベッドに縛り付けられることには正直そろそろ限界を感じていた。


 よし、ふらつきも目眩もない。


 寝たきりでがちがちに固まった身体をぐっと伸ばし意味もなく二、三歩うろついてそれを確認した私は、そのまま窓際まで歩いてカーテンと窓を開け放った。エリオスの家は川縁に面していて客間からは小さな庭ときらきらと陽を受けて輝く水面を見ることができる。


 そういえば小さな頃にクレアと一緒にエリオスの家に泊まったときもこの部屋で寝たんだっけ。

 眼前に広がる光景にそれを思い出して、私はしばし懐かしさと美しさに見とれた。

 あの頃の私はまだエリオスへの恋心もなにも自覚していなかったから、どちらかというと大好きなお姉さんであるクレアと一日中一緒に過ごせることのが嬉しくてたまらなかった。まだなんのしがらみもなかった無邪気な頃の話だ。


 しばらくそうやって朝の空気を十分に楽しんだ私は、ようやく準備を済ませるべく窓をそっと閉じた。


 ここで過ごすにあたって当然なにも自宅から用意してこなかった私は、一通りのものをエリオスに揃えさせてしまうことになってしまっている。

 色々な理由でもう売り物にならない、彼の父親が家に置きっぱなしにしている在庫だからと言っていたが、着替えまで数着選ばされたときにはさすがに厚かましくないか心配になったものだ。母に自宅から持ってきてもらえばいいとは言ってみたが、妙に押しが強くて結局断り切れなかったのが情けない。


 何度も会ったことがあるわけではないが、エリオスのこういうたまに押しが強いところはきっと父親に似たのだと思う。日用品から娯楽品まで幅広く扱うやり手の行商人である彼の父親は、髪の色と背の高さこそエリオスとそっくりだが、他はあまり似ていないので非常に貴重な一面だ。

 穏やかかつ端正な繊細なエリオスの顔立ちと私が大好きな瞳はおそらく亡くなった母親から受け継がれたものなんだろう。彼の母親を見たことはないが美人だったのは容易に想像ができる。


「おはよう、エリオス」


 すっかり支度を終えて最後に変なところがないか念入りに確認した私は、二日間籠りっぱなしだった客室の扉を開け放ち台所に立つエリオスに声をかけた。朝食の準備をしてくれていたらしい。鍋から漂うスープの匂いがとても食欲をそそる。


「ニナ。寝てないで大丈夫?」


 すぐに振り向いたエリオスは私の姿に軽く目を見張った後に、眉根を寄せてちょっと困ったように首を傾げた。


「もう、大丈夫」


 予想通りの第一声に出迎えられた私は出来るだけ元気に見えるように笑って、ことさら大げさに頷いてみせる。エリオスの迷惑になるようなことはしたくないが、このまま半月寝たきりというのはあらゆる意味で勘弁願いたい。


「うーん……まあ、無理しないなら大丈夫かな」


 私の主張に納得してくれたのかしてくれていないのか、そう言いながらも眉間のしわをほどかないエリオスは、しばらく私のつま先から頭まで確認するように視線を往復させた後に小さく笑った。


「うん、それ……やっぱり似合うね」


 なんのことかと思えば服を褒められているのだと気がついて、つい赤面する。

 さすが大きな街まで出かける行商人の用意した商品だけあって、もらった服はちょっとこの辺では見かけないような垢抜けたデザインだった。白地のブラウスの合せに沿うように、琥珀色の糸で施された刺繍が華やかで美しい。


 どうして売り物にならないのかとためつすがめつ確認したが、どうやら裾のところに引っかけたようなほつれがあるのが原因らしかった。実にもったいないことだが、おかげでこんな素敵な服が着れるのだから正直満更でもない。

 スタンドカラーで細身のシルエットが大人っぽくて、子どもみたいな体型の私に似合っているのかが不安だったが、褒められれば私の気分は面白いくらいに舞い上がった。それがエリオスの言葉ならば、なおさら。


「そろそろ朝食ができるよ」


 褒められた余韻に浸ってもじもじとしていた私はエリオスの言葉にはっと我にかえって、慌てて手伝いを申し出た。




 *




 結局手伝いをすげなく却下された私はかいがいしく世話を焼かれながら朝食を終えたあと、昨日から始まった魔素抜きの処置を施してもらうために、そわそわと落ち着かない気分でソファに座っていた。

 横ではソファに寄せたスツールに腰かけたエリオスがてきぱきとなにやら準備を進めている。見たこともない器具をがちゃがちゃと弄り回して細かい文様の刻み込まれた掌大の石を光らせた彼は、ようやく手を止めるとちらりと私を見てこともなげに言った。


「はいニナ、手を出して」


 先ほどから私をそわそわとさせているのはこれだ。

 昨日体験したばかりのこの後の展開を思い出して少しだけ躊躇いながらも、もちろん拒否できるわけもなくおずおずと両の手のひらを差し出す。エリオスは用意したぼんやりと光る石を私に両手で包むように握らせると、その上からさらに包み込むように彼自身の手を重ねた。


 治療目的だとわかっているのに私の手に触れる大きな手の体温に気恥ずかしくなる。


「……目、閉じて」


 言われるがままに目を閉じるとその感触がなおさら鮮明に感じられて、私は自分の顔が赤くなっていないか心配で仕方がなかった。手を触られたくらいで、とも思うがあいにく私にはこの手の耐性は一切ない。


 気もそぞろなまま、それでもぎゅっと目を閉じたまま大人しくしていると、じわりと手の内側から染みこむような温かな感覚がゆっくりと全身を廻り始めたのがわかった。

 ぽかぽかとするが、けして熱くはない不思議な心地についうとうとしかけて必死で意識を保つ。それでも抗いきれずに意識が溶け始めた頃、突然すっと手の甲を撫でられて私はびくりと目を見開いた。あれほどまで温かかったのが嘘みたいに急激に身体が冷えてゆく。


「終わったよ」


 思わず私が取り落とした石を床に落ちる直前で見事に受け止めたエリオスは、にこりと笑って傍らに用意していた小さなグラスを私に差し出した。


「あとはこれ飲んでね」

「……ありがとう」


 花の香りがするミントティーみたいな味の冷たいお茶は、これも魔素の排出を手助けする効果があるものらしい。一口飲むとぼうっとしていた頭が晴れ渡るようにすっきりとしてゆく。


「これで今日の分はおしまい。どこか変な感じはない?」

「うん」


 広げた道具類を片付けながら調子を聞くエリオスに頷いてもう一口お茶を飲む。この処置の後はむしろ普段より調子がいいくらいで、治療でなければずっと続けたいくらいだとこっそり思っていた。気分上昇の効果がさほど長くないのだけが実に惜しい。


「完治するまでサボるとまた調子悪くなるから油断しちゃだめだよ。あとちょっとでも具合が悪くなったらすぐ報告すること」


 すぐにでも治して一刻も早く今の居候状態から脱却するのが目下の目標だ。すぐに油断することに自覚がある私はエリオスの言葉に神妙な顔で頷いて、残りのお茶を一気に飲み干した。そのままグラスを片付けようと立ち上がったのを、苦笑いを浮かべたエリオスに押しとどめられる。


「ほらすぐそうやって。俺が片付けます。

 それと俺はこれから仕事するから……。なにか本でも用意しようか?」


 だけど私は奪い去られようとしているグラスから手を離すこともなくぼうっと、彼の言葉に気を取られていた。固まったまま一向に動きもしゃべりもしない私に訝しげな視線が刺さる。


「どうかした?」


 エリオスの声にはっとして力の抜けた指からグラスが奪われるのを目で追う羽目になった私は、問いに答えねばと反射的に口を開きかけて、しばらく逡巡したのち結局口を閉じる。エリオスの探るような視線は止まないが、頭に浮かんだことを素直に口に出していいものかどうか私は迷っていた。


「言ってごらん」


 いや、ここまでわかりやすい態度を見せておいて、なんでもありませんというのも返ってよくないだろう。

 すぐに顔に出る自分を恨めしく思いながら諦めて白状することを選ぶ。


「あ、あの。えっと、お仕事……見ててもいい?」


 もちろん邪魔にならなければ、と慌てて付け加えてみるがすぐに言ったことを後悔した。どう考えても邪魔だ。子どもの頃のように横で読書している様を盗み見るのとはわけが違うのだ。


「ごめんなさい。変なこと――」

「いいよ」

「えっ?」


 すぐに撤回しようと口にしかけた謝罪の言葉はエリオスに遮られて、驚きの声へと変わる。


「見て面白いようなものでもないけど、ニナが見たいなら」


 いたずらっぽく笑う様は別に私に気を使って許可しているという様子もない。


 本当にいいのだろうか。

 信じられない気持ちになりながらも思いがけない幸せについ浮き足立って、私はこくこくと大げさにミルク飲み人形のように頷いてしまった。

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