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04

 エリオスの言うように、翌朝目を覚ました私はずいぶんと調子を取り戻していた。


 まだだるさは残っているものの、昨日と比べものにならないほどに気分はいい。試しにゆっくりと上体を起こしてみたが、やはり昨日のように起きていられないほどの目眩に襲われるようなことはなかった。


 そのままカーテンから差し込む朝の光をぼんやりと眺めていると、控えめなノックの音が鼓膜を震わせる。反射的に視線を投げると――返事を待つことなく――カチャリと静かな音を立てて開かれた扉からは、昨日と変わらない姿のエリオスが顔をのぞかせていた。


「おはよう、ニナ」

「おは、よう」


 普段であればあり得ないような光景に思わず高鳴った胸が舌をもつれさせる。

 なんだかちょっと夫婦みたいじゃないか、だなんて浮かれたことを一瞬思い浮かべてしまったのが恥ずかしくって、私は上掛けを引き寄せて背中を丸め込んだ。だけどそんなことをしたところでエリオスの視界から消えることができるはずもない。


「もう起き上がって大丈夫?」

「うん、平気」

「本当に? ニナは具合が悪くてもあんまり主張してくれないからなぁ」


 エリオスは手に持っていた水差しと手盥をベッドサイドにそっと置くと、薄く笑みを浮かべながらベッドに浅く腰掛けて私をのぞき込んだ。


「……ん、顔色はだいぶ良くなったね」


 どうやら及第点をいただけたみたいだ。

 笑みを深めたエリオスにほっと息をついて、小さく縮こまっていた体からゆっくりと力を抜く。エリオスは半月は治らないなんて言っていたけれど、この調子なら今日にでも家に帰るくらい問題ないだろう。


「エリオス、私やっぱりもう家に」

「ダメ」


 帰る、という私の意思表示は、だけど最後まで言いきるよりもずいぶんと早くエリオスのきっぱりとした声に遮られてしまった。


「明日からは体の調子と相談してこの家の中なら好きに過ごしていいけど、外に出るのは昨日言ったとおりしばらく禁止です」


 そんな、嘘だ。

 思わず心の中で否定して、それから昨日気を失うように眠る前のことを思い出してみる。

 今私の身を冒しているらしい魔素は、特殊な処置が必要だといっていたっけ。


 確かに昨日この家に居てほしいとは言っていたけれど、この程度の具合の悪さだったら家に帰るくらい問題はないだろう。多少このだるさが長引いたところでさほど生活に支障があるようにも思えない。 


「……納得できないって顔してる」

「だって。もう昨日みたいに倒れたりしない」

「人体に入り込んだ魔素は自然に抜けるようなものじゃないし、魔素を抜くための処置は毎日やらないといけないからここに居てくれた方が俺も楽だし安心だよ。……それに完全に抜けきらない前にあんまり俺以外の人に会うのもできれば避けて。ちょっと特殊な魔素を扱っていたせいで……相手にどういう影響があるかわからないから」

 悪いのは俺なのに、ニナに苦労させてごめんね。


 自嘲気味に笑う彼の顔にちくりと良心が痛んで、私はそれ以上エリオスになにか言う気がすっかりと失せてしまった。だって、いくら心配だったとは言えやっぱり勝手に部屋に入ったのは私だ。

 蓋を開けてみればエリオスはこうして問題がなく元気だったのだし、結局私はひとりで空回っていただけのようにも思える。その上処置――治療のようなものだろうか――までしなくてはならないなら、確かにエリオスの言うとおりにするのが当然だ。


「……わかった。大人しくしてる。お母さんやお父さんはなにか言っていた?」


 エリオス以外の人に会うのも避けて欲しいということは、家族にもしばらく会えないということだろう。特に母は私がこうしてエリオスの元に通っていることをあまりよく思ってはいなかったわけだから、こんなことになってますますその気持ちが強まるんじゃないかと不安がよぎる。


「ニナのことを心配してたよ。家の手伝いとかは気にしないでいいからゆっくり休んで欲しいって」


 エリオスの言葉からは両親の真意はわからなかったけど、私と同じように彼らも納得する以外なかったのだろう。エリオスの魔道具技師としての力量は周知の事実だし、なにより長い付き合いによる信頼関係がある。

 いくら最近のエリオスの様子がおかしかったからとはいえ、いやおかしかったからこそ、こうして本来の姿を取り戻した彼の姿を見て納得してくれたはずだ。


 そう、まるでクレアを失う前の姿に戻ったみたいなエリオスに、きっと私の両親だって安心したはず。

 心中で呟いて、改めてエリオスを見上げる。


 伸びるがままに任せてあちこち跳ねた柔らかそうな顎下ほどの長さの黒髪を、ハーフアップで無理矢理まとめて体裁を整えたような彼の姿は、やっぱり以前よりも少しやつれたというべきか、粗雑になったというべきか。

 クレアが甲斐甲斐しく世話を焼いていた成果も大きいのだろうけど、以前の彼はもう少し――しばしば世間が抱く研究に没頭する人間のイメージに反して――きちんとした身なりをしていた。


 だけどぼんやりとなにも映していなかった黒い瞳は、今はしっかりと私を捉えている。


「……エリオスは、私といても平気?」

「そりゃ俺自身がやってる実験なんだから色々と対策はとってるよ。安心して」

「それなら、いい」


 本当は聞きたいのはそのことではなかったけれど、やっぱりクレアのことを口に出すのはどうしたって憚られた。


「さて、朝ご飯は食べられそう? 用意してあるから持ってくるよ」


 話が一段落したのを感じ取って、エリオスがぱっとベッドから立ち上がる。


「食べられる。ありがとう」


 私が素直に頷くとエリオスは嬉しそうに破顔して、そっと私の髪の毛を梳くみたいに撫でていった。


「これ、好きに使って良いから」


 長い指の感触にひとしきりドキドキしたあとに、目線で示された水差しと手盥を見やり、ようやく自分が寝起きの姿を晒していたのだということに思い至る。一緒に持ってきてくれていたらしい袋の中には大きめのタオルに、ブラシや手鏡が入っていた。

 感謝の気持ちと同時にどうしようもない羞恥が襲ってきて、穴にでも入ってしまいたい気持ちになる。幼い頃に三人で互いの家に泊ったことだってある私たちだけど、それももうずいぶんと昔のことだ。


 私の心中を知ってか知らずか、エリオスはそんな私をしばらく眺めて楽しんだあと、カラカラと笑って部屋を出て行った。

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