01
クラリッサ・ベル――クレア――とエリオス・クレイン、そして私、ニナ・アトリーはとても仲のいい幼なじみだった。
私が生まれたこの町は王の住まう都から少し離れた小さな町で、子どもの数もけして多くはない。
二人とも私よりもほんの少しだけ年上だったが、そもそも同い年の子どもがそうそういない環境で近所に生まれたとなれば、仲良くなるのはごく自然な流れだっただろう。私たちは子ども時代のほとんどを共に過ごしていた。
クレアは小さな頃から明るくてしっかりもので、しゃべるのが下手くそでトロい私から見れば、おおよそ理想とすべきなにもかもを詰め込んだような女の子だった。
溌剌としていてすらりと長い手足に、ふわふわと柔らかな長い栗色の髪。
特にきらきらと煌めく大きな翠色の瞳は見慣れてもなお魅入られてしまいそうなほどに綺麗で、自分のありふれた色の瞳と比べて何度ため息を吐いたか知れない。
仕立屋の娘である彼女はいつもおしゃれで町の少女たちの憧れの存在だった。たぶん、少年たちの憧れの存在でもあったと思う。
一方エリオスはと言えば私が物心ついたときにはすでに変わり者だと町中で噂されるような男の子だった。
私よりも三年、クレアよりも一年早く生まれた彼だが、エリオスを年上だと意識したことはあまりない。むしろ私たちの中でその枠に不動の座を築いていたのはクレアだ。
穏やかな気性の優しい少年だったが、――少ないだけでけしていないわけではない――同世代の男の子たちに混じって遊ぶよりもひとりで本を読むことを好んだ。そして、その本の虫たるや変わり者の称号を戴くにふさわしい有様で。食事のときですら本を手放さないとよく彼の祖母が嘆いていたのを覚えている。
もっとも彼の執着は本そのものというよりも、彼の愛してやまない分野への飽くなき探求心の現れだったのだろう。実際本以外にその知識欲を満たす方法を見つけた今の彼は、常識の範囲内で読書を楽しんでいる。
だけどその頃のエリオスは町の片隅にある寂れた小さな図書館に毎日のように通い詰めていて、司書である私の父親の職場であったそこは、私たち三人の遊び場でもあった。
本に齧り付くエリオスの横でクレアは家の手伝いでもある針をせっせと刺して、そして私はと言えばエリオスと同じように本を読む、ふりをしながら時折エリオスの横顔を眺めていた。
彼のまとう穏やかな雰囲気と、いつでも柔らかな笑顔を浮かべている彼が本に向ける熱を帯びた視線が好きだった。私とは違う色だけど、私と同じくありふれた色である彼の黒い瞳が、陽に透けるとまるで夜空に浮かぶ月のように冴え冴えとした銀色に輝くことを私は知っている。
私は、エリオスのことが好きだった。
いや、今でも諦めきれていないのだろう。だけど子どもの頃から抱いていた淡い想いを恋なのだとはっきり自覚する前に、エリオスの心はクレアのものになっていた。
二人の関係がただの幼なじみから恋人同士へと変わったとわかったのは、恥ずかしそうにはにかむクレアからその報告を受けるよりほんの少し前のことだ。そのとき私の胸を貫いた痛みは寂寥か、嫉妬か、それとも別のなにかだったのか。
私の欲しいものをなんだって持っているクレアと、私がその心を欲してしまったエリオス。私から見た二人は本当に睦まじくて、嫉妬心を抱くことすら罪であるかのように完成されていた。
だから、どうしてその二人の関係がこんな形で終わりを迎えることになってしまったのか。
冬の気配が忍び寄り始めたその日、私はエリオスの研究の成果を見せてもらうために彼の家に遊びに来ていた。
周囲が呆れかえるほど貪るように本を読んでいたエリオスだが、彼がそれに求めていたのは魔道具技術の知識だった。
火のいらないランプや、冬の寒さや夏の暑さを和らげる空調器具。一瞬で火が起こせる調理台に食料を長く保存できる冷却装置。私が小さな頃には貴族しか持っていないような高価なものだったそれらの魔道具は、いまや庶民の生活にも徐々に浸透しつつある。
司書の娘のくせに学のない私に詳しい仕組みはわからないけれど、大気中に漂う魔素を特殊な文様を描いた魔力回路に通すと火をおこしたり、冷やしたり、様々な現象を引き起こすことができる、らしい。その技術を応用して作られたのが魔道具だ。
町にある小さな学校では抱えきれないほど魔道具への知識と才能を発揮したエリオスは、十六歳から十八歳の間、王都にある才能を認められる者だけが行けるという魔技師を養成する学校へと通い、成果と名声を持って一年前にこの町へと帰ってきた。
聞けばそこで学び修了書を得た者は、大抵そのまま王都の研究機関や魔道具を扱う商会に身を置くのだという。
今でも王都から彼の知識を求める客人が頻繁にやってくるエリオスがこうしてこの町に帰ってきた理由は、何度目かの帰省の折に心を通わせたクレアの存在があったからなのだろう。その頃クレアはあまり家業に関心を示さない彼女の弟たちの代わりに、彼女の両親がはじめた仕立屋を継ぐことに意欲を見せていた。
そしてエリオスはあれほど熱心に興味を寄せていた学問を続けるための最高の環境より、クレアを選んだのだ。
噂によれば王都でのエリオスの友人達は相当な熱意でもって彼を引き留めようとしていたらしいし、今でも訪ねて来る度に引っ張っていこうとしているらしい。だけど当のエリオスはどこ吹く風でこの町で研究を続けている。
国中を駆け回る行商人である彼の父親――余談だが滅多に家に帰らず私もほとんどその姿を見たことがない――も息子の才能を大いに喜んで最大限の支援をしているようで、こんな片田舎でもその名声を遺憾なく轟かせているらしかった。
エリオスの才能をもってすれば、これからの魔道具技術はさらなる大躍進を遂げるだろうと期待されているらしいのだが、正直私にはあまりピンときていなかった。
私にとってのエリオスはいつまでも穏やかで柔らかな雰囲気が心地良くて、なにかに夢中になっている眼差しが素敵な男の子だ。だから私は彼の功績にただただ純粋な賞賛を捧げながらも、あまりエリオスの研究そのものに深く興味を示すことはなかった。
だけど、ああ、そうだ。
その日は珍しくエリオスやクレアから聞いた話にとても心が惹かれたのだ。
なんでもその魔道具は遠く離れたところに一瞬でものを届けることができるらしい。今はまだたくさんの魔素を使って手紙程度の小さなものしか届けられないけれど、最終的に目指すのは人間の転移。
まるで夢みたいな話だと思った。
子どもの頃に読んだ物語の中にしか登場しない不思議な力が現実になるような話に私の心は踊った。だから父親の仕事の手伝いも早々に切り上げて、私はエリオスの家へと急いだのだ。
私よりも先に来ているはずのクレアがまだ来ていなかったことは少しだけ気になったけれど、久しぶりにエリオスと二人きりであることにほんの少しだけ後ろめたい喜びを感じながら、大がかりな魔道具に圧倒されて、そして。
今思えば、それはまるで家主が不在であることを望むようなためらいがちなノック音だった。
その音が意味することにも気がつかずに、きっとエリオスが待ちかねた少女が来たのだとためらいもなく開けた扉の先にいたのは、見たこともないほどに顔を白くしたクレアの父親。
「エリオス……、落ち着いて聞いてくれ。……ウチの娘が、クラリッサが、……っ」
その日、私は彼の世界が崩れゆくのを見た。