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そこは、驚くほどに大きな都だった。
街全体を囲う先の見えない城壁を抜けた瞬間、飛び込む人々の坩堝とざわめきに圧倒される。街の中を行き交う馬車の多さはその広大な土地の全容を垣間見せているのか、なにもかもが見慣れた景色とはまるで規模が違った。噂に聞いた馬を必要としない魔道具の車も珍しくない頻度で走っていることに驚く。
遥か遠くにそびえる尖塔の群は国王陛下のいる王城だろうか。同じ王都に位置しているというのに私からしてみれば遠くに見える山のようだ。
この街のどこかにエリオスがいる。
あまりの広さにとてもこの中からエリオスを探し当てることなどできるとは思えなくて、つい不安から隣に立つエリーを見上げる。彼は私の視線を受けると――その意味を正しく受け取ってくれたのかどうか――ただ曖昧に笑った。
「とりあえず宿を取ろうか。歩き回るなら荷物を預けた方がいい」
「エリーは、エリオスの居場所を知ってる?」
「連絡先は聞いてる。居場所もだいたい想像ついてるけど、ここに来ることをなにも言ってないからなぁ。すんなり会えるかどうか」
ニナを連れて行くなんて言ったら面倒なことになりそうだし。
誰に言うでもなく独り言のように呟かれた言葉にぎくりとする。すでにわかっていたことだが、やっぱりエリオスは私とは会いたくないのだと改めて気がつかされると、なかなか胸に来るものがあった。
「……本当は、どんな計画だったの?」
「あいつが転移するのに必要な道具を王都で一通り揃えて、うちに送ってくる手はずだったんだ。回路の組み方と起動方法はもう聞いてるから、それまでニナをどうにかごまかして準備ができ次第、君の世界に行く予定だった」
だけど、あのまま気がつかなければ二度とエリオスに会えなかったのだ。
くじけそうになる心を無理矢理奮い立たせて気合いを入れ直す。すぐにでもエリオスに会って、きちんと話を聞かなくてはならない。これはなにより私自身がけじめをつけるために必要なことなんだ。
なのに。
「ああ、ほらニナ。あれ君に似合うんじゃないかな」
旅程の初日に滞在した町と違い、特に祭があるわけでもないらしい王都はその人の多さに反して宿を見つけるのは非常に容易だった。エリーにくっついて特筆すべきこともない部屋を二つ取った後は、やたらに愛想のいい主人に見送られて街へと出る。
だけど私の期待に反してエリーが最初に提案したのは昼食を食べに行くことだった。確かに私たちが王都へと着いたのはちょっと早いお昼時、といった頃合いで、その後宿をとったりなんなりですっかりと普段であればお腹を鳴らしているような時間になっていた。
エリオスのことで頭がいっぱいだった私はともすれば昼食を食べることも忘れてエリーを連れ回す勢いだったから、彼の提案は至極まっとうで有り難いものだったと言えるだろう。
彼が学生時代にたまに行っていたというカフェは、庶民向けながら落ち着いた雰囲気でとても私好みだった。料理も普段味わえないような都会の味――気のせいかもしれない――がして食べている最中には思わずここまでやってきた目的を忘れかけてしまったほどだ。
だけどしっかりと食後のデザートまでいただきながらも、カフェを出て目的を思い出した私を、エリーはまるでエリオスの元へと行くそぶりもなく私を街中へ連れ回していた。
「あの、エリー」
今も宝飾店の前でにこやかに笑いながらショーウィンドウを指さす彼に、私はとうとう戸惑いがちに声を上げる。彼がこうして店先で立ち止まるのももう三軒目だ。
こんなところで時間を無駄に消費するくらいなら、一刻も早くエリオスに会いたい。
明らかに焦っている姿を見て、エリーは今度こそ私の心情を正しく理解したのだろう。彼はほんの一瞬考え込むそぶりを見せた後に、余裕たっぷりに笑って見せた。
「んー、ほら、昼間に突然行っても外へ出てるかもしれないし、夜になってからの方がいいんじゃないかな? そもそも絶対にそこにいる確信もないし、行き違いにならないように今晩俺が調べておくよ」
「それは、……そうかも」
納得させられちゃだめなのに、私は気がつけば彼の満面の笑顔に首肯を返していた。
ちょっと考えれば、例え不在でもエリーの心当たりを訪ねてみれば現在の居所を聞くことができるかもしれないだとか、そもそも連絡先を知っているのなら多少面倒が予想できても連絡すべきなのではとか、色々と反論することはできただろう。
「でしょ? だから俺たちはそれまでゆっくり王都を観光しよう」
だけどエリーの有無を言わさぬような雰囲気に気圧されて、結局私は黙り込むしかない。
「それよりほら、これニナの瞳と同じ色だよ」
「そう、かな」
そのまま話題を逸らすみたいにエリーが指をさしたのは、黄玉があしらわれたかわいらしいデザインのペンダントだった。美しい金色にも見えるその色が到底エリーの言うように私の瞳と同じ色とは思えずに首を傾げる。確かに琥珀や黄玉に例えられることもあるが、自分としてはせいぜい枯葉色くらいの認識だ。
「ニナの瞳が陽に透けたときみたいな綺麗な色だ」
瞳を嬉しそうに細めて落とされた言葉にどきり、と胸が高鳴った。
陽に透けた色が綺麗、だなんてまるで私が彼の瞳に見とれているときと同じじゃないか。そわりと胸の奥が浮き足立つのを自覚しながらも、どうしていいのかわからずに視線を逸らす。私が彼の瞳を綺麗だと思っているように彼も私の瞳を綺麗だと思ってくれているとしたら、これ以上に嬉しいことがあるのだろうか。
「なにか気に入ったのがあったら、プレゼントしようか」
思いがけない言葉にそわそわと落ち着かない気持ちで手をもじもじと摺り合せるのに必死だった私は、さらに重ねられたエリーの言葉にびっくりして、内容をしっかりと理解するよりも前に反射的に首を左右に振ってしまっていた。
「すぐそうやって遠慮する」
からかうみたいな口調で笑ったのは、私が断ることをはなから予想していたからだろう。
「でも、ここまで連れてきてもらっただけで凄く嬉しくて。これ以上なにかしてもらうなんて」
確かにエリーの予想はなにも間違っていない。
遅れてじわじわと事態を把握したところで、私の返答は一緒だった。エリーには本当に感謝してもしきれないほどのものをたくさんもらっているのだから――もちろんこのままもらいっぱなしでいるつもりはないが――今はそれだけで胸がいっぱいだ。
「まあ、これからいくらでも機会はあるからね」
ささやきと共に、ついと視線がこちらを向いたのがわかった。
「俺と向こうへ行ってくれるんでしょ?」
その問いかけを額面通りに受け取って返していいのか迷って、曖昧に頷く。
エリオスに会って彼の想いを聞いて、きっとそうすれば納得できると信じてここまでやってきたけれど、話を聞いた私がなにを思うかなんて本当は私にはなに一つわからないままだった。
もし納得できなかったら。
だけどできなかったからといって、私にできることなんてなに一つないのだ。エリオスもエリーも自分の考えを曲げる気なんてこれっぽっちもないということだけは悔しいくらい容易にわかった。
「……」
エリオスに会って話を聞き終えてしまえば、私はエリオスからなにを聞こうが自分の気持ちに決着をつけなくてはならない。はっきりと交わされた約束ではないけれど、きっとエリーだって保留にした答えをそこで出すのだとわかっているはずだ。
答えなんて本当はとっくに出ている。だって私はこの八年間の恋に終わりを告げにきたのだ。
私がエリーに惹かれているのは間違いないけれど、今もお腹の底から私を苛む不安を持ち続けたまま彼の想いを受け入れていく自信はない。それにエリーへの気持ちとエリオスへの気持ちの境はひどく曖昧で、複雑に絡み合っていて、ほどけることなんて一生ない気がした。
遅かれ早かれエリーを受け入れることはできないのだとはっきり伝えなくてはならないのに、こうして曖昧な態度をとり続けていることになんの意味があるんだろう。
これから、なんてあり得ない未来を期待させること自体が彼への侮辱なんじゃないだろうか。
「エリー、私」
湧き上がる感情に背中を押されるように彼の名前を呼びながら顔を上げて、ふとエリーの視線が私の頭を通り越し遠くへと投げられていることに気がつく。
つられるように後ろを振り返って、私は頭が真っ白になって呆然と呟いた。
「エリ、オス……」




