夏休みの宿題が終わらない!
夏休みの宿題。それは自由の象徴である夏休みを縛る呪縛。多くの人間は七月までに終わらそうとするものの、結局最終日まで終わらないものである。そして、ある所に夏休みの宿題が終わらない少年がいたーー
「うーん、わかんないよー!」
少年ーーコタローは呻く。彼も御多分にもれず、宿題が最終日になっても終わらないでいた。
だが、朝から宿題を終わらせ続けた結果、残りは一つ。しかし、これが終わらない。
だが、彼には最後の手段があった。それはーー
「兄ちゃん!!宿題がわからないよー!」
ドアが勢いよく開く。
彼の視線の先には、彼の兄ーーリョータがいた。
「どうした、我が弟よ。兄ちゃん今宿題で忙しいから短めにな」
彼の兄、リョータは『近所でも評判な優しくて賢いお兄さん』(本人談)。そう、最終手段とはリョータに教えてもらうことなのだ!
「えー!兄ちゃん答え写してる。ずるいよー!」
「ふ、いつかコタローにも分かる時がくるさ...。それで、用件はなんだ?」
「うん!算数の宿題の最後の問題を教えてほしいんだ!」
そう言うと、コタローは懐から『夏休みの友』と書かれた夏休みの敵を取り出した。
「ふふ、そんなことか!よかろう、兄ちゃんが一秒で解いてやる!」
リョータはやや大仰な仕草でそれを取る。その時、リョータは「どうせ小学生の問題だし、休憩がてら解いてもいいだろう」と考えていた。
しかし、その視線の先にあったものは...
『任意のコンパクトな単純ゲージ群Gに対して、非自明な量子ヤン・ミルズ理論が’R4上に存在し、質量ギャップΔ>oを持つことを証明せよ。』
「うん?」
リョータは思わずそう呟いてしまう。そして、ぎこちなく弟のほうを見てみると、そこには一切の曇りがない、光に満ち溢れた顔があった。
「コ、コタロー。これは本当に宿題なのか?」
「うん、そうだよ!先生がさ、『最終問題はちょっと難しいぞ!親御さんなんかに聞いてみるとわかるかも!?』って言ってたよ!」
「そ、そうか...。」
そう言ったきり、リョータは黙り込んでしまう。そのまま三分も経つと、流石に不安に思ったのかコタローが口を開く。
「に、兄ちゃん。二時からタケル君と野球の約束があるんだ。教えてもらうのは後にするよ」
そう言うと、コタローは兄の手から冊子を取ろうとする。しかし、固く握られていて取ることができない。
「まあまて、我が弟よ。兄ちゃんはこの問題分かったんだけどな、説明するのが難しいから考えていたんだ。野球に行っている間にまとめておくから、遠慮なく遊んできなさい」
「流石兄ちゃん!ありがとう、タケル君の所に行ってくるよ!」
ドタバタと音を立てながらコタローが部屋から出ていくのを見てから、リョータは大きくため息をつく。
「どうすればいいんだ...」
リョータは頭を抱えて机に向かう。
「このままでは、コタローに呆れられてしまう...」
五分後。リョータの頭の中には三つの選択肢があった。
一.答えを写す
二.ネットから探して写す
三.何もしない
三はないだろう、とリョータは考えた。何もしなければ、コタローがどんな反応をするかわからない。
とりあえずは、一の答えを写すがとりあえずの正解だろう。
だがーー
「なん...だと...」
『こたえ』と書かれたページにはその問題の答えは無かった。その代わりに、六と書かれている。
「いや明らかに違うだろ...なんか間違えてるよこれ」
このままではーーコタローにカッコいいところをみせることができない。「なんでー」と言われても、説明することが出来ない。
だが、リョータには最終手段ーーネットがある。これで調べた答えと解説を貼り付けておけば、「兄ちゃんすごい!かっこいい!」と言われること間違いなし。さっそく調べてみるがーー
「なん、だこれーーー!」
画面上に表示されているのは、『ミレニアム懸賞問題 ヤンーミルズ方程式と質量ギャップ問題』と書かれたウェブサイト。
「よし!これを解けば俺も一億円ゲットーーじゃなくて!解けるわけねえだろこんなん!バカか!?」
行き場のないツッコミが部屋の中で反響する。
数分後、ようやく落ち着いたリョータは考える。これは未解決問題だから、答えなんてネットに載っているわけがない。大方、算数の教師がなんか間違えたんだろう、と。
だが、ここでリョータは思いついた。これをWikipediaでも写して解いた感じにしておけば、コタローはわからないだろう、と。
コタローの宿題は終わるし、リョータの兄としての面目も保たれる。我ながら最高の案だ、と自画自賛しながらリョータはWikipediawを開くがーー
そこにあるのは文字の山。写しても写しても終わらなそうなその量に、リョータは自分の顔が引きつるのを感じた。
だが、印刷をすればネットから引っ張ってきたことがバレてしまう。あくまで、自分の文字で書かなければいけない。
今ここに、リョータの戦いがはじまったーー
そして、三時間が経った。
ドアが勢いよく開く。ドアを開けたのは、もちろんコタロー。
「兄ちゃん、帰ってきたよ!それで、宿題のほうはどうなったの?」
明るく言い放つコタローの声に、机に突っ伏していたリョータが反応する。
だが、その目は血走り、まるで幽鬼のような形相だった。あまりの恐ろしさにコタローは「ひっ」と一歩下がる。
「あぁ...コタローか...これが宿題な。兄ちゃん疲れてるからさ、寝させてくれ...」
ルーズリーフが何枚もくっ付いている冊子と、そのあまりにも死にそうな声に恐怖を感じたのだろう。コタローは小声で「あ、ありがとう...」と言ってそそくさと部屋から出て行った。
そこでなにかの糸が途切れたのか、リョータは力なく倒れ伏す。
「俺はもう、疲れたよ...」
ーーその日、リョータが起き上がることはなかった。
ーーちなみに、当然のように彼の宿題は終わらず、その言い訳に「俺は未解決問題を解こうとしたんだ!だからしかたなかったんだぁーー!」と叫んで担任にこっぴどく叱られたのは、また別の話だ。