実父との生活。~小学生2~
ただ、小学生の私には支えがあった。
それが保健室の先生だった。
先生は、私の理想の親で・・・
いつだって私の味方だった。
周りの大人達が私を問題児扱いする中、先生だけは違ったのだ。
今でこそ、それも仕事の内だったのかもしれないと思うが。
当時はただ、優しく、厳しく、味方になってくれる人というのは
先生しかいなかったように思う。
そんな先生がいたから、私は毎日学校へ行き
保健室に通ったのだ。
一つの支えがあるというのはとても意味のあることで
私にとって先生は、教師ではなく親そのものだった。
正しくそれは、依存と呼ばれるものだったのでは?
と今でこそ思う。
しかし、その一年後。
先生は転勤で学校から去ったのだ。
私は誰よりも悲しんだ。
そして絶望した。
「また、いなくなるんだ」と。
先生がいなくなった後、私は荒れに荒れた。
なんたって私の周りには文字通り敵しかいなかったのだから。
男子相手にケンカは当たり前。
酷いときには男子を女子トイレに押し込み泣かしたり
殴る蹴るの暴力。
最低な行為をしたのだ。
私が唯一曲げなかったのは
自分からは手を出さず、やられたらやり返す・・・徹底的に。
ただそれだけだ。
教師相手にもそうだった。
小学5年の時には化粧をすることを覚え
家に残っていた母の化粧道具で化粧をして行った。
それは教師から怒られることで
怒られれば
「先生達はしているのに、なんで私はしちゃいけないの?
私がしちゃいけないなら先生達もしてこないでよ
教師は生徒の見本なんでしょ?」
なんて言っては、余計に怒らせていた。
もし、私が教師だったなら・・・
こんな生徒はお断りだと思うくらい私はクソガキだったのだ。
そんなことにすら気づかない私はそのまま成長していく。
しかし、それは幸いにも小学6年になると鳴りを潜めた。
何故なら転校してきた男の子に恋をしたからだ。
男の子は誰にでも優しかった。
こんな私にでさえも。
彼の優しさが、私の考えをまた少し変えたのだ。
「どうして私は人に優しくできないんだろう」
そんなことを考えていたとき
私は彼に「どうして人に優しくできるのか」と聞いた。
「僕がお父さんから言われたんだけど【人に優しく出来ないのは、自分が人に優しくされたことがないから。優しくされていたとしても、心のどこかで自分は必要とされてないと考えたりしてしまって余裕がないから】だから、僕は他のみんなが僕にしてくれたことを真似してるだけなんだ」
なんだかその言葉がストンと胸に落ちた。
「私は必要とされたいんだ」
私の中で答えが出た瞬間だった。