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妄想の帝国

妄想の帝国 その24 ハンカン罪 

作者: 天城冴

卒業間近なのに就職先が決まらないヒロアキに妹からの電話が入る。容姿端麗、成績優秀な自慢の妹が留学生の推薦枠に入れなかったというのだ。妹自身も納得できず、教師に問い合わせる。教師が語った驚きの理由とは…

「畜生、また、ダメか」

自分宛てにきた郵便の中身を見るなりヒロアキは嘆いた。

“残念ながらご縁がありませんでした”

の文字、似たような文言を何度見たことか。思わず壁を叩きたくなる。だが、薄い部屋の壁は少し叩いたら、すぐ抜けてしまうだろう。そうなったら格安のこのアパートからも追い出される。

ヒロアキは喚きそうになるのを我慢してつぶやいた。

「なんで、俺だけ駄目なんだよ」

同期の大学のゼミ仲間は皆就職先がきまっているというのに。アメリカのグローバル企業だけでなく、隣国の一流企業からもお呼びがかかってどうしようか、と贅沢な悩みを抱えているものもいる。

「もう数十いや、ひょっとしたら百かな」

ヒロアキは自嘲気味に面接を受けた会社を数えてみる。

「隣国や中国の企業だけじゃないのに、国内の企業だって受けてるのに、なんでダメなんだ」

経済統一で今や世界の有望フロンティアとなった隣国や、アメリカと肩を並べそうな中国、インドの企業なら面接で落とされるのは、まだわかる。英語に加え現地の言葉も操るのが必須で、英語もなんとかのヒロアキには、面接にこぎつけるだけでも一苦労なのだ。

 必死になって大学にはいったもののヒロアキにはコネもなく後ろ盾もない。都会育ちで親もしっかりしている学友たちと同じ就職先は無理としても、なんとか都会の会社に就職はしたいと思っていた。だが、

「ソンニー、ドヨタ。はは、斜陽のニホン企業にも断れるなんてな」

ヒロアキは自嘲気味につぶやく。祖父や父の代には憧れの大手企業。だが、今ではヒロアキの通う大学より格下の三流と言われる大学の卒業生でも気軽に面接を受けられ、実際に採用された。いや、ぜひ就職してほしいと懇願されたとも聞く。

すでにニホンの元大手企業は国内の学生どころか、見下していた東南アジアの学生たちにも敬遠されるほど落ちぶれていた。欧米の下請け、東アジア諸国の元請けとみなされ、外国人のトップが多数をしめ、事実上、他国の会社となったところも少なくない。それなのに、そんなところさえ落ちたのだ、都会の一流の大学に在籍する自分が。

「こうなったら地元に帰るしかないか、でもだいたい会社すらないし」

 親父の会社もつぶれたしな、とボソッとつぶやく。まあ思い上がったボンボンだったから仕方ないけど。息子のヒロアキの目から見ても、父親には実力がなかった。創業者の祖父のおかげで、職人肌の従業員は残ってくれたし、事務能力の高い母と結婚もできたが、本人は取引先の担当者に接待するのが上手い以外取り柄はなかった。いや、家族や従業員に我儘や無理難題をいうというマイナスの面は多々あったが。そんなんだから潰れるんだ、と倒産した時にヒロアキは秘かにおもった。

ヒロアキの父の代には先進国最多を誇った、この国の中小企業の数は激減していた。度重なる増税、とくに消費税増税のあおりをくらって、廃業する会社も少なくなかった。元々祖父の功績を食いつぶしていると噂されたヒロアキの父の会社はあっけないほど簡単に倒産した。働き者の母のおかげで路頭に迷うことは無かったが、父の我儘ぶりも金遣いの荒さにもヒロアキ達家族は苦労させられた。だからこそ父親を反面教師としてヒロアキは努力してきたのだ。

「都会にでて就職しなきゃって思って頑張ったんだけどな、なんでこんなに落とされるんだ、俺のどこが悪いんだ」

公立の高校から、必死で奨学金を受けて上京し一流と言われる大学に通い、なんとか卒業までこぎつけた。格別に優秀とは言えないが、それなりの成績で就職率も抜群のゼミにも入れたし、目だった失敗もないはず。それなのに、どうしてこんなに会社の面接を落とされるんだ…。いぶかしがるヒロアキの携帯がなった。

 この着信音、妹だ。

「もしもし、お兄ちゃん?」

「ああ、どうしたんだ」

「私、落ちちゃった」

「え?って落ちたって、まさか留学試験をか!」

そんな、バカな。

妹が、俺の自慢の妹が落ちるなんて…、ヒロアキは愕然とした。

「どうしたんだ、お前試験のときに具合でも悪かったのか」

「そんなことない!体調も万全に整えて、面接でも試験でも最高のコンディション…だったんだけど」

そうだ、妹は頭も、勘もいい。自己コントロールもできるはずだ。あまりに出来すぎなので嫉妬する気すらおこらないぐらいだ。おまけに性格もよく、かわいらしいのだ、兄の欲目かもしれないが。こんなに賢く可愛い妹が自分を兄と慕ってくれ仲が良いのは漫画みたいだ、これだけは人生よかったと思える数少ないことだよな、とヒロアキは常々思っていた。

 そんな最高の妹がなぜ?

「ま、まさか名前書き忘れた、とかじゃないとよな」

馬鹿なことを聞いた、妹がそんなことするはずないじゃないか。また怒るかなと思っていたが

「ううん、そんなことじゃない、らしいの。そんなことじゃ」

「そんなことじゃないなら、どういうことなんだよ」

わけがわからない。ヒロアキは妹に尋ねた。

「あの、さ、不合格って伝えれたけど、納得できなくて、先生に聞いてみたの。だって私より成績が悪い子は合格だったし」

それはそうだ、留学なんて成績順だとおもうじゃないか。一体、なんで

「費用が足りないってのか!それなら俺が」

就職出来たら、なんとかしてやれるのに

「そうじゃないよ。だいたい生活費も含めた費用付きっていう留学制度だし。“この国の将来のために優秀な生徒を送り出す”ってお題目だから、お金の問題じゃ、ないんだよね」

「それじゃ、なんで」

「…、お父さんの、せい、かもしれないって」

「え?」

「お兄ちゃん、ハンカン罪って知ってる」

まさか…親父が。いや、ありうる、あの新法に引っかかるようなことをやりかねない。プライドばかり高くて卑屈で、そのくせ人を見下すような態度をとる、あいつなら。

 ハンカン罪、それは正式には“差別、特に人種、性別、国籍などに基づく差別禁止法”だ。かつて、この国が近隣諸国や外国籍の居住者、難民、女性などに対してヘイトスピーチやヘイトクライムに満ち溢れ、結果、先進国から、いや国際社会からつまはじきにされたことの反省からできた法律だ。差別的な言動は公的な場はもちろん、日常生活、居酒屋などの酒の席でさえ許されない。ネット上の匿名の書き込みでさえ、アカウント廃止どころかアカウントが永久に作れず、事実上社会生活を営むのも困難になるのだ。初回は警告を受けるだけだが、二回目となると逮捕され収監、更生のための施設に入ることを余儀なくされる。ちなみに保釈はないし、罰金もないが、完全に更生したとみなされるまで施設から出られない。実は原発の廃炉作業や産業廃棄物の処理に一生従事させられるという黒い噂もある。

「あの法律は、過去のこの国の反省の証としてできたんだ。上から下までヘイトにまみれ、近隣国に戦争を仕掛ける寸前だった旧政府と同じ過ちをしないために。だから、特別な部分がある、過去にそういった罪を犯した者に対しても矯正のための更生施設への収監が課せられることがある…」

法学部の友人に聞いた受け売りが口から出た。今まで他人事、話のタネぐらいに思っていたのだ、あの法律の主な対象は旧政財界の関係者だと聞いていたから。それと旧政府を支持した奴等を懲らしめるのが目的なのだと、二度と愚かな真似をしないように。

「そうなんだってね。それで、どうもお父さん、隣国へのヘイト言動かなりやってたんじゃないかって疑われてるんだって」

「でも、それは、親父がやったことだろう、なんでお前に」

「歪んだヘイト思考の親に育てられたから、子供も潜在的にそうなる傾向があるのではないかって、試験官が私の資料を見て、そう言ったんだって…」

そんな、そんなことって。ヒロアキは携帯を握りしめたまま、座り込んだ。

 だが…。これで納得がいく。優秀とはいえないにしろ、一流大学の名の知れたゼミに所属しているヒロアキがなぜ一つとして内定が取れないのか。親がハンカンだから、差別主義者の親をもつからだ。  

なるほど、確かに断られるわけだ。採用しようとする人物が差別主義者の親の影響を受けてたヘイト、特に隣国に対するヘイトなどしている人物だったら?もちろん敬遠するだろう。入社した後、差別的な言動を続けて、それが公になったら会社自体が危なくなるからだ。            いまやニホンは近隣諸国から仕事を発注してもらって食いつないでいるのだ。製造関係だけではない、国際的に市場を広げる通販サイト、旅行者が来る観光業など、アジア諸国に売り上げや顧客を頼っているのが現状だ。そんな中で、近隣国、特に今や飛ぶ鳥を落とす勢いの経済発展をとげつつある隣国に対するヘイトがバレたらどうなる。隣国に本社がある親会社に切られたり、あちこちの会社に取引を断られたりすれば会社は倒産に追い込まれる、よくて他社に買収だ、しかも悪い条件で。

 ようやく腑に落ちた。就職できないのは、自分の落ち度じゃない、親父のせい、なのか。

「お兄ちゃん、このこと、誰にも言わないでね。先生も絶対内緒にしてねって。私があんまりしつこく聞いて、それで可哀そうだからって、教えてくれたの。“貴女は悪くないけど、でも”って涙ぐんでたし」

そう告げる妹も泣きそうだ。嗚咽が混じった声で

「ねえ、お兄ちゃん…、私、もう、何やっても、ダメなのかなあ。…お父さんが、あんなだから…仕方ないのかな」

私じゃない、俺たちだ。ただ、あんな馬鹿な親父に育てられたというだけで、人生を滅茶滅茶にされるのか。親父に対して尊敬の念どころか軽蔑の念しかないような親子関係でも親父と一緒くたにされるのか。ヒロアキは怒り狂った。

「そんな理不尽なことがあるか!あんな馬鹿親父のせいで俺たちの人生破滅なんて、そんなことあるもんか!だいたい俺もお前もアイツの言うことなんて聞いてないし、信じてなんかない!母さんだって、内心はそうじゃないだろ、親父が何かにつけ八つ当たりするから黙ってただけだろ、本当は離婚したいってこっそりいうのを何度も聞いたよな、お前だって」

「お父さんが可哀そうって言ってたよね…、でも、私たちだって可哀そうって思ってくれなかったのかな」

「母さん、親父なんて棄ててでていけば、よかったんだ、実家がないからって我慢して」

「あたしたちが小さい頃はシングルマザーって生活が大変だったからでしょう。今はそうでもないけど」

「ああ福祉は充実したよな、税金はあんまりとられないし」

その点は旧政府よりずっといい。他国に支配されるも同然の政府と言われつつも、ヒロアキ達には以前よりも暮らしやすい面は多々ある。貧乏学生であるヒロアキがアルバイトもしないで学業に専念できたのも、分け隔てなく若者を援助する新政府の学費制度のおかげだ。だが、しかし、こんなことで自分たちの将来が危うくなるとは思ってもみなかった、差別主義者の親父のせいで。

「だいたい、なんで、そんなことがバレたんだよ、まったく」

「お母さんの仕事がうまくいって、いつもこの頃遅いの。そのせいか、お父さんまた外に飲みに行こうとしてるの。もう外で酔っぱらえるお店なんてないのに」

「社長だったころ通ってた店か、取引先での接待で使って、なんとか仕事とってたんだよな、現場仕事は従業員さんに押し付けてたけど。でも今、バーとかでも、もう酔いつぶれるような客は出入り禁止だろ。ホステスも駄目だし」

女性と侍らして酒をつがせるなんて禁止、売春、買春は厳しく取り締まられている。バーやスナックは酒を本当に好きで嗜む人間か、話好きぐらいしかいかない。酒の接待や女性がちやほやする店なんて、すでにこの国にはない、飲食をともなう過度の接待は旧政府の悪癖の一つだったから法律ですでに禁止されたのだ。

「昔の気分で行っちゃって、そのたびに追い出されるんだけど、そこで」

「隣国を侮辱するような発言が見られたってやつか」

「それだけじゃないの。スマホを買い替えたとき、ずっと前のデータを消してなくて」

「なんだと、それじゃ以前、旧政府の支持者の奴等と一緒にSNSで隣国とかのヘイトの書き込みしてて、それがバレたっていうのか」

「隣国だけじゃなくて、その、お母さんや私のことも、その、女のくせに生意気とか、親をバカにして留学なんてとか、他にも、酷いこと、書いてたみたい…」

ヒロアキは絶句した。妻や娘が自分より優秀だから、裏で口汚く罵るとは。能無しの上に努力もしないで、仕事は下請けや従業員に丸投げ、自分は取引先に媚をうってただけのくせに。そのくせ、無能な自分がいつ追いやられるかとビクビクしてコッソリと匿名で隣国や弱者、マイノリティ叩きに勤しむ。なんてオヤジだ、吐き気がする。

 それならば、そんな最低野郎なら、いっそのこと…。

ヒロアキは妹に改めて尋ねた。

「オヤジはまだ、正式に逮捕されてないんだよな」

「う、うん、まだ疑い濃厚ってことで。いろいろ噂にはなってるけど」

「それなら、安心しろ、俺に考えがある」

「え、お兄ちゃん、どうするの?」

「お前は母さんに何があっても心配するなって言っておいてくれ。あと、絶対オヤジをかばうなとも」

「う、うん。だけど、なんで」

「俺も伊達に大学に通っているわけじゃないんだ」

ヒロアキは電話を切って、パソコンを急いで立ち上げた、ネットである法律を調べる。

“ハンカンの親族がいて迷惑をかけられた、つまり損害がでたとき、対処法があるんだ。あまり知られてないけど、ほらここのとこ“

法律を学ぶ友人がこっそり教えてくれた条文を必死になって探す。そして

「あった、これだ、この方法なら」

ヒロアキは早速手配をした。


数か月後。

「準備できたか」

「うん、でも今でも信じられない。留学の再審査受けて、本当に外国に行けるなんて」

「まあ、そうだな」

よかった、妹の喜ぶ顔をみてヒロアキは心からそう思った。自分の決断は、間違っていなかったのだ、迷いもあったが。

妹からの電話を切った後、ヒロアキは父親をハンカン罪と差別思想を子供に吹き込んだという子に対する虐待の容疑で警察に通報したのだ。ハンカンの親と同類のレイシスト、ヘイトを好むものとみなされない方法、それは子供自ら親をハンカン罪で訴えるということだった。親が警察に逮捕される前に逆に親をつきだすのだ、親の思想に賛同していない証として。親が歪んだ思想をもったために、子供である自分たち兄妹が社会生活を送るのに著しい損害を受けたとして。

(親兄弟、親族を売るような行為だからって、あんまり知られていないらしいが)

しかし、親が子供の将来を閉ざす、台無しにするようなら、構うものか。本当なら自分を犠牲にしてでも子供のために、子供が生き残るために奮闘するのが親じゃないのか。好き勝手して妻や子を犠牲にするなんて、我が身を子供に喰わせるという蜘蛛やダニ以下じゃないか。子供の将来を踏みにじるオヤジなんて要らない、こっちから棄ててやる。ヒロアキはそう決心して通報したのだ、自分の父親を。

「お母さん、一人になっちゃうけど、大丈夫かな」

「何言ってるんだ、母さんは俺と当分一緒だから」

「あ、そうだね。お兄ちゃんもいいところに就職できたから、すごいよね」

「そうだな」

父親を通報した後、地元でヒロアキを悪く言うものもいたが、都会の会社の反応は少し違っていた。たとえ身内でも差別やヘイトを許さず、毅然として対応する人間として、また父を訴えるという行為により自分が損害を受けることも構わず、家族や周りの人間のために行動した勇気ある男として評価され、一度は断られた外国の企業に就職が決まったのだ。

「これから家族二人で暮らせる家に住めるからな。母さんもこっちで仕事が決まったし」

母も最初は渋っていたが、父がいなくなったことで吹っ切れたようだ。過去の嫌なことを忘れるためか、都会に出てヒロアキと一緒に暮らすことに同意してくれた。

「お母さん、何でもできるから、どこの会社でも大丈夫なんだね。お兄ちゃん、お母さんがいるなら結婚しなくてもいいんじゃない」

「馬鹿、母さんは働くんだぞ、家事ばっかりやる暇なんかあるか。第一、俺は家事全般完璧だ。それに母さんだって再婚するかもしれないんだぞ」

「ええ!そうなったら、お兄ちゃん、また一人?」

「安心しろ、お前が帰ってくるまで、独身でいてやる」

「いてやる、じゃなくていることになる、でしょ。そうなったら留学先でできた超優秀で美人な友達を紹介してあげるよ」

「ああ、期待しててやってもいいぞ。お前もいい男みつけるんだな」

「大丈夫、お兄ちゃんがいるから」

数か月前の落ち込みは嘘のように、はち切れんばかりの笑顔をみせる妹をみて、ヒロアキは心から喜んでいた。


親の心、子知らずとはいいますが、親のほうが子供の将来も考えず暴走する場合は大変困りものです。本人の意思にかかわらず、不利益を被るような場合には、子供への救済措置が欲しいものです。

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