劇場にて
お金もたっぷりと貰ったので、部屋に戻るとすぐに着替えをした。エリーが出してきたのはいつも着ているドレスよりもスカートのボリュームが抑えられたフリルの少ないドレスだ。
色は薄い緑色と白を中心としたあまり派手な感じのものではない上品な意匠が気に入っている。
「髪はハーフアップがいいですね」
普段は綺麗に結い上げるのだが、今日は緩めに編み込みハーフアップにしてもらった。
鏡の前で確認してから、エリーと護衛を連れて用意されたお忍び用の馬車に乗り込んだ。
街に到着すると、エリーと一緒にメイン通りをゆっくりと歩いた。護衛は気を利かせたのか、少し離れたところにいる。
「この辺りは小物を扱っているお店が多いです」
「本当だわ。綺麗に飾ってあるのね」
こうして目的のない買い物には来たことがないので、とても興味深い。
きょろきょろと辺りを見回しながら、歩いていれば他の店よりも明らかに女性が頻繁に出入りする店があった。
小奇麗な店舗に可愛らしく色々なものが飾ってある。どうやら髪飾りなど身に着けるものを取り扱っている店のようだ。
「あそこのお店に寄ってみたいわ」
「わかりました。行きましょう」
エリーが頷いたので、店に向かって歩いた。その店の中には沢山の女性たちがいた。私と同じようにお忍びで来ているような人もいれば、裕福そうな平民もいる。
貴族のわたしが身に着けるには少し品質が心配になる小物であるが、可愛らしいものが沢山売っている。少し興奮気味にお店の人を呼んだ。奥から20代後半ぐらいの女性店員が出てくる。
「ここから、ここまでをもらいたいのだけど、問題ないかしら?」
わたしが一つの棚の隅から隅までを指示した。店員が顔をひきつらせた。
「え? この棚にある物全部ですか?」
「ええ。もし商売に支障をきたすなら、諦めるわ」
「……少しお待ちください」
店員は奥へと慌てて戻っていった。エリーが呆れたようにため息をついた。
「やり過ぎです。流石にそんな買いかたをするとは思いませんでした」
「一度やってみたかったの。何かの小説に書いてあったわ」
結局は半分だけにしてもらえないかと泣きつかれて、半分だけ購入した。
「仕方がないわね」
「楽しそうで何よりです」
楽しい気持ちのまま、お店を回り、同じように菓子や小物を大量に購入する。
お昼をだいぶ回ったところで休憩に食事のできる店に入った。軽い軽食を頼んでエリーとおしゃべりを楽しんだ。
「好きなだけ買うのは気持ちがいいわね」
「あの買い方をするのなら、確かに爽快ですね」
平民が利用する小物店に置いてあった大量の髪飾りと大量のお菓子を思いながら、エリーは頷いた。屋敷の方へと届けてもらうようにお願いした時の、店員の引きつった顔を思い出し、エリーと笑ってしまった。いつまでも笑いが止まらなくて、涙さえ浮かんでくる。
「適当に買ったけど、使用人たちに行き渡るかしら?」
「大丈夫かと」
「よかった。じゃあ、そろそろ午後の公演が始まるから劇場に行きましょうか」
気分がよくなったところで、お父さまお勧めの劇場へと足を向けた。劇場は街の中心部にあり、貴族たちだけでなく裕福な平民も利用する。貴族以外の人間とも交流の持てる社交の場でもあった。
「リアーナ」
「セス?」
驚くことに劇場に入ると、セスに声を掛けられた。セスも上質ではあるが華やかさを押えた服を着ていた。城で出会う時よりも少し崩した着こなしで、どきりとする。
「久しぶり。こんなところで会えるなんて」
「ええ、本当ね。先日はウサギを保護してくれてありがとう」
思わぬところでセスに会えた嬉しさに思わず笑みが浮かぶ。セスもなんだか嬉しそうに見えるのは、わたしの思い過ごしだろうか。ここでセスに出逢えたことですべてがうまくいくような気がして、ふわふわした気分だ。
「あのウサギ、可愛いな。リアーナが好みそうだ」
「そうなの。可愛いのよ。セスは今日はどなたといらしているの?」
ウサギ、可愛いだなんて。
ウサギはわたしが変身した姿だから、可愛く見えるに違いない。婚約破棄した後、セスの所にウサギの姿で遊びに行くのも面白そうだ。
「義姉だ。兄上が用事が入ってこられなくなってしまったから、その代役だね」
「お義姉さまがいらしているのね? ご挨拶したいわ」
「今は社交で忙しいから、後で引き合わせるよ」
他愛ない会話をしていると、セスにぶつかるようにして引っ付く影があった。驚いて目を丸くすれば、セスは嫌そうな顔をする。
「こんなところでよさないか」
「だってセス様、わたしと一緒にいるよりも楽し気にしているから」
彼の腕に張り付いたのは可愛らしい女性だ。愛嬌のある丸顔で、茶色の髪はふんわりとしていた。見知らぬ女性の出現に硬直した。セスは呆れたようにため息を漏らした。
「マナーが悪くて済まない。義姉の親族の娘なんだ。行儀見習いでうちの屋敷に来ている」
「そんな意地悪を言わないでほしいわ」
拗ねながらも、牽制するようにわたしを睨みつけてくる。動揺した気持ちを何とか押し殺すと、余裕を見せてほほ笑んだ。
「今日はわたしもお忍びだから許すわ」
「見逃してもらえるのなら助かる」
そう言いつつ、彼は容赦なく彼女を自分から引き離した。
「痛いわ!」
「だったら離れろ。淑女は公共の場所で子供の様な態度は取らない」
セスと彼女の間にはかなりの温度差があるのか、引き離された彼女は不満そうに唇を尖らせる。
「ミレーヌ様に言いつけてやる」
「勝手にすればいい。そうだ、リアーナはボックス席だろう? 邪魔しても構わないか?」
セスが突然こちらに話題を振ってきたので、反射的に頷いた。
「わたしは構わないけど……別行動で大丈夫なの?」
「セス様?!」
彼女は驚いたように声を上げた。だが、セスは気にすることなくわたしの腕を取る。喚く彼女を置いて歩き始めた。
「ごめん、今ちょっと面倒なことになっていて。結婚相手として来ているようなんだが……あれはない」
「社交界では難しそうね。断れるの?」
「もちろん。それよりリアーナは一人? そうすると侯爵家の席に行くのはまずいか」
まだ婚約破棄が成立しているわけではないから、確かにまずいことはまずい。ただ、セスとわたしの関係は皆知っているので、大したことにはならないはずだ。と思いつつも、少し迷う。
「エリーもいるから大丈夫でしょう。もし心配なら劇場の人を同席させて……」
そんなことを話しながら、案内されたボックス席へと入る。
「やあ、遅かったね」
朗らかに挨拶をするファーガス様がいた。
わたしはこの時になって、お父さまに嵌められたことを知った。お金をもらう前に、しつこく考え直すようにと言っていたことを思い出す。
楽しい気持ちが苛立ちに変わる。
あのクソ狸、お母さまに告げ口してやる。