ぶちまけたら涙が出た
どさりと重い体を寝台の上に投げ出した。ごろりと上向きに体を回転させ、そのついでに枕を両手でぎゅっと抱きしめる。枕の柔らかさがとても心地よい。
聞いてはいけないことを聞いた後、わたしはすぐにウサギから人に戻って、逃げるように屋敷に帰ってきた。少しでも城から離れたかった。
馬車に揺られ屋敷に着くまでの間、ずっと先ほど聞いた話が頭の中で繰り返される。何度も何度も繰り返し思い出せば、すべての会話がまずい気がしていた。
悶々と悩んだ挙句、結果としては今日聞いた話は封印することに決めた。確かに脅しに使うにはいいかもしれないが、取扱注意情報は使うのもしんどい。
それに今だって、知ってはダメだと思いながらも、気になって仕方がない。ファーガス様は基本的に女好きのクズだという評価しか持っていなかったのだけど、今日の側室様とのやり取りを聞いているとそれだけではない気もする。
そんな秘密を持つファーガス様との結婚なんてますます考えられない。
やはり婚約破棄しなければ。
「もっと無難な秘密はないものかしら」
本人が隠したいと思っているけど、聞いても大したことのないような秘密が一番だ。あまり闇を突っつくのは賢くない。
ウサギになって偵察をするにしろ、もう少しやり方を変えないといけないかもしれない。その方法が今のところ思いつかないけど……。
目を瞑って枕を抱きしめながらその柔らかさを堪能していると、さっと枕が奪われた。驚いて目を開ければ、覗き込むようにしているエリーと目が合う。
「お嬢さま。せめてドレスを脱いでください」
「えー」
「久しぶりにお屋敷の方へ戻ってきたのです。すぐにお風呂を用意いたしますから、部屋着にお着替えを」
「面倒くさい。もうこのまま脱いですぐに入りたい」
エリーに我儘を振りまきながら、枕を奪い返そうと手を伸ばした。
17歳にもなってこの態度はどうだとは思う。思うが、精神的に疲れ切っていて、現実逃避したい。エリーは大きなため息をついた。
「それから今夜の食事は家族皆さまで取ることになっております」
「え、全員そろっているの?」
この屋敷に住んでいるのは、丸ぽちゃハゲ狸のお父さまと、一寸の隙もない完璧夫人であるお母さま。そして妹を外道に売るお兄さまだ。
お父さまは基本的には愛人宅を巡っているし、お母さまもこの時期は婦人会やら夜会に出ずっぱり。お兄さまも恋人と過ごすことが多いから、夜にいるなんて本当に珍しい。
「奥様もいますから、しっかりと準備させていただきます」
エリーはきっぱりと言い切ると、手を叩いた。控えの部屋にいた侍女二人が入ってくる。その並々ならぬ意気込みに、つい寝台の端の方へと下がった。
「……何で家で食事するのにたいそうな準備がいるの?!」
「今夜は奥様がいらっしゃるのです。お嬢さまが適当な格好をしていたら、わたしたち侍女の評価が下がります」
あー、うー、とか言葉にならない唸り声を出した。
確かにお母さまはとても厳しい方で、家であろうとだらしなく寛ぐなど許せない人だ。当然、丸ぽちゃハゲ狸のお父さまなんて常にお小言をもらっている。もっともお父さまの耳には入ってもすぐに通り抜けるスキルがあるのだけど。
まさか侍女たちにもその緊張が伝わっているとは思わなかった。
「普通でいいのに。お母さまは怒ったりしないわよ」
「そうかもしれませんが、気持ちの問題です」
「はあ、わかったわ。ほどほどにね? わたし、本当に疲れているの」
「心配いりません。お嬢さまはうたた寝をしていても構いません。その間に仕上げさせてもらいます」
それもまた怖くて、頑張って起きていようと決めた。
******
小さな音も立てることなく、無心に食事を進める。今日は料理人も張り切っているのか、いつものような簡単なものではなく、何故かフルコースだ。
しかもテーブルには身内しかいないのに豪華な花も飾ってあって、いかにこの屋敷がお母さまによって支配されているのかわかる。
普段は一人で食べるか、たまにお兄さまがいる程度なのだが、今日は緊張しながらの食事だ。お父さまとお兄さまも緊張しているためなのか、この部屋に音というものが全くしない。
針を落としたら、針が床に触れた音が聞こえるのではないかと思うほどの静寂。
葬式よりも悪い。無音の世界で、ひたすら時間が経過することを祈る。幸いにして食事をするという使命があるから、じっと座っていられるのかもしれない。
「ところで、リアーナ」
一通り食べ終わり、食後のお茶が出てきたところでお母さまがわたしの名前を呼んだ。ぴりっと背筋を伸ばす。
「はい、何でしょうか?」
「18歳になったらラヴィーン侯爵家の後継者としてあちらでの生活をすることに決まりました」
「聞いています」
今さら何を確認するのだろうと、首を捻った。ラヴィーン侯爵家はお母さまの実家で、今は叔父さまが侯爵当主をしていた。
叔父さまの子供たちは4人いたのだけれども、お姉さまたちはさっさと嫁いでいった。次男のお兄さまは好きな女が平民だったからと家を捨てて出て行って、長男のお兄さまは魔術の可能性を探しに行くと出奔した。
本当ならば、わたしではなくてお姉さまたちが跡を継げたらよかったのだけど、二人ともわたしの半分しか魔力がなかった。それでは当主にはなれないのだ。面倒くさい家である。
こんな話はどうでもよくて、要するにわたしが跡取りに選ばれたときにすでに18歳になったら籍を変えることになっていた。
「殿下もすでに22歳ですし、切りがいいので貴女がラヴィーン家に入るのと同時に婚姻することが決まりました」
「はい!?」
驚きのあまりに思わず立ち上がった。お母さまに冷ややかな目を向けられて、慌てて腰を下ろす。
「何を驚くことがあるのです。早い人なら15歳で嫁いでいますよ」
「そうかもしれませんが、ファーガス様にとってはいささか急ではありませんか?」
まさか婚約破棄を狙っているとはいえず、ファーガス様を理由に挙げた。お母さまは不審そうに眉を寄せたが、特に追及はしなかった。
「明日でも大丈夫なんじゃないか? 殿下はいつだって王城を出たいと思っていたから」
余計な情報をお兄さまが告げる。ぎろりと睨みつければ、お兄さまは肩を竦めた。絶対にこれはわたしの気持ちを知っていて逃げ場を塞いでいる。
「わたしもラヴィーン侯爵家での生活は初めてですし、次期当主としての勉強を済ませてから婚姻したいと思っているのです」
とにかく時間を稼ごうと、もっともらしい言い訳をぺらぺらと並びたてた。お母さまは何かを考えるようにじっと耳を傾けている。
まずい、まずい、まずい。
お母さまのあの表情はとてもまずい。
そうね、という言葉を引き出そうと口を開いた。
「だったら先に結婚してしまえばいいんじゃないか?」
「は?!」
突飛な一言が丸ぽちゃハゲ狸から発せられた。おかわりもすべて食べ終わった狸は膨れた腹を満足げにさすりながら、もっともらしいことを喋り出す。
「侯爵家当主になる勉強はここでもできるが、一番慣れなくてはいけないのは結婚の方だろう。だったら、慣れ親しんだこの家で愛を育んだ後にラヴィーン侯爵家に移動すればいい」
本気で絞殺したい、この狸。
「案外、いい考えかもしれないね」
楽し気にお兄さまが笑う。お父さまは賛同を得られて、良いことを言ったと満面の笑顔だ。
流石クズ親子。
余計なことばかり言う。
「そうだろう。いくら殿下でもこの家から愛人の家には通わんだろうよ。少し歩み寄れば、夫婦としての形もできるというものだ」
「あり得ません! そもそもファーガス様はわたしのことを嫌っているのよ! 暗闇で顔を見なければ抱けるかもしれない、とまで言われているのに!」
大声でぶっちゃけた。
お父さまとお兄さまの笑顔が凍った。わたしは二人の固まった顔を見てやってしまったと俯いた。震える両手を握りしめると、大きく息を吐く。
「それは本当なの? 噂話ではなく?」
お母さまが静かに尋ねた。わたしは落ち着けと呪文のように心で唱えながら、頷いた。
「少し前の夜会で聞いてしまったのです。友人たちと楽しげに話していました。結婚してもわたし相手に初夜を迎えられるのかとか、そんな話をしていました」
尻すぼみになっていき、それ以上詳しく言うことができずに俯いた。
「わかりました。この婚約、破棄いたしましょう」
「え? 母上?!」
お母さまがきっぱりと言い切った。慌てたのはお兄さまだ。ぎろりとお兄さまをお母さまが睨みつける。お兄さまもお母さまには反論できないようで口をつぐんだ。
「そもそもどうして節操のない相手を妹の婚約者に勧めたのです。我慢しろというには度を超えています」
「お母さま」
涙がぶわっと溢れた。
わたしのことを大切に思ってくれる人がいるのだと胸が熱くなる。
お母さま、ごめんなさい。
ずっと敵だと思っていました。お母さまに情というものは存在しないとばかり。
心の中で謝りながら号泣した。涙も鼻水もみっともなく出てくる。淑女はこんな泣き方をしないと、止めないといけないと思いながらも次から次へと溢れてくる。そんなわたしの側にお母さまは近づいてきた。ハンカチで涙を拭われる。
「ごめんなさいね。もっとちゃんと話を聞けばよかったわ。心配しなくとも、婚約破棄は出来ますよ」
「でも」
ぐすぐすと鼻をすすりながら震える声で反論すれば、お母さまの表情が消えた。
「物事には限界があります。殿下は元々女性関係が派手だったので、あなたの婚約の際にもきちんと線引きがなされているのです。あまりにも緩すぎるので、超えることはないと思っていましたが……楽々超えてくるなんて。どうしてやりましょうね」
「……」
無表情に呟くお母さまに恐ろしさと頼もしさを感じた。
身内が一番厄介。