偵察、開始!
朝のまだ早い時間にわたしはウサギの姿で、王城を歩いていた。警備している騎士に見つかるとつまみ出されてしまうので、気がつかれないように人通りの少ない道を選ぶ。
そしてようやくたどり着いたのが、王族の生活用の領域だ。ここは本当に限られた人間しか入ることができない。ちなみにわたしは疎まれているけど婚約者なので、数回来たことがある。3年で数回よ。事実だけど、何故かイラっとした。
個人的な感情を足を踏み鳴らすことで散らしてから、結界を睨みつけた。王族の私的な空間だからどこよりも結界は強固だ。
結界は薄い膜のように思われているが、実態は少し違う。網のようなもので、所々に穴があるのだ。穴があると魔術による攻撃が通りそうであるがそんなことはない。
穴に魔術を感じると穴が縮まり絡めとる。からめとった魔術はすぐに砕かれる。この仕組みは簡単にしか説明してもらっていない。はじめは膜のようなもので弾いていたようだが、何かの不都合があったらしい。その改良版で作られたのがこの網目状の結界だ。
魔術師団の機密情報である。
どうしてわたしが知っているかと言えば、この結界を維持するための魔力を提供しているからだ。魔力提供者であるため、多少干渉しても魔力探知は発動しない。この結界に干渉して自分だけが通れる穴を作ってもばれない。小さい頃、城を抜け出すために覚えた技術だ。
セスと一緒になって……。
そこまで思い出して、首を傾げた。面倒を見てくれたお兄さんに教わったのは間違いないが、どうしても顔が思い出せない。
顔の部分だけぼやけるのを不思議に思いつつ、ちょいちょいと結界に細工をした。小さなウサギの体が入るぐらいに穴を広げると、ぴょんと中に入る。
こうして王族の私的領域に忍び込んだ。攻撃魔法も飛んでこないし、騎士も飛んでこないところから、成功した。中に入ってしまえば、後は自由に外に出られる。内側から出る分には反応しないのだ。
開けた穴を閉じながらにんまりと笑う。ファーガス様の与えられた部屋へと向かった。
わたしはその日一日、隠れながらファーガス様の行動を見ていた。耳だけではなく、ちょっとした隙間からも覗いてみる。だって音だけ拾うなんて、つまらないから。
正直に言って、びっくりした。
朝は早く起きて、朝食。
支度をした後は公務。
お昼には適当に食べて、また公務。
ここまでが感心したところ。真剣に仕事をしていて、この人は誰だと思ったぐらいだ。今いる場所からはファーガス様の横顔が見える。美貌も相まって、こうして真剣に取り組んでいる横顔に不本意にもきゅんとしてしまった。
ところがこの後はひどかった。
夕方あたりには仕事を終えると部屋を出て行った。もちろんわたしもついていく。彼が向かった先は王城の一番奥にある滅多に人が来ないような四阿だった。四阿にはすでに人が待っていた。少し離れた位置でファーガス様が彼女に近づいていくのを見守る。
ファーガス様に気がついて立ち上がった彼女はにっこりと妖艶な笑みを浮かべた。
胸がバーン、お尻がボーン、腰はキュッとしていて、唇はぽってりとしていて、まさに妖艶という言葉がよく似あう女性だ。
二人は王宮の一番奥にある四阿で落ち合うと、突然抱き合い唇を貪り合った。
見ているだけでも興奮……いやいや、わたしが興奮しちゃダメだろう。でも鼻息が荒くなるのは止められそうにない。ウサギの耳は小さな音でも拾ってくるから、近くで覗いている気分になる。耳に蓋が必要だ。
「ふふ。こんなところでいいのかしら?」
「誰も見ていないさ」
婚約者の心地よい低音の声が少しだけ掠れている。
キスをするたびに、ちゅっちゅっちゅと軽やかに雰囲気を盛り上げる音がする。
彼の手が彼女の体の線をなぞり、くすぐったそうに未亡人が体を捩る。捩っただけでも色気が漂う。
「貴方のいい人にこの間、突っかかられてしまったわよ?」
「いい人? リアーナのことか?」
「リアーナ様は婚約者でしょう? 違うわよ、最近よく夜会をエスコートしている彼女よ」
囁かれた言葉に、ファーガス様が体を少しだけ離した。やや不愉快そうなのは、行為を邪魔されたからだろうか。
「ああ、あの女か。男爵令嬢だったか」
「嫌だわ。その反応からすると手を出しているわけではないのね?」
「結婚したいと全身で訴えているから手は出していない。最近少し面倒になっている」
「その気がないのなら放置したらいいのに。夜会でのリアーナ様はとても可哀想。大切にしてあげないと」
くすくすと小さく笑う声が聞こえてくる。わたし静かに音を立てないように後ろに下がった。こんなふうに愛人に憐れまれていたのかと思うと悔しくて、胸がズキズキする。
今まで知りたいとも思っていなかったから距離を取っていた。耳に入るのは意地の悪い令嬢達からの噂話だけだ。噂が如何に信用ならないか理解しているから冷静でいられた。
でも今は違う。睦み合いながら話しているのを聞いてしまうと、息が苦しくなってくる。
「リアーナ、ね。十分大切にしていると思うけど」
「どこが? 殿下がいつも女性と親しくしているからとても可哀想だわ」
未亡人の言葉に、ファーガス様はため息をついた。
「どうしたんだ? 今はそんな話をしたいわけじゃない」
「そろそろ真面目にわたしたちの関係を考えないといけないと思って」
「結婚しても変わらないと思うが……」
困惑気味に呟けば、未亡人がさらに言葉を重ねた。
「だったらリアーナ様への態度を変えてほしいわ。わたしも悪女だと言われるのは不本意ですもの」
「悪女?」
「そうよ。最近、少し肩身が狭いの」
「リアーナか。あまりにも初心すぎて放置気味になっているのは否定できない。男慣れしていなくて面倒だ」
どうやらこの女性がわたしを憐れんでいるのは、自分の評判を気にしてのことらしい。思わず体を隠すのに使っている大木に蹴りを入れる。
ファーガス様が未亡人の耳に何かを囁いた。女の口から小さな笑いが零れる。
怒りを発散するために大木に八つ当たりしている間に、二人は連れだって歩き出した。恐らくどこかの客間に行くのだろう。
流石に追いかけられなくて、蹴りを止めてその場に丸くなる。体が気持ちに引っ張られているのか、少し重く感じた。
「初心すぎて、面倒か」
見た目は侍女たちが磨いてくれるから問題なくとも、会話は確かに弾んだことはない。ちょっとした触れ合いに体を強張らせていたのもわかっていたようだ。
頭ではわかっていたことなのに、彼の言葉で聞いてみると胸が痛かった。
これを毎回聞かなくてはいけないのかと思うと、早くも一日目にして心が折れてしまいそう。