魔術でぽん
わたしは夜会のあった翌日、新しい魔術の研究という名目で城の一角にある魔術師団用の建屋――通称魔術塔にある自室にこもっていた。普段から10日ぐらいは部屋にこもっているので、誰も疑問に思わない。いつもと同じように侍女のエリーにも来てもらった。
幼いころからお世話になっていた関係で、宮廷魔術師にはなれなかったけど研究だけは城にある魔術塔で行うことを許されていた。
特別なようで特別ではない。宮廷魔術師の業務の一つに城の結界維持というのがあるのだが、わたしはその仕事を個人的に請け負っていた。
この世界は人であればだれもが魔力を持って生まれる。その魔力を使う方法が魔術だ。
魔術は基礎を複雑に組み合わせて作り上げる。魔術理論というのが存在していて、小難しいことが書いてある。ただ研究が進んだ今はすべて商品化されていて、難しい理論など知らなくとも道具としてそれらを使うことができた。
ただし使うにも生まれ持った魔力の量というのが関係しているので、省魔力化は永遠の課題だ。
宮廷魔術師は宮廷魔術師団に所属していて、さらにその中には研究派と肉体派がいる。研究派は魔術の改良をしたり、新しいものを作り出したりする。肉体派はそのまま。魔術を使って戦う武闘派だ。
ちなみにわたしもセスも研究派だ。
家から持ってきた荷物はすべてエリーに任せて、部屋の一角に置いてある大きな鏡の前に立った。
今日、ここに来た目的はただ一つ。
変身魔術を使うことだ。
ということで、ぽん!
わたしは鏡の前で呪文を唱えた。ちなみに「ぽん」が呪文だ。
可愛らしい呪文だから、気持ちが高揚する。
起動条件は鏡の前であること。戻る時も同じくこの鏡の前で「ぽん」と唱える。
何故この鏡が必要かと言えば、この鏡には変身魔術の魔法陣が書き込まれているためだ。複雑すぎて、簡単に使うことなどできないのが難点だ。魔術師ならば、指先で空に魔法陣を書けば発動するのだがこの魔法陣は本当に複雑で描き切らない。
かっこよく空で描ければよかったのだけど、流石に情報が多すぎる。
もうちょっと何か工夫をしないといけない。できれば持ち運び可能にするのが目標だ。この部屋でしか使えないのはやはり不便だった。
「お嬢さま、今日も可愛らしいですわ」
鏡を睨みつけるようにして考え込んでいたわたしに、侍女のエリーはわたしの側に座ると優しく水色のリボンを結んでくれる。涼やかな薄い水色と白の縞模様のリボンだ。エリーの器用な手はふんわりとした結び目を作り出す。
『今日のリボンは初めて見た』
「先日、街に行った時に見つけたのです。お嬢さまの瞳と同じ色ですので似あうかと」
わたしはリボンを見えるように鏡の前で体を捻りながら、うろうろしてみた。
輝く銀色の毛に白と水色の縞模様リボン。
耳も大きく垂れているのでとても可愛らしい。
『うん。すごく可愛い。城で迷子になっていても、誰かの飼いウサギだと思ってくれるわね』
そう、今のわたしは手のひらサイズのウサギだ。
耳が垂れているのが特徴で、丸くて毛がふわっとしていて、とても可愛い。目は薄い水色でもちろん人の言葉も喋れる。
言葉も話せるようにしたのが一番難しかった。ちなみにこの姿でも魔法だって使える。威力はこのサイズに見合った物であるけどないよりはいい。捕まってもちょっと脅せば逃げる隙は作れるはず。
エリーはさらにわたしの毛をブラッシングし始めた。ただでさえふわふわしていた毛がさらに艶やかにふわりとなる。高貴なウサギになった気分だ。
「厨房には絶対に近寄ってはいけません。食料と間違えられてしまいます」
『大丈夫よ。行くところが逢引きに使われている四阿とか人気の少ない客間とかだから』
ふんと鼻息を荒くして拳をぐっと握りしめる。
「上手くいくといいのですけど……」
エリーはブラッシングしている手を止めて、不安そうに顔を曇らせた。わたしは宥めるように彼女の手をぽふぽふと叩く。
『勝手知ったる城よ。隠れる場所なんて沢山あるわ』
「それでも、本当にお嬢さまがやる必要があるのですか?」
『もちろんよ。ファーガス様の絶対的な弱みを握って婚約破棄を勝ち取って見せるわ!』
沢山、考えたのだ。
どうしたら婚約破棄ができるのか。
ただ婚約破棄するだけでは駄目だ。予定通りにわたしがラヴィーン侯爵家を継ぐことができて、なおかつお互いの醜聞にならない方法でないといけない。
わたしだって幸せな結婚はしたいし、ラヴィーン侯爵家の評価を下げるわけにはいかない。ただでさえ、従兄が出奔して印象が悪いのだ。わたしが追い打ちをかけてはいけない。
考えて、考えて、考えて、閃いた。
国王陛下の勅命で結ばれた婚約であったけど、政略というよりも親心で結ばれたもの。
ということは、ファーガス様が婚約を破棄したいと国王陛下に願えば理由なんて関係なく成立するはずだ。
そのためにはファーガス様の真っ青になるほどの弱みを……いえ、本当の望みを知って実現するように働きかければいいだけだ。ファーガス様もあれだけわたしを嫌っているのだから、本心では婚約破棄したいと思っているだろう。
「お嬢さま、ウサギの鳴き声、知っていますか?」
『ウサギの鳴き声? 何で?』
突然の質問に思わず首を傾げた。エリーはいつもと変わらない様子で頷いた。
「はい。変な鳴き方をして、周囲にばれてしまわないかだけが心配です」
『ちょっと鳴いてみるわね』
わたしは気持ちを整えた。息を吸って渾身の鳴き声を上げる。
『にー』
「……違います。ウサギはうーと鳴きます」
『……』
どうやら実際のうさぎの研究も必要だったようだ。困ったようにエリーを見上げれば、彼女は顔を輝かせていた。教える気満々だ。
「お嬢さま。いざとなったら、黙って足で攻撃です。ウサギの蹴りはとても素晴らしいものがありますから」
『わかったわ。やってみる。こうかしら?』
わたしはその場でジャンプして足を繰り出した。短いウサギの足がちょこんと空を切る。
『……』
破壊力のある蹴りのはずだが、この蹴りではどうにもならない気がした。
「……もう少し高めにジャンプ、できませんか?」
『こうかしら?』
今度は助走をつけてからジャンプした。足もちゃんと振り切る。だがやはり小さいせいなのか、足が短いせいなのか、先ほどとあまり変わらない。
「もっと早めに足を振りぬいてみては?」
『そうね』
その後も何度も何度も繰り返して、体に叩き込んだ。
……あまりにもやりすぎて疲れてしまったので、偵察は明日に持ち越しだ。
魔術の説明回。
ふわっとしているのは異世界恋愛だと割り切ってください。