夜会なんて参加するものじゃない
ああ、もう嫌だ。
目の前で繰り広げられる光景に気を抜けば、魂が抜けそうになる。
金髪碧眼の程よく鍛えられた美丈夫。
少し癖のある金髪は長めにカットされ、煌めく瞳は宝石のよう。
滅多に浮かべない微笑みに、若い女性だけでなく老若男女釘付けだ。
その隣には柔らかな茶色い髪をした可愛らしい令嬢。
庇護欲をそそる華奢な体つきに、心から信頼していると告げている純粋な好意を表す瞳。
恥ずかしがりながらも、美丈夫にぴたりと寄り添う。
完成された絵のようなこの光景。
ここしばらく夜会で見られる。
貴族たちは完璧に見える男女をちらちら見ては噂して、くすくすと扇の下で嗤う。
時々こちらにも意味ありげな視線が向けられるのだから、やっていられない。周囲に気がつかれないように扇を広げ、口元を隠して嘆息した。
ファーガス様はシャレにならないぐらい女好きで、わたしと3年前に婚約した後もふわふわと強い芳香を発する花を渡り歩いていた。相手の女性はどこぞの令夫人だったり、女優だったり、歌い手だったり、様々だ。共通点はただ一つ。誰もがファーガス様に並んでも見劣りしない美女だということだ。
ファーガス様の恋愛は長続きはせず、来る者は拒まず去る者は追わずの状態だ。彼のそのような軽薄な行動は婚約前から知っていたことなので、政略であることを考えれば大したことではない。既に織り込み済み。
大したことになりつつあるのは、勘違いした見た目儚げ肉食令嬢と出会ってからだ。いつもならすぐに飽きてしまうので、違和感を感じつつも放っておいたのもいけなかったのか。
夜会にわたしをエスコートしたその足で、彼女とずっと過ごすのだ。一度ならそういうこともあるかと思うが、そのようなことが何度も重なれば、わたしだけでなく周囲も今までとの違いを探そうと注目し始める。
そのため今日も誰よりも注目を浴びている。見なければいいのに、わたしもなんとなく二人を眺めていた。
ちなみにわたしはぽつんと一人夜会会場に放っておかれている状況だ。帰りたいけど、先ほど彼にエスコートされて会場に入ったばかり。流石に醜聞が過ぎるだろう。
帰ろうかどうしようかと悩んでいると、数人の令嬢に囲まれた。くるりと取り巻いた令嬢たちを見てうんざりする。この令嬢たちは噂好きで、特にわたしとファーガス様のすれ違い?が大好物だ。
「リアーナ様、よろしいのですか?」
よくないですが、二人の間に割って入ったらもっとひどいことになるじゃない。
「殿下もお人が悪い……婚約者を放っておいて身分の低い令嬢と一緒にいるなんて」
遊びなので、相手の女性の身分は関係ないのよ。
「きっと嫉妬してもらおうとしているだけですわ。男の人って自分が愛されているか試すところがあるのですって」
……意味が分からないわ。
同情したような素振りでわざわざ声を掛けてくる令嬢達。
わたしは心の中で突っ込みながら、ため息を何とか飲み込んだ。一通り、彼女たちの嫌味という慰めを聞き終わったところで、意識して気にしていないように言葉を返した。
「まあ、皆様、優しいお気遣いありがとうございます。ですが、あまりお気になさらないでください。結婚前から束縛するつもりはございませんのよ」
余裕の表情で思ってもいないことを口にする。何度も繰り返された会話だ。一種の挨拶のようになっている。
「これは随分と心が広い。どれだけ女を惹きつけるかは男の魅力の一つ。結婚前では寛大に接した方がよろしい」
「そうですぞ。浮気は男の甲斐性。それを許す女性は素晴らしい度量を持っている」
わたしたちの会話を聞いていたどこぞのジジイが分かったような口を利く。何を想像しているのか、いやらしい笑みさえ浮かべている。気持ち悪い。
「若い頃は夜会の度に……」
「おや、今でも現役では?」
がはははと品のない笑いが起こった。これが伯爵以上の会話だというのだから殺意が湧く。
感情に流されて、殺気が漏れそうになるが根性で押し殺した。
「おや? 二人ともどこかに行くようですな」
「ほほう。あちらは中庭……おやおや早くもお楽しみのようで」
蕩けるような笑みを浮かべ、お互いに支え合うように寄り添いながら二人は移動を始めた。器用なことに歩きながら頬にキスなどして、腰を触り自分の体に密着させていた。
二人きりで何をしにいくのか、非常に想像力が掻き立てられる。恐らくこの光景を見た人たちは皆同じ想像しかしないと思う。
未婚女性の貞淑がまだまだ健在なこの国であんな破廉恥な行為を隠れもせずに夜会で行うなんて、気が知れない。
男はまだいい。
ここにいる老害たちのように浮気も甲斐性だと声高に話し、過去の武勇伝を披露するような奴らもいる。
ちなみにわたしの祖父も父も同じことを言ってくる。母親も敵だ。婚約した当初、あんな女にだらしない男性は嫌だと泣いたら、女は余裕が大事だと笑顔で言い切った。
結婚前の遊びは許容すべきだということらしい。病気さえもらってこなければよいのだ。
ええ、もちろんわかっている。わたしも貴族だから、この世界のことはよくわかっている。上位貴族になるほど本妻の他に愛人を何人も囲う。愛人を囲えない男は財力も魅力もないと判断される。それがこの国の常識だ。
婚約者の相手が高級娼婦や未亡人であれば遊びだと弁えているのがほとんどだから、納得はしないがなんとか飲み込める。本妻にたてつくことなどないのだからある意味安心だ。
だ、け、ど!
あの女はダメだ。
いかに処女を高く売りつけるかしか考えていない。万が一、億が一、婚約破棄になるなら万々歳だが、結婚後も関係を続けられて愛人になったら目も当てられない。そろそろ排除を考えないといけない。
ファーガス様は王子だから、自分が王子妃になろうと画策しているのだと思う。男爵家の令嬢だから公然の秘密を知らないのかもしれない。
本当に馬鹿な女だ。どうして他の適齢期の令嬢がファーガス様を結婚相手として見ていないのか。ファーガス様の周囲にいる女性が皆、どこぞの令夫人や未亡人であるのか。
彼が爵位を賜るのではなく、わたしが継ぐ侯爵家に婿に入る意味を考えれば結婚相手にはしないだろう。
なんとなく二人を見送っていれば、彼と視線が絡み合った。軽薄そうな笑みがその口元に浮かぶのを見て気分が急降下する。
冷静そうに見せているが、わたしの中には絶望しかない。
あれでも公務はしっかりとこなしているようで優秀な部類に入るのだとか。
その分、下半身が不出来だった。下半身の緩い王子など、顔がよくても本来ならばお断りだ。
だがこれは王子の未来を憂いた国王陛下の命令で成立した婚約。
ホーソン侯爵家の令嬢であるわたしでも、女にだらしないからという理由だけで破棄することができない。
ふと、仲の良い侍女との会話を思い出した。
――残念イケメンというのは、ファーガス殿下のような人をいうのですね。
――お嬢さまをこんなにも傷つけるなんて許せません。
――こういう男性を呪う言葉がいくつかあるのですが、お嬢さまはご存知ですか?
――おすすめがありまして。
つらつらとそんなことを思い出し、ついうっかりと声になった。
「残念イケメンは禿げもげるべきだわ」
その小さな小さな声は近くにいた老害たちに届いたようで、ぎょっとした眼差しを向けられた。それに気がついてわたしはにっこりとほほ笑む。
「ふふ。侍女が教えてくれたのですが、意味が分かりませんの。ご存知でしょうか?」
「い、いや。若い者の言葉は難しいのぉ」
そそくさと老害たちが去っていくのを見送って、わたしも夜会会場を後にした。