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ケミラボを出ると、既に放課後の学校内は残った生徒の数も少なく、空は夕暮れに差し掛かっていた。
ルーナも恐らく自宅に戻っていることだろう。
サミュエルはクロエに連れられて、一緒にルーナの自宅であるエンジェル家の屋敷の前まで辿り着いた。
学校から住宅街は近く、歩いて行ける距離にあった。
それにしても豪邸だった。
まるで宮殿だ。
塀や門から遠く離れたところに豪華な建物が見える。
限られた住宅街の中にエンジェル家だけでこれだけの敷地を有すのは、ハッキリ言って迷惑極まりないのではないかと思わず突っ込みを入れたくなる程だった。
サミュエルがまだ心の準備も定まらないまま、クロエがインターホンを鳴らす。
すると年配の男声の応答があり、程無くして門戸が自動で開いた。
そして先程の声の主と思しき、燕尾服を着たお爺さんが出迎えに現れた。
恐らく執事か何かなのだろうとサミュエルは思った。
クロエは何度か訪れたことがあるのか、その執事と親しげに軽く挨拶や言葉を交わすと、そのまま敷地の中へと通された。
案内する執事の後に並んで付いていくと、建物に辿り着くまで剪定された並木道が続き、所々に天使や女神の彫像が飾られているのが見える。
見渡せば一体どこまで広がっているのか把握できないほど広い緑の絨毯のような芝生の庭園には、花壇に惜しみなく色とりどりの花々が植えられ噴水まであるのが見える。
庶民丸出しのサミュエルは異世界に迷い込んだかのように目をキョロキョロさせひたすら圧倒されながら歩いた。
バロック建築のような豪邸の中は、更に圧倒された。
広い玄関から見渡す景色は、赤い絨毯が敷き詰められた大きな階段と絢爛豪華な金箔を壁や天井、窓枠や扉のノブや装飾、シャンデリアや豪華な家具調度品など至る所に芸術的に施され、眩い限りである。
「ルーナお嬢様、ご友人をお連れ致しました」
階段に向かってそう告げる執事につられてサミュエルも階段の上を見上げると、その先にはウェディングのような白い花柄のワンピース姿をした長いピンクの髪の少女が立っていた。
彼女こそがルーナだ。
「はあい、ルーナ。今日は特別ゲストを連れて来たわ」
クロエは馴れたように軽く手を振った。
「クロエ! それに……」
ルーナは友人に笑顔を向けてから、その隣のサミュエルに視線を移す。
そして感極まったように胸の前で両指を組んで歓喜の声を上げた。
「サミュエル! 来てくれたのね!」
背景に分りやすいくらいにハートを飛ばしているのが見える。
「や、やあルーナ」
話したことも関わったことも無いとはいえ、意識下ではお互い顔見知りのハズだから、「はじめまして」というのもおかしいような気がして、サミュエルはどう返したら良いのか困った。
しかし、そんなサミュエルにお構いなく、興奮状態のルーナはフワリと軽やかに階段を降り、嬉々として二人を招き入れた。
「さあさあ、どうぞ中へいらして? 美味しい紅茶とお菓子をお出ししますわ!」
そう言ってサミュエルの背後に回り、肩に手を置いて客間へと誘導する。
接近したことで彼女の方がサミュエルよりも背が高いことが分かる。
高級ホテルばりの煌びやかな客間には見るからに高そうな絵画やアンティークが目に映り、テーブルやソファー、差し出されたティーカップや食器類に至るまで、触れることが戸惑われるほどだ。
若干、萎縮してしまっているサミュエルとは対照的にクロエは馴れたように紅茶の入ったティーカップを口にした。
香り高く上品な味の紅茶だ。
お供として添えられたお菓子は頬が落ちそうなほど濃厚なバターケーキ。
一見シンプルに見えるが、きっとこれもセレブ御用達か何かの最上級のものなのだろうとサミュエルは思った。
それか専属のパティシェが屋敷にいるのかも知れない。
サミュエルは何もかもが落ち着かなかったが、それ以上に落ち着かないのは他でもなく、向かいに座るルーナの熱烈な視線が常に自分に注がれていることだった。
「ああ、まるで夢のようだわ……‼ サミュエルがわたくしのお家に遊びに来てく
れるなんて……‼」
ルーナはうっとりとした表情で目の前のサミュエルを見つめていた。
クロエが言った通り、ルーナはやはりサミュエルにぞっこんのようだった。
これなら確かに上手く行けるかもしれないとサミュエルは思った。
「ぼ、僕も嬉しいよ、ルーナ。君とお近づきになれて……」
「ほ、本当っ⁉」
サミュエルの言葉にルーナは感激したように目をキラキラさせた。
ケミラボの存続の為だが、それでも罪悪感は無かった。
これはサミュエルの本心でもあるからだ。
決して騙しているわけではないのだとサミュエルは自分に言い聞かせた。
「き、君は、すごく素敵な女性だし、その、ずっといつか『友達』になりたいって思ってたんだ……だから、その……」
照れながら言うサミュエルにルーナは意図を察して最後まで聞かずに言った。
「今日から私達は『お友達』という事ですのね⁉」
「そ、そうだよ!」
「ああ、今日はなんという日なのでしょう! 感激ですわ!」
サミュエルの言葉にルーナは歓喜のあまり舞い上がって、翼が生えたようにフワフワと一瞬ソファーから宙に浮いたように見えた。
サミュエルは錯覚かと思って目をこすってもう一度、目の前のルーナを見たが、勿論、ちゃんとソファーに座っている。
いくら何でもそんな漫画のような表現ができる訳がない。
さっきまでタイムマシン作りに没頭していたから疲れているのだろう。
そろそろ『本題』に入らなくては……とサミュエルは思った。
しかし、どうやって?
そうサミュエルが思考を巡らしていると、先程までただ黙って紅茶を飲んでいただけのクロエが助け舟を出すように口を開いた。
いや、助け舟も何も、そもそもこれはクロエ本人が言い出した案なのだが。
「ルーナ。サミュエルは私と同じケミラボに所属してて、今タイムマシンを作っているのよ。タイムトラベラーになるのが彼の夢なの」
「まあ! タイムマシンなんて凄いですわ! 素敵な夢ね!」
ルーナは心の底から感心したように、頬の前で両手を重ね合わせて言った。
上手く話に食いついているようだ。
「ええ、でもその夢が今、潰えそうなのよ……」
クロエは瞳を閉じると右の頬に手を当てて、ワザとらしく溜息を吐いていった。
「まあ! どういうことですの⁉」
目をパチクリさせて驚きと心配の声を上げるルーナに、クロエはケミラボが予算のことで廃部の危機であることを説明した。
「そういうことでしたの……」
ルーナは二人の友人の苦境に親身になって応えてくれた。
「そういうことでしたら、わたくしにお任せください。きっと力になりますわ!」
その言葉を待っていたクロエは見えないように伏せていた顔でニヤリと笑った。
そして次に顔を上げた時には〝困り果てた可憐な友人〟の顔に戻っていた。
「ありがとうルーナ……アナタに相談してよかったわ」
「当然ですわ、あなた達はわたくしの大切なお友達ですもの……‼」
お互いの固く結ばれた友情を再確認するかのように両手を重ね合わせる二人に、サミュエルは若干引いた感じで見ていた。
ルーナは純粋だが、クロエは明らかに不純だからだ。
「明日、わたくしからも学校にお願いをしておきますわ」
「助かるわ、ルーナ」
談笑もそこそこに、お茶を済ませると窓から見える外の景色はすっかり夜の闇に包まれていた。
そろそろ帰宅しなければならない時間だ。
ヤバイシティは決して治安の良い街ではないからだ。
「お二人を車でお送りいたしますわ」
ルーナが執事に車で送迎させることを提案したが、大した距離でもないことからサミュエル達は断った。
「いいよ、別に。近いし夜道は慣れてるから」
「そうですか……」
心配そうに呟くルーナに、サミュエルは安心させるように笑顔でこう返した。
「じゃあ、また明日、学校でね」
それは紛れもなく『友達』になった証の言葉である。
ルーナは嬉しそうに頬をほんのりと紅く染めて小さく手を振った。
「はい、また明日……」
「じゃあね、ルーナ」
クロエも別れの挨拶を済ませて二人は豪邸を後にした。
「うまく行ったわねサミュエル」
帰りの夜道を二人で並んで歩きながらクロエは得意げに言った。
「本当にあれでうまく行くの? いくらエンジェル家が大富豪でも、彼女の独断で物事は決められないだろう」
「アナタ、本当にルーナのこと知らないのね?」
サミュエルの言葉にクロエは呆れたように溜息を吐きながら言った。
「もはやルーナはエンジェル家の財産を受け継いでいるのよ」
「……どういうこと?」
「彼女の両親、海外旅行中に飛行機事故で亡くなったのよ」
「えっ……?」
初めて聞かされる衝撃の事実にサミュエルは言葉を失った。
クロエは構わず話を続ける。
「だから、エンジェル家の莫大な財産は今、ルーナと彼女のお兄様の二人が握っているのよ。まあ正確には当主であるお兄様よね」
「お兄さんがいるんだ……」
「ええ、一個上の。確か海外に留学中って聞いたわ。近々帰ってくるんじゃないかしら。お兄様は妹のルーナを溺愛しているから彼女の願いは何でも叶えてくれると思うわ。だからノープロブレムよ」
「そう……」
サミュエルは相槌を打ちながらも、内心はケミラボのことよりもルーナの家族の事情に心を痛めていた。
何故なら、自分も幼い頃に両親を失っているから……。