同憂
脚本です。
ここでの登場人物
安藤輝三 帝国陸軍大尉 歩兵第3連隊第6中隊長
永田曹長 第1小隊長
堂込曹長 第2小隊長
青木常盤 日本青年協会常務理事
鈴木貫太郎 侍従長
〇 雪道 (東京 青山通り 昭和11年2月26日)
空から雪が舞っている
軍靴(数十足)新雪を踏み締めて行進して行く
グゥグゥグゥ・・・グゥグゥグゥ・・・グゥグゥグゥ・・・
〇 雪道 (東京 千鳥ヶ淵付近)
安藤 手を挙げて停止を合図する
行軍 立ち止まる
鈴木貫太郎官邸 薄明の空を背景に浮かび上がる
安藤 腕時計に目を落とす
〇 腕時計
4時50分
〇 雪道 (東京 千鳥ヶ淵付近)
安藤の元に2人の小隊長が来る
安藤 「よいか 永田の第1小隊は裏門から 堂込の第2小隊は表門から突入せよ」
永田 堂込 うなずく
〇 夜空から舞い落ちる雪
〇 鈴木貫太郎官邸 玄関 (昭和9年1月下旬)
木枯らしで落ち葉が舞っている
安藤 青木 立っている
〇 鈴木貫太郎官邸 応接室
安藤 青木 それに向かい合って鈴木が座っている
鈴木 「安藤君 純粋な君の眼から見れば 確かに今の政治は汚れ 世の中は乱れて 我慢なら
ないであるだろう しかし 軍人が政治に介入し政権を壟断することは完
全に 明治天皇が出された御勅論に反するんだ」
安藤 青木 姿勢を正して神妙に聞いている
鈴木 「軍備は国家防衛のために 国民の膏血(こうけつを絞って設けられたものであって
これらを国内政治改革に利用することは間違いなんだよ」
安藤 思わず 身を乗り出す
鈴木 「武力を背景に議論すると それは政治への武力介入に発展し 国の乱れを招くだけでは
なく本来の目的である国防をおろそかにすることになる これが明治天皇の深いお考え
によって 軍人勅論という形でおさしになったゆえんである」
安藤 膝の上置いた拳を握る
鈴木 「現在 陸軍の兵の多くは農村出身者である したがって 農村改革を軍の手でやり後願
の憂いなく外敵に対抗しようとするということは一応もっともな考え方である いやし
くも戦場において後願の憂いがあるからと言って戦えないと言う弱い意志の国民なら
その国は滅びてもやむを得まい 現に我が国でも日清 日露の戦役では一家を犠牲にし
て強敵と戦ったではないか」
鈴木 タバコに火をつける
鈴木 「安藤君 兵は可愛がるべきだが 甘やかしてはいけないよ」
安藤 「閣下の言われますことは 正論でありましょう しかし 隊付き将校として私は毎日の
ように兵と接し 一心同体であります 理屈だけでは納得できません また 兵の中で
後願の憂いがあると言って一命を捧げて戦うことを避けるような者は一人たりともおり
ません!」
鈴木 安藤を見つめる
安藤 「侍従長閣下 お言葉ではございますが 私達の身体には赤い血が流れています 兵に対
する深い愛情がなくては軍隊の団結はなく いざという時に戦力を発揮することは不可
能であります その指揮官である私たちが 兵たちの家庭の困窮に胸を痛め なんとか
して救済しようと思うのは当然と思います!」
鈴木 身を乗り出す
安藤 「現に私利私欲に走ってる政治家 財閥は何も手を打ってくれないではありませんか!」
鈴木 安藤を見つめる
安藤 「おそれ多いことながら お上は農民たちの今の姿をご存じなのでしょうか? 青年将校
達は お上の眼を覆っているのは 側近の重臣達だと考えております その筆頭は
閣下 あなただとさえ言っております 非常に失礼なことを申し上げましたが 率直な
お心を賜りたく存じます」
〇 窓
外は雪が降り出している
〇 鈴木貫太郎官邸 応接室(時間経過)
鈴木 「安藤君 君の純粋さと国を憂う心には心から頭を下げる 私にも君のような時代があっ
た・・・」
安藤 鈴木を見つめる
鈴木 「私は海軍では生粋の水雷屋だ 三百トン足らずの水雷挺で敵の戦艦に突撃して魚雷をぶ
っぱなすのが私の任務だった 君が生まれたばかりの頃 私は海軍一の暴れん坊と言わ
れていてね 日本海海戦でバルチック艦隊の息の根を止めた時は実に痛快だったよ
その意気は 七十を過ぎた今でも持っているつもりだよ」
鈴木 微笑んで灰皿でタバコをもみ消して安藤を見つめて
鈴木 「私だって国を憂いている 今の邪道非道を許せぬ正義感は君には負けないくらい持って
いるよ」
安藤 鈴木を見つめる
鈴木 「でもね 安藤君 今はその時期ではない 今は国力を養い 国防を充実させる時期だ
外科手術のメスを振るう時ではない 時間はかかるだろうが 内科的な治療で少しづつ
直していくしかないんだよ」
安藤 身を乗り出す
鈴木 「安藤君 今 無理に大手術したら 抵抗力のない病人は衰弱して逆に命を失うかもしれ
ない」
鈴木 安藤を見つめて
鈴木 「安藤君 早まってはいかんぞ!」
安藤 膝の上置いた拳を握る
鈴木は、窓を見て
鈴木 「雪が激しくなって来たようだね 車を用意させよう 乗っていきなさい」
安藤 「いえ 雪は慣れております お気遣い ありがとうございます」
〇 鈴木貫太郎官邸 玄関
安藤 軍靴を履いて立つ
青木 横に立っている
鈴木 「ここで失礼するよ 寒さは老体にこたえるのでな」
安藤 一礼する
鈴木 「安藤君! 早まってはいかんぞ!」
安藤 感極まり目を反らして戸を開けて 深々と降る雪中に飛び込む
〇 雪道 (東京 千鳥ヶ淵付近)
安藤 永田 堂込に向かって
安藤 「これより 第6中隊及び機関銃隊は 昭和維新を断行するため 鈴木侍従長官邸を
攻撃する!」
永田 堂込 姿勢を正す
安藤 「第1小隊は官邸裏門から侵入し侍従長の捜索に当たること」
永田 「はい!」
安藤 「第2小隊は表門から侵入し 同じく侍従長の捜索に当たること」
堂込 「はい!」
鈴木(声)「私だって国を憂いている・・・ 安藤君! 早まってはいかんぞ!」
安藤 鬼の形相で
安藤 「合言葉は 尊皇! 討奸!」
〇 夜空
舞い落ちる雪
原作: 奥田鑛一郎 「二・二六の礎 安藤輝三」より
脚本:浜昭二