四 紅葉賀
神無月半ば、先帝が住む朱雀院へ桐壺帝の行幸があった。東宮を始めとする親王たちとともに私も帝につき従い院の御所へ出向いた。
手入れの行き届いた庭では木々が鮮やかに葉を染めている。池には龍頭鷁首の舟が幾艘も行き交い、さまざまな楽が絶えず奏でられるさまは極楽浄土もかくやと思わせる。
昨日、宮中で開かれた試楽と同様に私は頭の中将とともに青海波を舞った。寄せては返す波を模した動きに、元服の時と同じように届くはずのない心をのせる。
届いてはいけない想いだと知っている、伝えることさえできない思いだとも。それでも、私は……
見つめる先で、東宮はただ穏やかに微笑んでいた。
舞い終えた私を御前に召し、東宮はねぎらいの言葉に続き、
「源氏の君は最も美しい海を見せてくれたね」
出来映えを称賛した。
その夜、私は舞の褒美として正三位に昇進した。ともに舞った中将も従四位上から正位下に位を上げた。
帝の行幸の後、藤壺の女御は出産のため三条の里に下った。王命婦の招きで秘かに邸に赴くと、藤壺の女御は人払いをし、御簾越しに私と向き合った。
「夏の夜でした」
藤壺の女御は静かに切り出した。
「わたくしはここで源氏の君とお会いしました。ですが、あの夜、貴方は宮中で管弦の遊びをなさっていたそうですね」
私は答えない。御簾越しに藤壺の女御が微笑む気配がする。
「父が誰であっても、この子の母は皇女であるわたくしです。月が満ち皇子を産んだのなら、その子が帝となれるよう源氏の君に後見をお願いしたいのです」
「あの夜の者が私ではないとお気づきだったのですね」
「貴方からお心を寄せていただいたと感じたことなどございませんもの」
母に生き写しと言われる姫宮は、母よりもずっと高貴で聡い。初めて龍神が訪れた時から私ではないと気づいていたのだろう。
「身代わりで終わりたくはないのです」
虫の音が遠く聞こえる。近づく冬に抗うように必死なまでに啼いている。
「帝にとってわたくしは桐壺の更衣の形代、亡き人の面影を今もわたくしに重ね続けていらっしゃる。ですが、わたくしは姫宮。大納言の姫の身代わりで終わるなど認められるはずもありません。桐壺の更衣は貴方を産んだ。ならば、わたくしは貴方以上の皇子を産みます」
「そのためになら、人ならざるものとでも契るのですか」
問えば、可憐な笑い声が返ってくる。
「あの夜の貴方は神のように美しかったのですよ。……何より、わたくしは母となる日を長く待ち望み続けてきたのです」
十七歳で入内した藤壺の女御もすでに二十三。格別の寵愛を受けながらも子に恵まれず、他の女御や更衣の懐妊を知らされる日々の長さを私は知らない。
「あの夜、わたくしにはほんのわずかな怖れもございませんでした。更衣の身代わりとされ、生きながらに自らを殺されるような虚しさこそ、わたくしが最も恐れるものだからです」
何も返せず、私は三条の邸を後にした。
元旦の朝、私は紫宸殿と昭陽舎、院の御所を巡り、帝、東宮、上皇に年賀を奏上した。
新年にふさわしく華やかに装った東宮は年始の挨拶が済むと藤壺の女御の出産が遅れていると口にし、繊細に整った顔を曇らせた。
「年が改まるより前に産まれると聞いていたのに、まだ気配もないらしくてね」
東宮は優しい心根のままに父帝の寵妃を案じている。罪を知らない存在の憂い顔が、私に罪をより鮮明に感じさせた。
人々が物の怪の仕業だと騒ぎたてる中、時は過ぎ、次の月に入ってようやく藤壺の女御は出産した。皇子だった。
さすがに良心の咎めでもあったのか、すぐにでも顔が見たいと帝に望まれながら、藤壺の女御は卯月(四月)を過ぎてからようやく子とともに御所に戻った。
東宮は無事の出産を喜び、
「若宮は不思議なほど源氏の君に似ている。美しく優れた者は自然と似通うものなのかもしれないね」
屈託なく私に微笑みかけた。
美しく魅力的に見えるよう留意し、私はごく自然な様子で笑みを返した。
文月、藤壺の宮が中宮に立ち、私は宰相に昇進した。先々帝の姫宮とは言え、東宮の母であり長く帝に仕えた弘徽殿の女御を差し置いての立后に、人々はあまりに過ぎたご寵愛だと眉をひそめた。そんな中、東宮は母を思い、顔を曇らせていた。
「父上は私が即位すれば皇太后となるのだからと母上をお慰めになられたそうだが」
帝や藤壺の中宮を憎めず、母である弘徽殿の女御の悲しみを思い、傷ついている。優しくやわらかな心、自分にはないからこそ惹かれてやまない。
「何かお聴かせいたしましょう」
言って、私は命婦に琴の琴の用意を命じた。
「ありがとう」
東宮という限りなく高貴な地位にありながら、微笑みは小さく、野に咲く一輪の花を思わせた。
龍神を父に中宮を母に持つ若宮は健やかに育ち、比類ない美貌は私に酷似し、光の君の再来と賞賛された。




