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源氏秘恋  作者: 世宇
12/22

十二 松風

 秋、二条邸の東院が完成した。

 私は東院の西の対に右大臣と弘徽殿の大后の世に変わっても変わらぬ心を捧げ続けてくれた花散里を迎え入れた。驕りのない恋人は西の対に着くなり、私にくり返し礼を言った。

 東院の東の対は明石の姫のために用意した。東宮への入内のためにも、なるべく早くこちらへ迎えたいが、母と子を引き離すことに躊躇いもある。

 明石の方は父である入道を残し、母とともに姫を連れ、母方の祖父が遺した大堰川近くの別邸にすでに移っている。私だけを頼りに都近くまで出てきた今、どれほどの不安を抱え過ごしているだろう。私は紫の上に嵯峨の御堂へ行くと偽り、明石の方の別邸へ向かった。


 三年ぶりに会う明石の方は容色に衰えもなく、気品に満ちた微笑みで私を迎えた。姫は三歳になっていて、ひどく愛らしい。

「ずっと会えずにいて悪かったね、明石の姫」

 言えば、明石の方の袿の袖を掴んでいた姫が不思議そうに見つめてくる。ふくふくとした白い頬がかわいらしい。

「だあれ」

「あなたのお父さまだよ」

「おとうさま」

「あなたを大切に想い、守る者だよ」

 言えば、さらに不思議そうに首を傾ける。

「あなたは私の大切な子だ、おいで」

 両手を広げる。姫が助けを求めるように見上げた先で明石の方が微笑む。

「さあ、姫、お父さまのところへ行って差し上げて」

 母に頷き、おぼつかない足取りで近づいてきた我が子を抱きしめる。小さくとも確かなぬくもりが愛しい。夕霧に続いて二人目の私の子。

 いつの日にか東宮へ入内し、皇子を産み、中宮となり国母にさえなり得る子だ。

「明石の姫、私はずっとあなたを待っていたのだよ」

 微笑みかければ、人見知りもせずにこりと笑い返してくる。幼くとも将来が待ち遠しくなる顔立ちだ。

 いつの日にか院と私の血を一つに結びつけるかもしれない子ども。

「あなたは私の宝物だよ」

 言って、私はもう一度、姫を抱きしめた。


 明石の方と語らううちに私の膝で眠りに落ちた姫は寝顔までも愛らしく一日でも早く二条院に引き取りたい思いが強まる。しかし、そうなれば姫は紫の上の養女となる。同じ邸内に明石の方を迎えても身分の低い実母は姫のもとへは通えない。母を早くに見送った私が実の母と娘を引き離そうとしている。このまま明石の方と姫をこの邸に住まわせ、日々の暮らしを支えるぐらいは容易いが、それでは東宮への入内が果たせない。子を親の私利私欲のために利用する。これでは呪いに近いほどの祈りで龍神の子を宿した母と同じだ。


 姫の引き取りを明石の方に言い出せぬまま二条院に少しでも近づくよう大堰川の別邸に手を入れた。

「二条のお邸にも劣りませんね」

 惟光が、見違えるように美しく整えられた邸に驚いている。

「葵を妻とした後、二条院に手を加え、あの頃は自らの趣味のとおりに造った邸で大切な人とともに過ごしたいと思っていたよ」

「では、お望みどおりですね。あちらには紫の上さまも花散里さまもいらっしゃいますし、こちらには明石の御方がいらっしゃいますから。京にお戻りになり内大臣になられ、姫さまもお生まれになって、夕霧さまは大宮さまのお手許でお健やかにお育ちのご様子。何もかもが殿のお望みのとおりでございますね」

 私の栄華を疑いもしない惟光に苦笑めいた気持が広がる。幼い時からずっと私が求め続けるのはただ一人。私が想うように、あの人にも私を想ってほしい。ただ一つの願い以外の望みばかりが叶っていく。


 明石の姫を二条院に迎えられぬまま別邸に通う日々が続く。

大堰川の近くには松林があり、私の残した琴を明石の方が奏でると松を渡る風の音が重なる。明石で聞き慣れた松風の響きはけっして耳障りではなく懐かしいとさえ思う。それでも、京へ戻ってきた今、明石のようには暮らせない。

 明石の方による貴やかな琴の音色を聴きながら新しい年を迎える前に姫を引き取ろうと私は決めた。

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