8話 小説観の相違。
需要。それは古賀が小説を書く時に、あまり考慮していないことの1つである。むしろ、需要を考慮していたならば彼女の小説のほとんどは生まれなかったのかもしれなかった。
だから、彼女の小説に対して意見を述べる時の視点そのものが間違っていないか、と私は往々にして悩むことがある。
ストーリーとして面白いか否かよりも、大切にされるべきことを見抜けていないような気がしてくるのだ。そして、今回も例外ではなかった。
「それだと、美少年の首が締まらないからダメ」
さらり、と古賀は前髪を搔き上げながら言った。私が1万字を読んでいる間に酔いは覚めたらしい。明瞭な口調である。
「最後は殺さないとダメなのか」パソコンの画面をじっと見つめながら、私は呟いた。彼女は首を縦に振りながら答える。「美しいものは美しいままが1番いい」
「成長は美しくない?」
「老いることが美しくない」
「美しくないものには価値がない?」
私の質問に対して、しばらく彼女は考え込んでいた。そして、おもむろに口を開く。「……やっぱり、殺すことに反対?」
「いや、殺すことに文句はないよ」私はパソコンの画面から目を離さずに答えた。「儚いからこそ、美しいのかもしれないしね」
彼女は何も言わなかった。私は相変わらずパソコンの画面を見つめていたが、目の前の文字列について何を考えているわけでもない。ただ、眺めているだけだった。
——古賀が美しくさえなければ、私も悩まなくて済むのだが。
絶世の美女は当然のことながら、自分が美しいことを知っていた。その上で、美しくなければ自分の価値がなくなるのだと思っているとしたら。彼女の未来は暗い。
ひっそりと数年後に古賀は、この世から姿を消してしまうような気がした。でも、大学を卒業しても彼女と私の付き合いが続いているかはわからない。
何となく、続いていないのでないかと私は思う。だから、この小説の中で古賀が死ぬことはない。私が知り得ないことは書けないし、書かない。
やっぱり、私は小説の中で人が死ぬのは嫌いだった。小説を書く私に、書かれる私や古賀を殺せと? 御免被りたい。それが私の小説観である。もちろん、古賀の小説観は違うのだが。
作品としては芸術的で美しいし、古賀らしさもある。『少年S』は間違いなく良作である。
しかし、古賀自身が死にそうな文学であることを考えると「人を殺してはいけません」という批評も、私には正しく思えた。