23話 毎週がレポート試験。
火曜日の1限目の文章評論の講義は、永野聖司教授が受け持っている。ダークスーツを着ている永野先生は、真面目で優しそうに見えるが熱血漢だ。
講義の前に配られる小冊子の資料は、次週までの宿題である。びっしりと細かい字で埋められた今回の資料は、福沢諭吉の『学問のすゝめ』の一部をコピーしたものだった。
宿題の内容は、資料を400字に要約すること。それから、1000字の考察レポートを書くことである。なぜか、レポート試験のような宿題が毎週あるのだ。
「教育とは、僕は熱いものだと思うのです」と、永野先生は語った。「あなた方は全力でレポートを提出し、僕は全力でフィードバックをする。お互いに魂をぶつけ合いましょう」と——。
受ける講義を間違えたかもしれない。出会ったのが今のタイミングというのは、不幸中の幸いだ。10年前まで永野先生は高校の国語教師だったと聞き及んでいる。
高校の国語教師が永野先生だったら、大変だろう。「私たちの宿題は、国語だけじゃないんです!」と教室で悲鳴に近い声が上がるのは、想像に難くない。
しかしながら、古賀は何とも思っていないようだった。むしろ、面白がっているような節さえある。火曜日の午前から金曜日の午後まで、間がな隙がな取り組まなければ宿題が終わらない私とは違うようだ。
「時間をかけたらレポートが書ける。当たり前だろ。どうやって時間をかけずにレポートを書くか、だよ」と半ば呆れ顔の古賀に、言われたことがある。
時間をかければかけるほど、レポートは良くなる。小説も同じだ。そう思っているからこそ、いつまで経っても私の小説は書き上がらないのかもしれなかった。
しかし、やめられないのである。途中で切り上げることができない。上手く折り合いがつかない。時間をかければかけるほど良くなるからこそ、時間をかけないという選択肢が出てこない。
そのような悩みを私が打ち明けると、「クールに見えて、意外と君も熱いな」と古賀は笑った。
永野先生からの古賀のレポートの評価は、いつも「優秀。よく書けている」だった。一方、私のレポートの評価は「努力の仕方を知っている。あなたは叩かなくても伸びる」だ。
ずっこけそうになる。前向きに考えれば、伸びしろしかないということだろう。後ろ向きに考えれば、センスがないということではないのか。
「そういうことだよな」と。今日も大学の図書館の地下書庫で、私は宿題に取り組みながら独りごちた。




