1話 小説とはそもそも何であったのか。
もう1度、私の文章について書く。思えば、私はプロローグで打たなくても良い布石というものを華麗に打ってしまった。
「私は20代前半の女性で名古屋市に住んでいる」と。
あえて言い表すならば、私が極めて肉体的な「生」を受けた一文である。もし画家が絵筆とキャンパスで「生」を切り取るとするならば、小説家もまた同じなのかもしれない。
小説によって「生」を切り取る。それは果たして良いことなのだろうか。「生」とは言葉にできない心情であり、経験ではなかったか。
——私という人そのものを言葉という表現の中に閉じ込めてしまって良いのだろうか。
小説とは心情や経験、又は人そのものである。言葉とは、それを表すものだ。しかし、小説に描かれるのは「生」の断片であり、断片は切り取った時点で死んでしまう。
つまり、小説を書いた時の私は過去になる。私は今この一瞬の中でしか存在していない。だから、文章を書く小説家も同じことだと思う。
自らの「生」を殺してはならない。殺されないためには、小説という概念に囚われて小説を書くのではなく、小説という自己表現を使って自己を描く必要がある。
それはつまり、身体とは別に文体を持つということである。野田莉帆という名前を借りて、私……倉橋佐和が文章を書いているように。
本当は私が文章を書いてきた経緯から、説明した方が良いのであろう。しかし、最初からきちんと書こうと思うと、小学生の頃にまで遡らなければならない。長くなってしまうので簡単に触れよう。
私が初めて小説を完結させて、公募に応募したのは小学6年生の時のことだ。題名は忘れた。あらすじは、病気で亡くなってしまったお友達のお父さんに天界で会うというものだった。
病気だの、死だの、天界だの、天使だの。今は大っ嫌いな設定のオンパレード。文章は小学生らしく稚拙に稚拙に稚拙を重ねていた。
しかし、私の原点は間違いなく、原稿用紙15枚程度に初めて手書きした自作の小説であった。どうしてこうなった。あの頃の私に言ってやりたい。
「何気なくお前が小説を書いたせいで、私は書けない小説を書く羽目になっちまったんだ」と。
それからは紆余曲折があり、現在の私は「市内の大学の文学部3年生」という肩書きを持っている。
昔は楽しいから文章を書いていたはずだが、今はだいぶ違っている。文学部を卒業するためには文章を書くことは必須。文章を書かないことには、卒業できないのである。