18話 小説観の酷似。
今日もアルバイトが無事に終了すると、パチンコ屋の前で小塚先輩と別れた。「じゃあ、また明日な」と、小塚先輩は名鉄本線の駅の方へ歩いていく。
ちなみに、このアルバイトは毎日ある。小塚先輩と私のルーティンである。他に誰かいなかったのかと不思議に思うが、誰もいなかったようだ。
暗がりの中、私は商店街まで戻った。商店街の通りを1本入った路地に自宅がある。どこからどこまでが続いているのか、よくわからない長屋だ。木造の2階建てで、とにかく古い。
家族はもう寝ている時間だった。脇道の家と家の隙間にある横歩きでしか通れないような、細い道に入る。油が混じったような水溜まりを避けながら進む。
真っ暗だが、隣のスナックから明かりが漏れていた。一度も鍵をかけたことがない勝手口から家の中へ入る。靴を脱いで隅に置いてから、キッチンで手を洗った。
開け放してある風呂のドアを覗くと、浴槽に湯が張られていなかった。熱湯と水のハンドルを同じくらい捻っておく。自動で湯張りできる風呂のある家が羨ましい……。
ドラム缶のような縦長の浴槽に浸かりながら、小塚先輩の3000字の小説について私は考え始めていた。
猫が主人公で、猫目線の日常が描かれている小説だった。明瞭で写実的な文章で、物語らしい物語は描かれない。
どうも小塚先輩は、志賀直哉の影響を受けているように思う。同じゼミに所属していることもあって、私ともタイプが似ていた。
猫を主人公にしている点が、私とは違うのだが。猫と小塚先輩の距離は、かなり近い。「俺は猫になりたいんだッ!」という小塚先輩の強い願望が、小説に現れているような気がする。
猫の日常を描く3000字の小説を、4万字に広げるには——。
やっぱり物語を作るのが、簡単な方法だ。飼い主が死ぬとか、猫が病気になるとか。古賀だったら、そんな風に書きそうだ。
ただ、小塚先輩は書かないだろう。「どうして」「猫を」「殺しちゃ」「いけないんだよう」と転がる古賀が目に浮かぶようだが、仕方がない。
猫が異世界に紛れ込むとか、猫が重大な事件に巻き込まれるとか。そういうのにも抵抗があるのだろうという想像はついていた。
小塚先輩は、物語らしい物語を書きたくないのだ。物語を作れば、途端に小説が作り物っぽい何かになってしまう。
写実主義。フィクションではなく、紛れもない真実を書かなければならないという小説観があるからこそ。しばしば私小説は書かれる。