遥か彼方の女
彼岸の花。
常世とあの世の境に咲くその花は美しくも毒を持つ。
蒸し暑い季節だ。
梅雨のこの時期はいつも気が滅入る。
ふうと一息をついて、僕は眼を開けた。
体中の汗が気持ち悪くてとても寝ていられない。
僕は寝ていた布団から立ち上がって、庭へと出た。
庭には、木工細工の家業をやっている関係上多くの木材が積んであった。
僕はその一つに腰かけて、拝借してきた薄荷タバコを吸う。
気持ちのいい清々しい空気が肺を満たして、少し心が落ち着く。
夜は深く、空には星々が踊っていた。
独りぼんやりと眺める。焦点は次第に合わなくなっていく。
気付いたら、隣に女が座っていた。
艶やかな黒髪の細面の女だった。
「こんばんは。いい夜ですね」
女はそう言ってほほ笑んだ。
僕は一つ頷いた。言葉が出なかったのだ。
「最近、お仕事の方はどうなのですか」
そう女が聞いてきたので、僕は頷いて、黙りこくってしまった。
女は静かに笑っている。見慣れたままの姿だった。
「なんとかやっているよ」
僕はようやくそう言った。おそらく3呼吸分は優にすぎていただろう。
女は良かったと言って笑みを強くした。
ああ。そうだな。よかったよ。
僕はそう言って無理矢理笑った。
「そうだよ。笑いなよ。君は昔から笑うのだけは上手かったんだから」
女はそういって、いたずらっ子の昔の儘の顔で笑った。
「そうだったかな」
僕は再び、笑った。
「そうだよ。ずっと君の傍で一緒に笑っていたかったけれど・・・。ごめんよ」
彼女は済まなさそうに笑った。
「謝らないでよ。君はずっとここにいるさ」
僕は溢れそうになるものを抑えて笑った。
それじゃあね。
そうして、僕と女の久しぶりの会話は終わった。
今度は、彼岸の花が咲くころに。