踏み出す一歩を
駆け足になりました……。
お父様と共に屋敷に入れば、出迎えた使用人とお母様とメイリーデはこちらを見て驚いていた。
戻らない筈の厄介者が、お父様と共に戻ったのだから驚くだろう。
使用人達がお帰りなさいませ、旦那様としか言わず私には何も言わない事にお父様は顔をしかめたが、それはいつもの事だと首を振った。今更それに気付いても、この先私は屋敷に居る予定はないのだからどうでもいい事だ。
「お帰りなさいませ、ジグルド様。……リリア?!出て行った筈じゃ…………まあっ 心配したのよ?」
「パスティア、君は………」
「心配したと言うわりには何も変わりないようですね。まあ、そのような事はどうでもいいのです。ここへは書き置きなどではなく、はっきりと自分の口から今まで言わずにいた事を、と思い直しましたから。皆居ますしこのまま、この場所で言いましょうか?それとも別の場所にしますか?私はどちらでも構いません」
お父様を遮り、言葉を発した私に皆更に驚いているようだった。
今までずっと控え目にしか言葉を発しなかった筈の私が、お父様の言葉を遮りあまつさえお母様に意見しているのだから。自分でもこんな冷ややかな声が出せるんだとまた自分に苦笑してしまう。
嫌味を言われて唖然としていたお母様はお父様がいるからだろう、ほんの一瞬眉間に皺を刻みそれからにこやかに、では隣の応接室でいいかしらねとそれにさして異論もないので、移動する事になり今までにない展開に使用人達も戸惑いを隠せないようで、ざわついている。
未だ喋らないメイリーデは私の態度にまだ追い付いていないようで、お母様に声を掛けられてやっと歩き出していた位だ。
「……ジグルド様は別の部屋でお休みなさったら?お疲れでしょうし」
「いや、私も同席させてもらうよ。行こうか」
お父様の後に続き応接室へ入り、椅子を引いて座るとそれぞれが席に着くのを待った。白を基調とした部屋の中は、お父様お母様やメイリーデの発する緊張感のせいか張り詰めていて、僅かな音さえ大きく響いて聞こえる。
全員が席に着いた所で、何から言おうかと少し悩む。
お父様が書かれていた筈の手紙や贈り物の行方なのか、私への態度の話なのか。はたまたメイリーデの事なのか、どちらにせよ、それらを聞いてもきっと私は小さな波は立てども凪いだままだろう。
私が戻ったのは、何も恨みや妬みをぶつける為じゃない。ずっと表に出さなかった言葉を出して自分の中できちんと決別する為だ。そして、また新な一歩を踏み出す為。
そこにこの人達の返答は私にとって意味がないものだ。
何を返されても、ああそうなのかと思うだけな気もする。お父様とのやり取りがそうだから、謝られても後悔の表情を見ても私の心は褪せたままだった。すれ違いがあったのは確かだけど、全てを流せるだけの思いが既にないのだもの。親子として構築出来るとは到底思えない程に、お父様も私も互いに傷が深すぎる。
ちらりと隣に座るお父様を見て、少しだけ膝の上で組んでいた手に力を入れて、目の前の二人に視線を移した。
「書き置きにも記した通り、私はこの屋敷を出ます。戻らぬつもりでしたけど、お父様に会い取り乱して過去に捕らわれたままでは進めないと思ったので今日来たまでです」
「リリアったら、何を言っているの?屋敷を出るだなんて………それに本当に心配したのよ?」
「そうですか。では何故私の部屋の物を回収馬車が取りに来ていたのでしょう?丁度後ろに居たものですから、それともお母様は心配するとその人の物を捨てるお人なのですか?」
「そ、それはほら、新しい物に替えようと思ったのよ。戻った時に古いものばかりよりは新しい物をと思って」
古いものばかり?
新しい物など、全て取っていくのは目の前の人達なのに可笑しな事を言うんだなと思わず笑ってしまう。
「今までに何度も私の部屋を見ていたでしょうに、替えるのは私が居なくなってからするんですね。それとも、新しくメイリーデの物置部屋にでもするのでしょうか?人から取り上げたものを大して使いもせず部屋に捨て置くんですから、そろそろ手狭でしょう」
メイリーデが部屋に招く度に、雑然と積まれているこぼれた自分の思い出に何度、胸を痛めたか。こんな扱いをするのなら何故欲しがるのかと、幾度となく沸き上がる苛立ちや悲しみを無理矢理飲み込んだか。
それもいつしか、感じられない位になっていたけれど。
ふっと自嘲してからお母様に目をやれば、顔をしかめて僅かに震えていた。
「リリア、貴女はいつから、そんな酷い事を言うような娘になったのっ?!メイリーデにもなんて事を言うのっ!!」
今まで口答えなどしてこなかった者に侮辱されたのが悔しいのか、許せないのか、急に叫ぶような声で喚くその顔は酷く醜く見える。その横に座るメイリーデの顔もどこか険しくなり、誰もが褒める愛らしく大きな瞳は今、私をきつく睨んでいた。
「事実を言っただけですが………酷い、ですか。ならば、そうさせたのはお母様達ですよ」
分かりませんか?と二人を見据えれば、より二人の表情は怒りに染まり出す。
よもや私の隣で唖然としているお父様の事は目に入っていないのだろうか?
お父様の前では、淑やかに穏やかに微笑み過ごしてきていたように覚えているのだけれど。このほんの少しのやり取りでその仮面を外す程に、私が楯突くのが癪に触ったのか。
半ば呆れたように二人を見ていれば、こちらを睨んでいたメイリーデがお父様の様子に気付いたのかつり上がっていた瞳を潤ませ胸の前で手を組んで、悲しげな顔になる。
「お姉様どうしてそんな事を言うのですか?私、悲しいわ………っ急にお姉様が居なくなって、寂しかったのに、どうしてっ」
「どうして、か………今のままならメイリーデには永遠に分からないと思うわ」
意識してか無意識か分からないけれど、自分の望む通りの結末になるよう周りが動くように振る舞ってきたメイリーデに、私の気持ちは分からないままだろう。そのままで生きていくならば、分かるはずもないがきっと変わるつもりもないだろうと思う。それを指摘してくれる者も居ないのだから。
私の言葉にそんな事ないわと遂には流れ出した涙を無感動に眺めた。
「っリリア!どうして貴女はいつもメイリーデを泣かせるの?!姉なのよ貴女はっ妹を泣かせて何が楽しいの!!」
「では、姉である私は泣く事も許されないのでしょうか?お二人こそ、私から全てを掠め取って何が楽しいのでしょう。それにお母様、お父様から私宛に来ていた筈の手紙はどこに?誕生日に贈られた筈の物は?私がお父様に書いた手紙が届いていないのは何故です?お母様が送るからと持っていっていたのに。可笑しな事ですよね、お父様と話をしたら互いに言う事が違うんです。何故でしょう?」
「そんな事はどうだっていいわっ貴女は大人しくしていればいいのよっ!」
怒りに顔を赤くし甲高い声で私を詰るお母様に昨日の食い違いを問えば、答えではない答えが返されて。
「パスティア、リリアに護衛をつけていないと……手紙も贈り物も、リリアは知らぬと、何故……そんな事を」
あまりのお母様の変わりように驚き固まっていたお父様も次いで問えば、大きく肩で息をしていたお母様の目がより開かれ、そして嘲るように笑った。
「何故?何故ですって?ふ、ふふふっそんなの私の娘はメイリーデしかおりませんわ、娘に護衛を全てつけて何が悪いのです?日に日にあの忌々しい病弱女に似ていくリリアと、それに比例して仕事にのめり込む貴方は、あの女が忘れられないと何よりも明確に示しているんですもの。あの女が死んでやっと貴方の隣は私のものになったのに!貴方は私を見向きしないっ私と貴方と貴方によく似たメイリーデが居るのです、そこにあの女の生き写しのような娘など……邪魔でしょう?ようやく勝手に出て行った癖に、のこのこと帰ってきてっ早く出ていきなさいっ!!出ていきなさいよっ!!」
髪を振り乱しながら叫ぶ姿は憐れさが漂って、それを横で聞いていたメイリーデは流石に恐怖心を煽られたようで怯えた目で自分の母を見ていて、私はただそれを見つめている。
小さな頃の僅かな時間でも確かに家族と呼べた時間があったと私は思う。今は憎悪を向けるお母様が手を引いて遊んでくれた事もあった、もうおぼろ気にしか分からなくてもそんな時間があったのだ。
いつか、またいつかと思っていたがそのいつかは来ないだろう。
修復出来るような溝では無いし、それ以前にそれを望んでいないもの。
ぐっと膝で組んでいる手を一度強く握って、しっかりと二人を見据える。
「…………自分の口で別れを言う為に来たのです、私の帰る場所は此所ではありませんからそれが終れば言われずとも、帰ります。一切戻るつもりもありません。メイリーデ、人から思い出を取っていく事は楽しかった?面白かった?同じ事を自分にされたら貴女はどうなのかしら、それとも自分はされない?自分の事しか考えられない貴女は、可哀想で、なんて………なんて憐れなのかしら。私は、理不尽だと感じていても現状を受け入れて何もしなかった。けれど、今変わるの。持ち得た思い出もこぼれ落ちきって暫く、顔を上げ踏み出したのです」
言葉を無くした二人と、静かに私をみやるお父様へ向けてこれが最後と声を出す。
「お父様お母様メイリーデ、私は自分の居場所を見付けました。何気ない毎日も素敵だと思えるその場所へ、私は帰ります。二度と会うこともないでしょう、さようなら」
深く頭を下げて、帰りの馬車代を入れた財布とハンカチだけの鞄を抱え足早に屋敷を出て、振り返る。
もう来る事のない、諦めて臆病な私が居た場所。全部無くなって飛び出した場所、沢山の思い出を置いていく場所。
「……………お世話になりました」
呟いた言葉が風に溶けて、髪を揺らした。
言いたい事を全部言えたのかは、よく分からない。時間を掛けて考えればまだ出てくるのかもしれない。
でも、自分の居場所を見付けたと伝え別れの言葉を言った。それでもう、十分だ。
そっと屋敷に手を振って、夕刻前に出る馬車乗り場へ向かうべくと歩き出そうとした私に声が掛かかり、お父様が駆けてくる。
「リリアっ」
「お父様………私はもう行きます、お体には気を付けて下さい」
少し息を切らせたお父様へ声を返せば、首から何かを外し私の手に乗せられた。
「………これを、リリーが身に付けていたペンダントだ。リリア、今更私には何も言う資格などないのは分かっている。どうか………君が何時までも笑っていられるように祈っているよ」
差し出された小さな四葉のクローバーのペンダントに、お母様はどんな人だったのだろう、幸せそうに笑うお母様の腕の中に居た赤ん坊の自分はそのぬくもりを覚えていなくて。
もう少し、笑えるようになったらお父様に手紙を書こう。
お父様とお母様の話を、短い時間しか無かった私とお母様の話を知りたいと思う。だから、今は目の前のお父様にはいと返事を返して歩き出す。
そして、馬車乗り場へ着いた私の目に飛び込んできたのは、待合室に座るガルドさんだった。
「えっガルドさん?!どうしてここに?」
「あ、あーいや、その、な。迎えに来たんだ」
頬を掻きながら言うガルドさんは心なしか恥ずかしそうで、でも迎えに来たんだと嬉しくて。表情が緩むのが分かる。
「待ってるって言った手前、格好つかないけどな。心配で上の空過ぎてメイシーに夕暮れまでに馬車に乗って二人で帰ってこいって追い出された。だからもう少し待って来なかったら屋敷まで行って連れて帰ろうと思ってたんだ。もう、大丈夫か?」
「大丈夫です、悲しくはありますけどそれ以上に穏やかな気分なんです。迎えに来てくれて、ありがとうございます」
「そうか。なら帰ろう、もう少ししたら帰りの馬車が来る」
ガタガタとガルドさんと二人馬車に揺られ、夕日に赤く染まり出した街は飛び出した日に見つめた街よりも、少し綺麗に見えた。