歩き出すために
窓際の席で、向かいに座るお父様は酷く落ち着かない様子だった。
ガルドさんとメイシーさんはカウンターに座り明日の花祭りの準備をしながら見守ってくれるとの事。私もお父様が来るまでほんの少しではあるけれど、花型のクッキーの袋詰めを手伝った。ほんのりピンクに色付けされたクッキーは凄く可愛いくて、貰った人は幸せになれそうだと思う。そう言ったら、ガルドさんがお茶請けに出してやるって言ってくれました。
だから、私とお父様の前にはクッキーと紅茶が出されたばかりだ。
「お父様、お話しとは何でしょうか」
「……リリア、君は何故この街に居るんだ。一人でなんて、護衛は?」
「護衛ですか?生まれてからそんな者がついた事はありません。そして、家を出たからこの街に居るのです」
不思議と取り乱す事はもうなかった。
視界の隅でこちらを心配そうに見ながら作業をする二人が見えるからかもしれない。お父様が来るまで頻りに、本当に大丈夫かと聞かれたのも逆に落ち着けたようにも思う。一人ではない事は、こんなに気持ちが強くなれるんだなとクッキーを一口。うん、美味しい。今日はお父様に言いたい事を全部言うんだと気合いが入る。
「護衛がついた事はない、だって?そんな事……パスティアの手紙には……しっかりと護衛をつけている、と」
「………メイリーデにしっかりとつけていましたよ、四人全て。」
「そんな………」
「事実です。メイリーデに乞われれば庭や湖、街にも共に行きました。でも、メイリーデの周りを固めても私の周りを警戒などしている事はありませんでした。1度、拐われかけた時も間一髪街の方々が助けてくれましたから、私も大事にはなりませんでした。ですから、なんとか許可を取り、街に行けるようにしてずっと彼らには感謝の言葉と心ばかりではありますが、細々とした物を買って自分なりの誠意を返しているつもりです。私にはあまり、換金出来る装飾品などはありませんでしたから、本当にささやかな物ばかりでしたけれど。助けられなければどうなっていたか分からなかったのです、本当に感謝してもしきれない恩です。それにメイリーデもお母様も私が拐われかけたのにすら気付いていませんでしたよ」
私の語る内容に驚愕しているお父様は何度か口を開くも、声にならないようだ。
街の方々には、とても良くしてもらっていた。よく出歩くお母様やメイリーデを見ているのだろう、私が刺繍糸や裁縫用の生地を買いに行けば負けるんじゃないよと声を掛けたり、おまけだと言って飴やチョコレートを元気になるようにとくれたり。例え僅かな時間でも、そうした交流も私を支えてくれたからなんとか頑張れてきたのだ。
「……装飾品ならリリアには毎月買っているし、ねだられると……それも」
「ねだる?むしろ、メイリーデに全て譲らされているのに?私には、装飾品などもう1つもありません。大事にしてきた思い出も、忘れたくない思い入れのある品も、メイリーデが欲しいと口に出せば皆、譲れと口で視線で言い、私の手から取ってゆくのに、一体そんな私のどこに装飾品をねだる意味があると?」
「っ……………パスティアの、手紙は……嘘なの、か……」
絞り出される言葉に驚いた。
お母様の手紙の中では私はとんだ我儘娘なようだ。そんな事とは知らずに言葉を飲み込み、思いを閉じ込めて過ごしていた私は何なのだろうか?いつかまた、笑い合う時間があるんではないかとほんの僅かな可能性にすがってきた、今までは?
目の前で、明かされた事実に頭を抱えるこの人は何なのだろう?
貴方も私を見てこなかった事に、かわりないのに。
燻っていた気持ちが沸き上がるのを感じながら、私は更に言葉を重ねる。
ずっと、飲み込んできた思いを。
「お父様は私の何が分かりますか?お母様の手紙?では、私が書いていた手紙は?お母様やメイリーデに返事はあるのに、私にはない日々の気持ちが分かりますか?帰ってきても、私とは話もせずメイリーデの言葉を聞いて大事な物を渡しなさいと言われる私の気持ちが、仕事に行く後ろ姿ばかりを書庫や自室から見るしかない気持ちが、分かりますか?誕生日に言葉も何もなく一人で眠る悲しさが、多くなくとも幼き日の家族の記憶も幻だと思う位、褪せた思い出に何の感慨も湧かない自分にすら失望する私の心が……分かりますか?」
徐々に潤む視界をそのままに、震える声で問うたそれは、思いの外店内に響いていた。
そして手紙も、さっきの話の内容ならばきっとお母様が渡していなかったのだろうと、ついには絶句して顔色を悪くするお父様を見ながら思う。
「……パスティアは、リリアからの手紙はないと、書く事はないと言っていると………私はいつも……君にも、手紙を同封して……、誕生日にだって……私は、毎年贈って……まさかそれも……」
「そんな物は知りません。メイリーデの誕生日に贈られた物はよく見せられましたが、お父様からの贈り物はお仕事が忙しくなる以前の物以外ありません。それも、もうメイリーデの手にありますが…………でも、今となっては、もう些細な事です」
目を見開いたまま、どんどん言葉を小さくしていくお父様は一層顔色を悪くする。
食い違う事実に、お父様は打ちのめされたようだ。
私はと言えば、小さな悲しさが胸に広がっただけ。
でも、お父様のように打ちのめされるような衝撃があるわけじゃない。それよりも、ああそうだったのかと静かに思った。やはり嫌われていたのかと。
そっと目を伏せると潤んでいた瞳から涙が流れる。それを拭いて、今だ動けずにいるお父様を見据える。
「お父様。この3日間は、あの屋敷での事は些細な事だと思える位とても温かい日々でした。でも、お父様と対面してそれが無くなるのではと取り乱しました。全て無くなり家を出て、自由になったと……けれど、お父様やお母様にメイリーデにもし会ってしまったらと影に怯えたままは駄目だと思ったのです」
「だから、今まで飲み込んで押し込めてきた思いや気持ちをぶつけました。この後、屋敷に戻りお母様とメイリーデにも書き置きではなく、自分自身で改めて3人で幸せに暮らして下さいと伝えます。私は新しい道を歩いて行きます」
自分は意地悪な言い方が言えたんだなとお父様とのやり取りを思いながら、それでも言いたかった事を言えて、悲しくはあれども存外すっきりした気がする。
お父様お母様にメイリーデと私、お互い別々の道を交わる事なく生きていく。それが、答え。
「…………私は、何を……していたんだろうね。リリーが命懸けで残した娘に………。煩わしい親類達に辟易して再婚もして、けれど……日に日にリリーに似ていく君を見るのが辛くて、………仕事に、逃げた…………………まともに屋敷の様子を気にかけず、確かめもしなかった。私は……… 私はっ」
泣きそうな顔で懺悔しているお父様に否定も肯定もしない。
袂は既に別れて元に戻る事はないし、私は自分の答えを出しているもの。ただ本当のお母様の名前だけが気になって、項垂れたお父様に聞く。
「お母様の名前はリリーと言うのですか?」
「……………リリフェル、だよ。彼女は身体が生まれつき強くなかった。それでも、芯の強い凛とした女性だった。最後の最後まで君を頼むと……………………頼まれたのに…………。リリア、君はどうあっても出て行くんだね」
「はい、私はもう決めたんです。息を潜め心を殺さなければならないあの屋敷より、たった数日間の付き合いでも帰っておいでと、帰ってこいと言って心配してくれる温かな人達の元へ私は帰ります」
顔を上げたお父様を真っ直ぐに見つめ伝える。
すると、お父様は泣きそうな顔で笑いそうして立ち上がり深く頭を下げた。
「その真っ直ぐな眼差しは本当にリリーそっくりだ、………すまなかった。逃げ出した私にこんな事を言う資格などないだろうが…………どうか幸せになっておくれ。そちらのお二方、私に代わり、リリアを頼みます」
二人にも頭を下げた後、屋敷に戻るのなら私の馬車で送ろうと言うお父様に少し考えて、よろしくお願いいたしますと返した。お父様の背中は少し寂しげに見えた。
尚も心配そうなガルドさんとメイシーさんに、最後のけじめをつけに行ってきますと気合いを入れればメイシーさんは涙ながらに抱き締めてくれ、ガルドさんは早く帰ってこいよとそっと頭を撫でてくれました。
お父様と乗る馬車は、静かなまま屋敷へと走っていく。