嵐の前の準備をしながら
メイシーさんから濡らしたタオルを受け取って冷やしながらではあるけれど、話を聞いて欲しいと二人にお願いをした。
勿論と返してくれて、少し肩の力が抜けた気がする。
「私の本当の名前は、リリアと言います。先ほどのグリーグス商会会頭である父の娘です」
「………グリーグス商会か、ここ10年で大躍進したとこか」
「はい、もう10年以上各地を渡り仕入れや交渉に尽力して、そのせいか屋敷に帰るのも年に数度もない位でしたから。帰ってきても、1日居ない内にすぐまた仕事へ行っていました。だから、今日みたいな距離で会うのは数年ぶりでした……」
驚いている様子のメイシーさんに、いつも屋敷の書庫にある窓から、出掛けるお父様の背中や横顔位しか見る事はなかったのだと言えば私より辛そうな顔をして。
二人とも沢山の愛情を注がれて育ったのだろうなと、同じくメイシーさんの横で険しい顔をしているガルドさんを見て思う。
「7つを過ぎた頃から、2つ下の妹がよく私の物をねだるようになりました。そこから、今まで沢山の物と一緒に思い出も無くなってしまって………今ある荷物と使い込んだ家具以外ない部屋を見て、書き置きだけしてこの街に来たんです。屋敷で私の動向など誰も気にはしませんから。それで………………何も無くなった今なら、新しく踏み出せるんじゃないかと思って」
「なんでリインちゃ、いいえ、リリアちゃんが、そんな扱いを………あんまりだわ」
「屋敷の主人が滅多に帰らないのですから、必然的にその妻であるお母様が実質取り仕切っていました。ですから、妹に傾いているお母様に倣うように使用人達もそうなっただけですね。私は屋敷では異質な存在になっていきました。初めは悲観もしていました。その内、心を平穏に保つ為に気持ちを押し込めて何も感じないようにと過ごして。……………裁縫や刺繍は無心になれましたから、腕は上達しました。本も屋敷にある分は全部読みましたし、自分の範囲内での掃除も洗濯も。今思えば、全部可笑しくなりそうな自分を保つ為にやっていた気もします」
溜め込んで溜め込んで、吐き出す場所のなかった私はそうする事で気をそらして、なんとか自分を保っていたんだと気付いた。
楽しい、と言うよりは落ち着く為に嘆かないように、そうやって爆発しそうな言葉を出さないように。
味方など居ないあの場所で、不用意な言葉は出せなかった。出した所で何がある訳でもないけれど、皆が物語る視線が鋭さを増すだけで。
「………そこまで母親と折り合いが悪かったのか?」
険しい顔から悲痛な顔に変わっていたガルドさんにそう問われ、場違いにもこの人は存外表情は豊かだなと思う。もっと共に過ごしていたら、僅かな雰囲気の違いにも気付けたり出来るようになるのだろうか?
「妹が生まれて少し経つまでは、良好だったと思いますよ。まだお父様も仕事を拡大する前でしたから、それなりに忙しくとも屋敷に居ましたし……。あの頃は、庭でランチをしたり近くの湖に涼みに行ったり笑いあっていました」
「なら、何故………」
おぼろ気な記憶の中では確かに笑いあえていた。
でも、メイリーデが生まれ目鼻立ちはお父様に髪や笑った顔はお母様に似ていて、ふと私は成長するほどにお父様やお母様に似ていないなと思ったのだ。それをお父様に聞いてみても、顔を歪ませて泣きそうな顔でそんな事はないよと抱き締められただけだった。
子供ながらにそれ以上は聞けず、胸にしまいこんだのだ。
それがお父様が仕事が忙しくなり滅多に帰らなくなったある日、お父様の書斎にある本が読みたくてこっそり入った時に、机の上に飾られた写真を見た。
お父様とお母様ではない女の人が赤ん坊を抱いて仲睦まじく写る写真があった。その女の人と私はよく似ていて、本能的に悟った。
そう、この人がお母様なんだと。
「私が、本当のお母様に日に日に似ていくから、でしょうか。その一方で妹はお父様お母様によく似ていきましたから、傾いていったのも仕方のない事だったのです。私がお父様に似ているのは、髪の色だけですし他は本当に写真の中で笑うお母様そっくりでしたから」
そう言って目を伏せれば、二人とも私の手を握って「思い切り泣きなさい」と、泣いてすっきりして明日向き合うといいと言われ、私は初めて声を上げて泣いてしまった。
明日、お父様に何を言われるのか、私が何を言うのかとても怖いけれど、傍で見守っているからと言ってくれる人が居るから一人ではないんだと、きっと大丈夫だとそう思えた。
暫くそうして泣き続けた後、少しだけ気恥ずかしくあったけれど二人にお礼と明日よろしくお願いしますと再度頭を下げて、それから少し遅いが夕食にしようとお店に降りることになった。
南瓜のスープとバゲットにサラダ、昼の残りだがとちょっぴり申し訳なさそうなガルドさんだったけど、余計な厄介事を発生させた私が悪かったですと謝れば、いやそんな事はない、いやありますと二人で謝り合戦になってしまいメイシーさんに早く食べよう!と声を掛けられて、どちらともなく顔を合わせて苦笑い。
「もー!二人とも謝りすぎでしょ、根が真面目だからそうなるんだろうけど。んー、そうよ!もうちょっと緩くなったらいいのよ!」
「緩く………どうしたらなれますか?」
「え?そうね、リリアちゃんは先ずはその敬語を止めてみるのは?」
「えっその癖みたいになっていて、目上の方に使わないのも少し気になります………緩くなるには難しいんですね」
敬語を省く、なんて凄く難しいなぁと戸惑いながら返したら、何故か首を傾げるメイシーさんに私も首を傾げた。
「………リリアちゃんて、何歳?」
「何言ってんだお前、18歳だぞ」
「お兄ちゃんに聞いてないんですけど!私同い年かと思ってたよ、なんか大人っぽいし。あ、私は20歳だよ!因みにお兄ちゃんは28歳。無愛想過ぎてとても20代には見えないよねーっ痛い!」
「20歳のくせして落ち着きの全くないお前の方が大分きついからな」
「私にはフィーロがいるからいいんですー!街一番のらぶらぶカップルだから!」
「お前らは見てるこっちが恥ずかしいってそこかしこで言われてるぞ」
楽しい二人の軽口に堪らず笑ってしまえば、それまで言い合っていた二人が私の方を向いて嬉しそうに
「ふふふ、リリアちゃんはやっぱりそうやって笑った顔がとっても可愛いわ!」
「へっ?!」
「俺も、そう思う。まあ、俺の飯幸せそうに食べてる時が一番だと思うがな」
そう言って交互に頭を撫でてくれて、もう真っ赤になって仕方なかった。嬉しいけど、恥ずかしいくて、でも心が満たされる感じ。
また、新しく踏み出せたら戻ってきても良いだろうか?
「あの、明日お父様との話し合いが済んだら、1度屋敷に帰ってお母様や妹とも向き合いたいと思ってます。だから、その…………新しく踏み出せたら、また戻って来ても良いですか?」
撫でていた手を止めて、ガルドさんとメイシーさんは顔を見合わせて、それから真っ直ぐに私を見て答えをくれた。
「勿論よ!抱き締める準備しながら帰りを待ってるわ」
「帰ってこいよ、俺のオムライス大好きになってくれたんだろ?作って待ってるぞ」
帰りを待ってると、帰ってこいと言ってくれる二人に胸が一杯になった。