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父が亡くなった。いつかは定かではない。医者が時計の時刻を読み上げたときなのか。だとすれば、その時の私と言ったらなんとも不謹慎なことに、
「もしも、先生の目の前の患者さんが息を引き取って、いざ時計を見ようとしたときに大きなくしゃみをしたとして、あわてて時計に目をやったときが深夜0時0分3秒だったら・・・。先生は、その患者さんが亡くなった日にちを前の日にするのか今現在の時刻にするのか、ちらりとも迷わないんだろうか。そしてその家族も少したりとも<おや?>とか思わないのかしら。」
だなんて考えていたような気がする。まあ、それはさておき、父が亡くなったのは4月だった。とても生暖かい夜のことだった。
何かが欠けていたのだろう。何が欠けていたのだろう。私は、「父という大黒柱―もう、私たち子供はそれぞれ一人暮らしをしていて、親のすねはかじりつくしてしまっていたのだけれど―を失った家族の一人」として、病院から実家へ向かうタクシーに乗っていた。深夜2時17分。窓に映る憔悴しきった兄の顔が、ビルのあかりと重なりゆがんで見えた。なぜ、私は悲しくないのだろう。こんな時は、嘘でもいいから涙を出しておいたほうが心証としてはよかったのだろうけど。あの時の叔母の言葉がつっかかる。
「なんであんたはお父さんを呼んであげないの!」
そう。兄は、あの病室で生きるための微弱な反応を機械に委ねきっている父のことを何度も呼んでいた。体をさすり、何度も何度も。それはかなりのツボだったらしく、親戚一同がカノンを奏でるかのように同化しだした。私は思った。
「あんなに叫んで、隣の患者さんは迷惑じゃないのかしら?」
「それ以上さすったら、機械のチューブが何かのはずみで取れるんじゃないかしら。」
「明日って仕事休んでいいのかしら。」
それから叔母たちは、兄のことをやれ父親思いの子だとか、さすが長男だとか、子煩悩な父親と成績優秀だった兄という思い出話をしだして、徐々に兄との温度差は明確になっていった。その時だった。その、<なんであんたはお父さんを呼んであげないの!>発言は。正直、私は驚いた。私だって悲しくないわけではない。けれども、周囲には<悲しんでいない冷やかな長女>としか見えていないんだろう。彼女らにとっては、私は悲しめていないわけだ。なんて滑稽な!悲しみは強要するものではないし、分かりやすく示すものでもない。
「・・・こんなに頑張ったのに。<死なないで>なんて言えるわけがない。」
つぶやきかけた瞬間、赤信号がぱっと青緑に変わった。タクシーは、暗く湿った路面を滑り出した。あんなにさすったら、痛み止めでボロボロになった骨がまた折れてしまうのではないかしら。自分の意思で瞬きもできなく、喉の奥からしぼり出すような音のような声、枕よりも薄い身体。生きるものすべてが経験したことのない、しかし必ず訪れる死。今日突然こうなったわけじゃない。けれども、今日こうなることを望んでいたわけでもない。
「お母さん、運転手さんにコンビニに寄ってもらってもいい?」
私は少し身を乗り出して、助手席の母に尋ねた。
「お父さんが好きな、ツナのおにぎりとミントガムを買いたいの。」
母は緩んだ顔をした。兄は真っすぐ外を眺めていた。タクシーはコンビニへと向かった。