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その日、バイトをクビになったゲスハシリ・モメルは実家へ帰る予定だった。
正確にはバイト先であったコンビニが、動画配信で食っている一部の連中の何かのターゲットとして最適だったらしく、騒ぎが頻繁に発生し、レジミスもそれに連なって頻発し、フランチャイズの雇われの身分でしかない店長が身内を疑って、バイトの中では一番出勤日数が多い彼の鞄から数枚の万札が発見された事で自主退職を求められたのだ。
ロッカーは誰でも空けられる仕様なので、誰かがモメルにあれこれを被せてその場を切り抜けようとした可能性は低くない。が、店長は疲れていたし、他のバイト連中も逃げ出すタイミングを伺っていた様子だった。職場でクビを覚悟したケンカの経験がないモメルは、勿論動揺したものの、店長から連絡を受けて現れた、まだ若い本部のマネージャーとやらが
『大事にならない内に辞表を出した方がいいよ』
と切り出して来た所で、何もかも嫌になってしまったのである。
『辞表を出せば賠償請求はしない』
と言われたのでそうした。
それを聞いたラブ河原―『らぶがわら』だそうだ―と名乗る極道は、事務所と思われる一室のテーブルの向こうでふんぞり返りながら、苦笑しつつ言った。
「そりゃあそこがケチなバイト代も出したくなかったから、君に何から何までおっ被せたんだろう。珍しい事じゃない」
そこでやっとモメルは、元になってしまったが、人生で一番労働時間を割いたと言えるバイト先での自分の立場をおぼろげながら認識した。
モメルがどうして組事務所などにいるかというと、自分の預金口座から引き出した手持ちの全額を何となく入ったパチンコ屋で事もあろうにほとんどすってしまい、僅かに交換してもらえた景品のチョコレートを持ってどうしたものかと路地裏に入った所、メロンとラブ河原が呼んだ若い眼鏡の男が仕切る何らかのやり取りを目撃してしまった為、人目がないのをいい事に、『お持ち帰り』されてしまったのである。モメルのかつての同僚なら『お友拉致』とけたたましく笑いながら言ってのけるだろう。
冗談じゃなかったが、裏社会と渡り合う方法などモメルは体得していない。警察を、住所まで正確に伝えた上で呼んでも10分は現れない事をモメルは嫌というほどコンビニのバイトで経験していたし、携帯も取り上げられてしまったので、どうしようもなかった。
が、組事務所に堅気を呼ぶというのはモメルがネットなどで見た以上にハイリスクだったらしく、メロンは事務所で自己紹介をしたラブ河原にまず殴られた。
「にやってんだてめぇ!」
『恫喝は人の気持ちをへし折る為に活用されるのだ』
というのをモメルはどこかで読んだ事があり、それがそこそこ効果がある事をこれまたバイトの経験で知っていた。それが実践されているのが分かっただけだ。そちらを見る余裕はない。ラブ河原というのが実名なのかどうかはともかく、男の名前をとても笑える雰囲気ではなかった。連行され、ある程度はバイトで対応に慣れた男達の睨みに視線を合わせない様にして気をつけの姿勢で立っているからだ。
思考が交錯する。
バイトでは喩えクレーマーに脅されたとしても、レジの金が合うかどうかの方が比較にならないくらい重要だ。何せ自腹を切るまでバイト先から帰る事が出来なかった。
『それを払わなくていいのだ』
というのもバイト関係の体験を綴る巨大掲示板のスレッドで読んだ事があるが、ICレコーダーを買うと携帯の料金を払えなくなる。
突如辞めてしまう奴、当日無断欠勤をする奴。そういう連中の埋め合わせを、モメルは全てしていた。それらを埋め合わせる責任がないという事も知っていたが、それに構っている余裕はなかった。
モメルはよりによって、そういういつ消えるか分からなくも代わりが他に見つからない連中が主催する不意の飲み会などの不要な経費の捻出に、日々振り回されていたのだ。
と、ラブ河原がメロンを部屋の隅に立たせたまま、モメルに歩み寄った。スーツを着ていても、見れば、全身から発しているオーラみたいな雰囲気で何となく堅気ではない事が分かる。
「今回はうちの若い者が迷惑をかけたね。まあ、かけて」
モメルはソファを勧められた。緊張しながら頭を下げ、
「失礼します」
と告げて腰掛ける。両脇には男がそれぞれ一人ずつ座り、前を見据えている。
予定では実家へ向かう新幹線に揺られている時間だ。東京駅まで向かう電車賃まですってしまった事で、それもフイになった。
流れが酷過ぎて、モメルはラブ河原の話に耳を傾けるしかなかったのだ。
それがほんの数時間前。今、モメルは得体の知れない病院の一室で眠らされたと思ったが、目が醒めたらどことも知れない辺境惑星の基地にいた。
『データ転送、再構築完了』
などという表示が目の前のガラスに投影された。あちこちにセンサー反応する素材を付けられた宇宙服と、ヘルメットを被せられている事が分かった。何者かに揺り起こされたのだという事も。
目の前の連中が口々に何か話しているのが、耳元に届いた。滑らかに日本語翻訳されている。自分の携帯の機能にはなかったあれだな、と思った。
男は明らかに日本人ではなかった。白人である、という事くらいしか、モメルには分からない。
「日本人か。俺の話は分かるか?」
頷く。
「お前の翻訳装置も機能してるはずだ。何か話してみろよ。その……名前とか」
「ゲスハシリ・モメルです」
「ふむ……モメルでいいな。僕はケイシー。ジミーでいいよ」
何故ジミーなんだか分からなかったが自分より体格はある、と、モメルは観察してしまった。つまらない事で喧嘩になるのはあの忌々しいバイトの接客だけで十分だったし、もううんざりだったはずなのに自分は相手を見抜いて態度を変えようとしている。
何をしているのだろう。頷いてしまおう。
「はい」
「OK、モメル。ざっと説明しようか。
数時間前に基地が何者かによって破壊された。多分、化け物だ。破壊規模は分からないが、今の所は誘爆などには晒されていない。俺が証拠だ」
「化け物?」
「そう、正体はまだ分からないが俺達の職場に突然現れてめちゃくちゃにしてくれやがった。外部との通信は中継地点を化け物が占拠している為、特定の場所まで行かないと出来ない。基地にいた連中は残っている食料と資材や機材を巡ってあっという間にいくつかのグループに分かれちまった。医者は死んだから怪我をしたらアウトだ。
ここまではOK?」
「つまり、どうにもならないって事ですか?」
こういう質問もバイトの悪影響なのか、するすると出て来る。
『お客様を待たせるな』
というマニュアルによって、ある程度のスムーズな思考と応答だけは無駄に鍛えられてしまった。
本当に忌々しい。自分にイラつく。そしてそれを覆い隠す術も備えてしまった。悪循環。
レジの前がラッシュで列になった時の様に自分を殺せ。あの時の感じでペースを取り戻せ。あの波を片付けた後には苛立ちは緩和されていただろう。実際には記憶しないストレスとして溜まり続けていただけだが、今はそんな事を考えている場合ではない。
「理解が早くて助かる。君は採掘工としてここへ送られたんだな。その仕事のマニュアルを覚える心配はしなくていい。もうその仕事はなくなったから」
「基地がこれですもんね」
「そうだ。少なくとも我々のグループに見つかったのはラッキーだったよ。他のグループは今、魔女狩りの真っ最中でね。見る見る仲間を減らして行って、同時に化け物にも襲われている」
「その化け物というのが見つかったのはいつなんですか?」
「昨日だ。正確には23時間と58分前。
俺達が送られて来たシステムの担当も死んでしまったんだが、現在落とされている電力システムの復旧さえ済めば、このくそったれな場所から再転送されて地球に戻れる。
電力供給の遮断は明らかに化け物か別のグループの罠だ。どうする、モメル。それでも俺達と来るか?」
「はい」
「OK、こっちだ」
ジミーに連れて行かれた先では彼を入れて五人ほどの人数がおり、会議が丁度始まった所だった。アジア系、と言えばいいだろうか、それは自分だけらしかった。ジミーが簡単に説明をし、モメルが挨拶をすると、
「到着早々、難儀な事だが、君の力を貸して欲しい」
とアンマンとなのる黒人男性が言った。他に方法が無いのだし、モメルは素直に承諾した。
他の面々も挨拶をして来た。男二人は屈強そうで、それぞれマッソン、メイルと名乗り、女の年上の方はへヴンと言った。人種は分からないが、大人組と呼べそうな面子はジミー以外は暑い国の人種を伺わせる容貌だ。この基地に回されたほとんどは在日外国人で、このチームのメンバーは自分の名前が好きではなく、英語が話せるのはジミーだけとの事だった。へヴンなんかは尚更だろう、と察した。
しかし、自分は借金を背負わされてここにいるのだが、一体どういう人選なのだろう。モメルは疑問に思ったが、耳を貸す事にした。バイトの初日を思い出す。メモ帳が欲しくなった。
「よろしく、モメル。あたしはランランルー。ルーでいいわ」
ざっと見た感じでは一番最年少だろうか、金髪碧眼の少女が最後に挨拶をして来た。バイトで外人客がいなかった訳ではないが、同時翻訳かと思いきや通常の通話である事にとまどい、何と返したらいいか一瞬悩み、返事をした。
「どうも。僕もモメルでいいよ」
「あたしもランランの方で呼ばれたら返事しないのでよろしく」
「うん」
冷やかす様な声が上がったが、アンマンが収める。リーダーは彼らしい。
「話を続ける。例の化け物についてだが、感染性の何かをドクターは最後まで疑ってた」
「感染性って、何の?」
「サンプルを取る前にドクターがやられちまったからな。
『その疑いがある』
としか……」
「じゃあ、その線で考えるとして、依然として感染経路なんかは謎なのね」
「そうなる。俺が見た奴は火の中を突っ切って来たから、もしかしたら平気なのかも。参考にして欲しい」