HEAT 03
《ネズミ取りは友だちの家で、だんなさんのネズミがくるのを待っていました。
けれども、いつまで待ってもこないので、うちへもどりました。
ネズミ取りは、うちの中をすみからすみまでさがしましたが、ネズミのすがたはどこにも見えません。
》
パチっと目が醒める。
醒める、というよりもウツラウツラと見ていた幻覚が立ち消えちゃった。
私は重たい頭をふるふると左右に振り、バンバンと自分の頬をブッ叩く。起きろ、起きなさい、今日は仕事が沢山ですよ!
はい!
私はベットから体を起こして、キッチンに行って冷蔵庫から紙パックのコーヒーとカロリーメイトを取り出してそれをじゃかじゃか胃袋に突っ込んでいく。
まともに働いてた頃はそれなりに料理とかしてたのなぁ。ジャガイモの皮をむいていちょう切りにしたり、タマネギをしゃこしゃこ刻んだり、大根の皮をざーっと桂むきしたり、安っぽいベーコンを短冊切りにしたり、庭で取れた紫蘇の葉っぱを千切りにしたり。
なんていうか、切るのが大好きだったんです私は。はい。
そんな無駄な事を考えながら私は端末を起動して、四時間程前にマジジに請求しておいた資料が届いてないか確認しちゃう。
おーきたきた、来てます。
私が見たあのワームみたいなブレードは、「とぐろ丸」って名前のエンジンの可能性が高いと。
私はとぐろ丸で検索をかけてみる。
ブードリクス社で開発されたブレード型の特殊エンジン、メンテせずとも劣悪な環境下で性能が維持できるという優れ物です。主にカオスみたいな障害の厳しい特殊環境での使用が想定されています。基本設計しそうはアファーダンス思考に基づいたうんぬんかんぬん。「廃棄屋」「修繕屋」、そして「拾い屋」のといったお仕事をされている方々にご愛用いただいてます。
――ふぅん、よく判らん。
とりあえずあの女狐はこの辺りの仕事してるって事?
私に気づかれずにリンクに枝を張ってた所を見るに、たぶん結構腕の立つクラッカーだろうから……拾い屋かな。
えぇー私って拾い屋に恨まれるような事したっけ? シテナイヨネ? うんしてないと思う。じゃあなに、元拾い屋のクラッカーさん? なんだそりゃそんな人居るわけ無いじゃん。って思いながらも一応私はここ半年ほどの拾い屋の退職者リストをマジジに注文しとく、あ、一応廃棄屋も。
私は一回冷たいコーヒーをぐーっと胃袋に流し込み脳味噌の中のキャッシュをクリアしておく。
あの狐の事はもうちょっと考えていたいけど、今の手持ちの情報じゃあ大した推測は立てられないからね。もうしばらくは向うの出方を伺う方針でいきます。
はい! 次は図面引き。
私は脊椎からプラグを引き伸ばし、外付けのワークデスクに繋げる。
今からやるのはあくまでも平面的な図面を引く作業、タスクとかユニットとかスタックギアとかをヒンジで結んだりとかそーいうのは実際にゲッショウの脳味噌と相談しながら建設して行くんです。
図面引きは結構猥雑な作業で、すっごい難しい事らしんだけど、私にはクソ楽勝だったりする。簡単なことだ、全部ルールを決めてシステマティックに描いていけばいいって事よ。優先順位っていうか評価点みたいなのを片っ端から割り振って、その得点の高いものから順順に処理していく。
もう全部完全にルーチンワーク化してる作業だから初めて二時間も経てば私の思考は別の事に移ってる。今日の夢についてとか。
そう、今日の夢。
ロボコが居なくなったあの日。
私は、良くない方向に進んでしまった。
ねぇロボコ、どうしてなの。
どうして私に何も言ってくれなかったの?
どうして私を助けてくれなかったの?
私バカだからさ、どうしようもないクソ女だったからさ。
貴方の警告無視しちゃったよ。
貴方の唯一の気遣いを、憎しみで捨ててしまった。
だから
だから
罪を犯してしまった。
「誰か、私を裁いて……」
ため息を零す。
息と共に、雫がぽたりぽたりと垂れていった。
あれ、私いつも間に泣いていたんだ?
「どうですかー、お脳の辺りが痛くありませんかぁ?」
「だから鎮痛剤くださいって言ってるでしょ!」
ゲッショウがヒステリック気味に呻く。いい気味ね。
「我慢してくださーい、今鎮痛剤を打つと脳波がぐちゃぐちゃになっちゃうからね」
私はそう言って拘束具でデッキチェアに縛り付けられてる彼女の鼻先をツンツンする。
「なんでこんな痛いの? 貴女って凄腕の調剤屋じゃないの? 聞いてないんだけど!」
「凄腕だから痛いの。調剤初経験のゲッショウちゃんにわかりやすく教えてあげるとね、今あなたの脳味噌にマイクロマシンを大量に投入してコレ――」私はそう言って天井一面に広がってる巨大人工脳髄を指差す「――コレとリンクするための人工ニューロンをゲッショウの脳細胞に片っ端からイオン結合させて、脳内の電気信号を細かくモニタリングできるようにしてるのよ」
「そんなことしてどうするのよ」
「そのデータを参考にして調剤するの。私はそんじょそこらの調剤屋の何百倍もの脳データを参考にして調剤するの。その為に必要なデータなんだから我慢しなさい」
「痛過ぎるんですけど!」
いやー楽しい、とても楽しんでる私。きゃははは。
ゲッショウはひぃひぃクソ痛がって泣いてるけど、実はこの工程は脳に対してぜんぜんダメージを与えない。マイクロマシンの脳細胞に対する結合は中和剤を打ち込めば一瞬で解けて四十八時間以内に体外に排出されるし。だいたい脳に痛覚なんてないからゲッショウの感じてる痛みは別の痛み。
彼女は拘束具をガタガタ震わせて自分の電脳に打ち込まれたプラグを外したがってるけど、それもまぁもうすぐお仕舞い。とっても残念。
あー私ってドSだわ。
「はーいお疲れゲッショウちゃん。マイクロマシンが無事均一に定着したから鎮痛剤打ちますよ」
「速くお願いッ!」
私は彼女の脊椎に打ち込んだバイオケーブルに小児用の鎮痛剤をドボボボボってしこたま流し込んであげる。ゲッショウは暫く痛い痛い喚いているけど直ぐに「あッ、あッ、ああッ」って可愛らしい声を上げたのち、すやすやと眠り始めちゃいそうなくらいの落ち着きを一瞬にして得る。
「どうゲッショウちゃん」
「……」
拗ねてる、かわいいー
「それじゃあ次の工程に移りますよぅ、いいですかぁ?」「まだ何かあるの?」「いやいや全然大したことじゃないよ、おしゃべりするだけ」「は?」「楽しいおしゃべり、極力感情が動きそうな事でおねがい」「は?」
やれやれ全然理解してくれない。私はブフッーと息を吐き出して説明しなくちゃいけないだろう点を一回頭のなかで整理する。
「今ゲッショウちゃんの脳味噌と上の人工脳髄は、さっき注入したマイクロマシンによって完全にシンクロしてるの。それでこれからゲッショウちゃんに脳味噌を動かしてもらって、ゲッショウちゃんの思考ルーチンを電磁マトリクスで解析してもらうの。アンダースタン?」
彼女は暫く恨みと疑いがたっぷり入った目線で睨みつけてきたけど、私はにっこり微笑み返してあげる。
「喋るって、何を」「なんでも良いわよ」「なんでもって……」「なんかあるでしょ? 歳相応の話題が。キヌカお姉ちゃんが相手になってあげるわよ」
キモい、とか言って彼女は私から目を逸らしちゃう。
「なに斜に構えてんのよ、スタンダードに恋のお話でいいわよ」「は?」
洒落抜きで恋愛トークが結構クソ効率良いんだよね、性欲とか愛情とか嫉妬かいろんな感情に脳がころころ変っていくから便利。
「ないです、そんな話は」
おっと、そう言いながらも彼女の脳内では随分な量の電気信号が飛び交ったのを私は見逃さない。
嘘? いやただの嘘じゃないかも、これは彼女にとってかなり深い話題みたい。
「あるでしょ、適当に話してよ。話さないと終わらないよ?」「やめてください」
だんまり。
なんかシラけるなぁ、普通の女の子の反応過ぎじゃんいくらなんでも。まぁ十五六歳なんだろうし仕方ないか。って納得させようとするけど、やっぱりもうちょっと底知れない所が見たかったね。
「――クスリの為に必要なんですよね」
十分程だまってジーッと見つめてやったら、そう言ってやっと観念した。
「そう、さっさと話しちゃいなさい」
「別に対して面白い話じゃないですよ」
そうクールぶって言いながらもゲッショウの脳味噌はバシュバシュ電気を飛ばして興奮しはじめる。何この反応、パニック状態にめっちゃに似てるじゃない。どんだけ嫌な思い出なの?
「好きだった人が遠くに行ってしまった、それだけですよ」
あ、親近感。
パニック状態なのにパルスの波長はとっても綺麗、一応嘘は吐いてなさそう。
「あーわかるわかる、それ結構辛いよねー」
そんな私の合いの手にゲッショウは露骨に不機嫌そうなため息を吐き出しやがった。
クソガキあんまり調子に乗るなよ。
「別にあんたに合わせて適当な相槌打ってるわけじゃないよ、私もそういう経験あるの」
「へぇー」結構興味を持ってる感じの声色。
しゃーない話してあげるか。
不幸自慢は好きじゃないんだけど、この子バカそうだし良い後学になるんじゃないかしら?
「会社の先輩に惚れてたんだけどさぁー、いきなり蒸発しちゃったのよね」「蒸発?」「そう、蒸発。誰にもなーんにも言わずにね、家族まで置き去りにして」「……家族?」「あぁ、私不倫だったから」
おぉーめっちゃ脳味噌騒いでる、分かりやすいなぁゲッショウちゃん。やっぱり恋愛トークはいいよね、凄い勢いで人工脳髄に経験値が蓄積されちゃう。
私がにやにやしながらマトリクスを観察してると、唐突にゲッショウが私の顔をジッと見つめてきて、なぁに?
「貴女はそれ知ってたの」「え?」「貴女は相手に家族が居ること知ってたんですか?」
わー案外鋭い。私は思わず「うぉく」って意味不明な返事をしちゃう。
「最低じゃんそいつ」
「まぁ、あとから思い返すと終始クソな野郎だったかなーって」
でも最後、あの時だけは、本当に大切な助言をした。
罪滅ぼしのつもりだったのだろうか、いろいろなリスクを背負ってまで警告をしにきた。
もっとも、私はそれを無視しちゃったけどね。
「何? キレてるのキヌカさん」
「え、いや別に」「まだ惚れてるの?」「まさか、もう未練なんて無いわよ」
キレてるように見えたのは、多分別の理由かな。別の理由で私の心が波立ってたから。
あーいやだいやだ。何考えてんだ私。
サイドテーブルの上のタンブラーに入った生ぬるいコーヒーを、ぐいぃーがぶがぶブフッと飲んで一度思考のキャッシュをクリアする。
「で、ゲッショウちゃんの想い人はどんなお方なの?」
「別に、普通の人ですよ」
「でもアンタを置いて遠くに行ったんでしょ? 酷いねぇ」
「私の言う遠くっていうのは――」彼女のマトリクスが波立つ「――殺されたんですよ」
思考が止まる。
――殺されたんですよ
――殺したんだ
――殺したんじゃない
――子どもが死んだだけだ
――殺されたとする事に、何の意味がある
私は、私が。
「キヌカさん?」
ゲッショウの声で私は我に帰る。
「え、あ、そう。殺されたんだぁーそれはうん」
「何その反応」
「何って、別に、いやごめんね」
彼女が私を視る。
私は目を逸らす。
視ないで、観ないで。
「――キヌカさんは、子供が苦手なんですよね」
私は……まだ裁かれてない。
「トイレ行ってくる」
私は席を立つ、早くこの場を離れてないと。
肘をぶつけてコーヒーの入ったタンブラーが倒れる。
中身がこぼれるが、そんなのどうでもいい。
私は、逃げないと、誰かが私を裁くまで。
裁かれてもいないのに、私は生きてる……
「キヌカさん、あなた」
言うな、言わないで
「子供を殺したんですか?」
夢だ
悪夢だ
私の犯した罪
私はロボコの警告を無視した
ロボコが憎かったから
主任の指示通り、危険なドライバーの開発を始めた
「ゴッドハンド」そんな名前のドライバー
私はそれを開発して、臨床データを得るためにアステリオスの闇に放った
そして、子どもが一人死んだ
死ぬなんて、思ってなかった
断じて、私は死ぬなんて
でも予測不能な事態が起きるかもしれない、それは分かっていた
分かっていたんだ
分かっていたのに私は
「殺したんだ」
私が殺してしまったんだ。
「殺したんじゃない」
主任はそう言うとゆっくりと煙を吐き出す。
「子供が死んだだけだ」
そしてあれは自殺だ。彼は冷え切った口調でそう言いきった。
「私のゴッドハンドが、私が殺してしまったんだ」
彼の舌打ち。
「仮にそうだったとして――」言いながらフラスコ型の巨体を煩わしげに揺らす「――殺されたとする事に、何の意味がある」
主任はそう言うと立ち上がり、私の元へ来る。
そしてそっと私の肩に手を乗せようとするが、それを跳ね除けた。
「私に触らないでッ」
このセリフ、今思い返しても嗤える。触らないで? 触られると穢れるとでも思ったの?
まだ私は、自分が汚れてないとでも思ってたの?
「メス猫風情が、粋がるなよ」
私は何も答えず、主任を睨み付けた。
「お前も死にたいのか?」
も、私はその「も」に私は違和感を感じたけど。彼は嫌味な笑みを浮べながら直ぐにその違和感の正体を明かした。
「今言ってるのは死んだガキ『ヤジマクニシゲ』の事じゃ無いよ。ロボコだ」
――お前もロボコみたいに消されたいのか?