PALUS 02
満点の星空、そして凍えるような寒風。いつものレベル1に、コツコツとウサギが降り立つ。
「ククリセ、聞こえてるか?」
コツコツは右手の口に確認を取りながら、首輪の具合を確かめている。。
「バッチリよ、ウサギはどう?」
「はい、問題ありません」
彼女はそう答えて時計のネジを巻く。
「よっし、行くか。ルート指示を頼むぞククリセ」
「取り敢えず八時の方向に二百メートルほど進んで、そこからドアで」
「了解」
コツコツは指示通りにウサギを伴って、冷たいススキの草原を歩き始める。
今回の目標はレベル3での拾い、回収目標は経年劣化が激しく幅や質が不安定の模様。
一応最大サイズのハコを持ってきてはいるが、なかなか難儀な作業になりそうな雰囲気があった。
「ウサギ、今回が初めてのレベル3での仕事よね、緊張してる?」
ククリセがそう言って彼女を気遣う。
「いいえ、大丈夫です」
「まぁ余裕だと思うけど、油断はしないでね」
「分かりました」
ススキの草原は何処までも続いていて、小さな昆虫の様な光の粒子が、二人の周りを飛びっ回っている。
「オーケー、その辺りだわ。ドアを描いて」
「りょーかい」
コツコツはドアを地面に描き始める。
「ねぇウサギ、なんかバイタルの表示が一部文字化けしてるわよ。なんか変更したね?」
「あ、すいません。ドライバ−を少し変えました」
「もー、ちゃんと同期しといてよね。危ないじゃない」
「すいません」
ドライバーを変えて?
――まさか。と思いながらもコツコツはとりあえずその疑念の頭の片隅に追いやって、目の前の仕事に集中する事にする。
「描けたぞククリセ」
コツコツの手前の地面にはぽっかりと穴が開いていた。
二人はそっと穴の中に降りていく。
そこは学校の教室だった。
全体的に薄いホコリをかぶっていて、勿体らしくキチンと置き並べられた全ての机には、緑色のラシャが張り詰めてあり、窓から差し込む夕日を眩しく反射していた。、
「奥の窓側の角の床、そこにドアを」
「了解」
コツコツは教室の奥へ行き、再びドアを書き、再び床の一部を消失させる。
床の下には花畑が広がっていた。
花の下の大地には、小さなトカゲが大量に、びっちりと隙間なく這い回っている。
二人は花畑へと慎重に降りた。
トカゲ達は緩慢な動きで口を開け、ハエの唸るような声で二人を威嚇する。
その大群のざわめきは、まるで大地そのものが動いてるようだった。
「レベル3についたぞ」
「次は十二時方向の壁に。次のスクランブル発生予測時刻まで残り九分、慎重にね」
「おいククリセ、壁は無いぞ、ここは広域空間だ」
「クッソ……。ウサギ、さっき指示した方向に百メートル、そこにスプレー使って」
「わかりました」
ウサギが言われたポイントに向かい、スプレー缶をコートから取り出し、何もない宙に吹きかける。
するとそこに徐々にだが、薄ぼんやりとした壁が現れた。
その壁はざらついた陶器の様な材質で、所々欠け落ちたり、ヒビが入っている。
彼女はそこにチョークでドアを描いていく。
「できました、開きます」
壁の向こうは、牢屋の中になっていた。
黒い鉄格子、有刺鉄線を二重に張り詰めた小さな磨りの窓、陰湿なイメージの強い空間だ。
部屋の中には、いたる所に鉄製の本が積まれてあり、中央に一際高く積まれた鉄の本の上には人が座っていた。
その人は同じ顔が幾つも首から生え、苦悶の表情を浮かべている。皮膚は瀬戸物の様に青白く、薄く長い裂け目の様な目が小さく並んで、力ない視線を二人に向けていた。
ウサギはそれを見て言葉を失う。
「おい、あれ死体じゃないか?」
遅れて入ってきたコツコツがそう呟いた。
「ククリセ、見えてるか?」
「見えてるわ、今照合中……でた、同業者よ『フーバー』って名前。三年前にスクランブルに巻き込まれて座標追跡が切れて遭難したみたい」
「同業者かよ、どうするんだ?」
「一応遺族から回収希望がでてるわ。一旦仕事は中断ね、とにかくそのホトケを回収して」
「りょーかい。ウサギ、チェック頼む」
ウサギはそう言われると、両腕の時計を外し、それを鉄の本と多頭死体の上に置く。
するとハサミが鳴るような金属音を、本の上の時計が発した。
「本の方は、深刻に破損したデータです。気をつけてください」
「ククリセ、本にはさわれないから死体の回収が困難だ。銃を使うから申請を頼む」
「わかったわ、少し待ってて」
コツコツは首輪から拳銃を外し、それを両手で構える。
「しかしウサギ、どう思うよ?」
コツコツは死体の座る本の山を照準器で狙いながら尋ねた。
「何ですか?」
「電脳死体の回収依頼、親族の引き受け、そういう諸々。現実での死体さえあれば電脳空間の死体なんて……なぁ?」
コツコツはそう言うと少し呆れたような苦笑を浮かべようとしたが、すんでの所で彼はそれを留めた。
彼女が、ウサギが、今にも泣きそうな程真っ赤な瞳で彼を睨みつけていたのだ。
「そんなことはありませんっ!」
唐突にウサギが力強く反論し、コツコツは思わず身を竦ませた。
彼女は彼に詰め寄り、更に強い言葉で訴える。
「――そんな単純な事じゃありません。だって死ぬって、残された人には、それだけ、そんな、そんな軽い事じゃ……」
ウサギは必死に言葉を続けようとする、コツコツはただただそれに圧倒されていた。
「……ごめんなさい、私、今失礼な」
唐突に我に返った彼女は、そう慌てて彼に謝罪した。
「いや、あ、いや俺が悪かったよ。不謹慎な事言った。すまん」
「いえ、その、私は――「オーケー承認されたわ、コツコツ、撃っていいわよ」
ククリセの声が、二人の会話を無理矢理中断する。
「え、あ、おおぅ。分かった」
コツコツの構えた拳銃から火花が迸る。次の瞬間には本の山は一瞬にして分解され、灰の山になっていた。
「ナイスショット、コツコツ。じゃあ送還しちゃって」
コツコツは少し悩みながら、先ほど間での会話はとりあえず場の勢いに任せて流すことにする。
ウサギが灰の山から死体を掘り出し、自分のコートを脱ぎ、それで死体を包み始める。
「包み終わりました、送ります」
コートの包まれた死体は一度妙にはっきりと輪郭を持ってと浮かび上がったかと思うと、みるみる小さくなって行き、やがて消えてしまった。
「回収確認したわ。スクランブルまで残り三分、目標は隣の部屋なんだけどどうする?」
ククリセが少し心配気味にコツコツに尋ねる。
「まぁいけるだろ、多分間に合う」
彼はそう言いながら銃を首輪に戻す。
「わかった、気をつけてね」
「おうよ、いくぞウサギ」
コツコツはウサギに声を掛け、その部屋を立ち去ろうとする。
だがウサギは返事をせず、コツコツの後に続こうともしない。
「おい? どうしたウサギ」
彼がウサギの肩を軽く叩く。
すると彼女は糸の切れたよう人形のように、その場に崩れ落ちてしまった。
「おい! おい! ウサギ!」
「大……丈夫で……す。体が……少し」
そう言う彼女は、まるで卵から孵化したばかりの生物のように目だけをパチパチと動かすだけだった。
「ククリセ! どうなってる!?」
「バイタルは正常。いや、血圧が低下し始めた」
「おい! ウサギ! お前本に触れたのか?」
「違い……ます、大丈夫……です。すぐに……」
「自己診断プログラムは正常に作動している、システムエラーではないわ。これ、まさか潜水服との同期が……外部操作が全然効かない、認証はされてるのに。ウサギ! あんたどんな設定にしてるの!?」
ククリセがヒステリックに声を荒げた。
「すぐ、直ります……コツコツ……さん、先に隣の……部屋へ」
「ウサギ、まさかお前、自分で無理矢理ゴッドハンドを――」
彼はそれ以上の言葉を呑み込み、搾り出すように深いため息を吐く。
「目標の回収中止、仕事は破棄する。引き上げるぞククリセ」
「わかったわ」
「大丈……夫です、私は……大丈夫ですから。どうか……」
「もういい、喋るなウサギ。罰として今日こそ一緒に飯を食ってもらうぞ、拒否権は無いからな」
「――だからだな、なんで今朝のチェック段階でエラーが出てたのに、それをククリセに申告せずに潜ったんだ、いくら軽いエラーだからって……いやそうじゃない、そんな事はどうでも良くてだな。そもそもなんで、ミヤフジに止められた様なドライバーに無理矢理変更したんだ? 大体お前、前々回も体調が悪かったのに無理矢理潜ったよな。お前自分がどんだけ危険な事を――がぁッ違う違う違う違う、俺が言いたいことはそんなんじゃなくて、つまりだな、なんで俺に一切何も相談を……」
コツコツはそう言って頭を抱え、カウンターに突っ伏す。
ウサギはただ黙って、酒によったコツコツの、意味不明でまとまりのない説教を真剣に聞いていた。
「俺が言いたいのはだな。俺が言いたいのは――クソァ! ママ! ビール!」
ママと呼ばれたオッサンは、渋々という様子でジョッキにビールを注ぐ。
「あのさぁコツコツ、未成年の前なんだから――」
「うっせぇ、さっさとよこせ!」
コツコツはママからジョッキを奪い取ると、一気にあおる。
「いいか! ウサギ! 一回しか言わないからよく聞け! ……返事ッ!」
「は、はい!」
「俺はな! お前と仲良くなりたいんだよ! なのにお前はいっつも俺に壁を作る。自分からは絶対に相談しない、雑談しない、仕事しかしない。俺から話しかけても俺に合わせた様な、最低限の会話しかしない。でも仕事は完璧にやる、今回のだって些細な失敗で、普通だったらそんな怒られる事じゃない」
ガツン、とコツコツがジョッキをカウンターに置く音。
彼の顔は酔いと恥と怒りで鬼の様に真っ赤だ。
「いいかウサギ! 確かに仕事する上ではお前ほど優秀ならこんなショボくれたジジイと、いちいち仲良くしてやる必要なんてないだろう。だがな、分かるだろ、俺達はパートナーなんだ。互いに命を預けあって、互いがあの世界での唯一の味方で、俺はそれをただの『仕事の同僚』ってお前みたいに割り切れないんだ。だから俺は、お前がなんでこの仕事してんのかとか、お前がどういう人間なのかとか、お前の事を何も知らずに、それどころかお前に避けられて仕事すんのが辛いんだ、分かるだろ! おぅコラ! クソヤロゥ!」
コツコツはそう吠え終えると、肩で息をしながら再びカウンターに突っ伏す。
「……以上だよ、俺の言いたいことは……もう帰っていいぞ」
彼は最後には消え入るような声でそう言うと、動かなくなる。
ウサギはそんな彼を、じっと悲しげに見つめていた。
しばしの静寂。
彼女はゆっくりと目を瞑り、小さく息を吸う。
「私がこの仕事をしてるのは――」
「んぁ?」
不意に喋りだしたウサギにコツコツは驚く。
「――小さい頃、あの『ゴミ箱』でよく遊んでいたからです」
ウサギはゆっくりと言葉を紡いでいく。
「ゴッドハンドっていう名前の非正規ドライバーと安いパッチ型の潜水服で。よくレベル1に潜っていました。もちろんライセンスなんて持ってなくて、何度か管理官の人に見つかってとても怒られました。でも私はあの世界が好きでした、現実世界ではあまり周囲に馴染めかったから。あ、それは今もか」
彼女は真顔でそう言い、コツコツは笑うべきかどうか困った。
「あの世界は私にとって楽園でした。あそこには何もなかったから、誰もいなかったから。意地悪をする人も、陰口を言う人も、怒る人も、非難する人も、受け入れられない常識も、暴力を振るう人も。だから、だから私達はあそこが――」
彼女はそこで言葉を止める。
私達?
そしてゆっくりとコツコツの目を見る。
「――だから、この仕事を始めたんです」
「ウサギ……」
ごめんなさい、そういってウサギは頭を下げる。
「ごめんなさいコツコツさん。私は怖かったんです。他人が、他人に自分を理解されることが。私は傷つきたくなかった、傷つけられると思った、だから理解されないように……でもそれは私の我儘でした。コツコツさんに迷惑を掛けてしまった。私はコツコツさんに、そんな心労を掛けてるなんて思ってもなかった」
「いや、心労っていうか、ただの俺の……」
「私はコツコツさんを避けてなんていません、むしろ親しく思ってます。だから甘えてしまいました、だからこそ甘えて我儘に振舞ってしまいました」
本当にごめんなさい
「コツコツ、ちょっと情けないよ」
カウンターに突っ伏したまま一向に起き上がらないコツコツに、ママはそう声をかける。
「うっさい」
今カウンターにはコツコツが座っているだけで、他には誰もいない。
ウサギは、あの後何も言葉が出ずただ焦るだけだった彼に気を利かせ、トイレに中座していた。
「ねぇママ」
コツコツは顔を伏せたまま、覇気のない野良犬の様な声を出す。
「何?」
「さっきのウサギ、本心で喋ってる様に見えた?」
「全ッ然」
「……やっぱり」
酒臭いため息が吐き出される。
「ごめんコツコツ、なんて慰めればいいか分からない」
ママはわざとらしく笑いながら言った。
「『親しく思ってます』ぐらいは、本心だったりしないのかよ」
「諦めなさいな、『傷つきたくない』本心っぽかったのはそれだけだよ」
「アイツ嫌いだ」
「そう言ってやるなって。なんか事情があるんでしょ、根は悪い子じゃないよきっと。さっきの一連の嘘だって、コツコツを気の毒に思って、傷つけないようについた嘘だろうし」
「もっと俺を頼りにしてくれよ。絶対アイツまた今日みたいな無茶やって、最悪死ぬぞ」
「そしたらまた助けてあげなよ」
「もう助けねぇよ、あんな奴」
「なっさけない」
コツコツは顔をあげ、再びビールをあおろうとする。
その時床に床に、ちょうどウサギが座っていたイスの下に、何かが落ちてるのを見つけた。
写真だ。
「これって、ウサギがたまに眺めてた……落としたのか?」
コツコツは拾い上げてみる。
そこには一人の若い男性が写っていた。
ママも横から覗き込む。
「あー、やっぱり彼氏いるのね。それじゃあオッサンの親友なんていらない訳だ」
「うっさい、少し黙れ」
コツコツは妙な違和感をその男の顔に感じていた。
そして直ぐにその違和感の正体に気づく。
「こいつ、似てる」
そっくりだ、ウサギに。弟か?
コツコツは脊椎端末を立ち上げ、電脳世界に移行し、その顔で検索を掛けてみる。
すると予想以上に大量の情報が引っかかった。
なんだ、なんだこれ。
非正規ドライバー騒動雑観、という一際巨大なカテゴリが目を引く。
コツコツは動揺しながらも、そのカテゴリを読み込んでいく。
〈十四歳男性、ゴミ箱で死ぬ――電管局より以前から注意が出されていた非正規たドライバー「ゴッドハンド」と安物の潜水服でゴミ箱に不正侵入――レベル3にて丙種指定バグに接触、脊椎を焼かれたようで――全てその青年の自己責任? 問われる管理責任――警察庁電子警備部、ゴッドハンドの危険性に言及――死亡した青年の名はヤジマクニシゲ、常習的にゴミ箱に潜ってた模様――ヤジマクニシゲは事故死? 自殺? 電死体の回収が待たれる〉
ヤジマクニシゲの画像が出てくる。間違いなく写真の男と同一人物だった。ヤジマクニシゲが死んだのは今から二年前と書いてある。
二年前で十四歳、という事はウサギの兄?
〈電死体回収は難航――ヤジマクニシゲは自殺説濃厚――セクター7G管理局管理官が遺族と示談――ヤジマクニシゲの電死体はレベル5に到達されたと推測、回収作業打ち切り――ヤジマクニシゲの妹、ヤジマ……
コツコツはそこで読み込みを止める。
『詮索だけはするなよ』ミヤフジの警告が、コツコツの脳裏にチラついたのだ。
何してんだよ、さっさと読み込め何躊躇してんだ馬鹿か俺は。コツコツそう自分を必死に叱咤したが読み込みを再開できなかった。
「クソァ! なんなんだ、何なんだよチクショウ!」
コツコツは現実世界に意識をもどす。
その時、ウサギがトイレから出てくるのが見えた。
彼は慌てて写真を自分のポケットに隠す。
「あーそういうことしちゃうの? オッサンの嫉妬とか見苦しい情けない」
ママは呆れ半分にそう冷やかす。
「うっさいそんなんじゃない。頼むから黙ってろ! いいな」
コツコツは急いでジョッキを傾ける。
ウサギ、お前、兄の電死体を探してるのか? 喉まで出かかってるその質問を、彼は琥珀色の液体と供に腹の奥底へ流し込んだ。