第1話 : 小学1年生の最初の通信簿
読んで下さってる方、ありがとう御座います。
久しぶりの投稿となってしまいました。
春ですね! 皆さん花見? 等で楽しんでいますか?
~~~~~ お詫びを ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
本篇は、前編の修正と成っています。
内容は前編と殆ど変わりません、ちょっと修正しただけです。
ごめんなさい。
前編を読んで下さった方には、本当に申し訳なく
「前編と一緒じゃん」と思うと思いますが、本サイトの理解が私自信足りず、
このようなダブルブッキング? に成ってしまいました。
貴重な時間で読んで下さって、……、何これ?って思われていると思います。
本当にすみません。
本サイトをもっと勉強します。
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本投稿では、ちと
「俺にとっては、淋しい春? 初夏? の内容になってしまっているかもしれません」
ごめんなさい。 です。
姥捨て山
いきなり大変失礼な言動ですが、姥という漢字、部首は女性を示していたので、
ご年配の老婆の事かな? と勝手に思っていた時もありました。
ネット等で少しですが調べてみると、
女性に限らず、生産活動? 社会貢献? に寄与出来なくなった人々を指す言葉なのだろうと思う。
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東北新幹線からの車窓、いい景色を堪能していた。
地元近くを通るとそこには以前無かった、大っきな総合病院があった。
この辺も随分と開けて来たんだな……と思いながらも、出張先での仕事の内容を確認していた。
就職後勤務地が、某機械メーカー神奈川県になってしまったため、久しぶりの車窓からではあるが、懐かしかった。
出張先に向う、当時は携帯電話など無かった?(超高価)な時代であった。
そして営業の方と顧客に向う、
「仙台からの次の駅、この古川も立派に成りましたね~」
「ところで今日の案件は大丈夫なのか?」と
問題の多発しているお客様である。
「はい、自信は……?、でも何んとかできますよ、きっと……?」
「まぁ、お前なら社交辞令も上手いし、わざわざ来てくれたんだから、営業としては、ひと安心かな?、
そこの飯屋旨いから、ちょっと早いけど、昼飯めし食ってから行くから……」と、
昼飯を食いながら、これまでのお客様のクレーム等を聞き、いざ、お客様の所へ、
内心、どうしようかな? ドキドキではあったが。
到着すると、お客様から、挨拶も早々に
「こちらの方が『高橋さん』? ですか?」
「はい?」
「先ほど、御社から電話があり、お母さんがご危篤との知らせがありました」
私は、以前から母親が慢性の白血病で入退院を繰り返し、しているを知っていたので、
「大丈夫ですよ、きっと……、とにかく機械を見させて下さい」
すると、問題が多発しているその社長が、
「何言ってるんだ?、
そんな事言っている時じゃ無いだろうと!、……」と、
私はその社長の言葉が嬉しかった。そして、
「でも、このデータだけは採らせて下さい。会社に戻ったら調査・分析します、お願いですから」
社長も、しぶしぶOKをし、
「データーを取ったら直ぐに、お母さんの処へ行くんだよ」と言ってくれた。
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「データーも取れましたし、応急処置ですが、これで機械も動くようになると思います、失礼をお掛けしました」と言うと、
その社長が、
「機械の事は、他の技術者でも出来るんだろう? そんな事よりお母さんの所に早く!」
「ありがとう御座います。この応急処置でも生産は可能だと思います。また日を改めてお伺いします」と言うと
「そんな事はいいから、君の実力は知っているし、今は母さんのところへ早く、
おい、小林(営業マン)君、早く帰してやってくれ」と……。
そして、1時間に数本しか無い東北新幹線で帰路に向かった。
やはり、いくら気丈に振舞っていても、帰りの新幹線からの車窓は辛かった。
母が、入院している総合病院が見えると、思わず泪が零れた。
他人には、どの様に映ったか解らないが、一人の中年男が窓越しに涙を浮かべている姿……。
早速実家に戻り、母の容態を父に聞いてみると、
「今は安定している様だ、母さんには、
白血病とは言っていない。
ただ血液の数値が悪いからとだけ言ってある」
私は、慢性の白血病に罹っているとは知っていたが、何故急変したのか問い尋ねた。
「かぁさんの白血病が慢性で無く急性? に急変したようだ。俺にも良く解らないが」
(当時、私にもよく解らなかったが、慢性は『じわじわ』と進行し? 急性は『激情』となってしまうらしい。)
病院の先生も安定していたのにと思っていたようだが、結果的には、
「年齢の事を加味しても、手術はもう無理でしょう」の判断だった様だ。
ただ父は、癌に効くと言われれば、高価なクマの胆嚢? をかぁさんに無理やり食べさせていた様だった。
しかしもう、かぁさんの胃? は何も受け付けなかった、食べれば直ぐ吐いてしまう。
かぁさんの死が近くに迫っているのは解っていたが、少し落ち着いたようなので、
「また、来るから、何かあったら直ぐに電話して」と私は、神奈川の勤務先に戻った。
それから、1週間程たったある日、かぁさんの具合も気になるし、ちょうど夏休みでもあったので家族で実家に帰った。
今年入学したばかりの小学1年生の長女の1学期も終わって、
「この通信簿、父さんのおばぁちゃんに観てもらうんだ」と、
無邪気に帰省を心待ちにしていた。
幼心にも
「やっぱり、…… 『死』と、いうものは辛いだろう」
ばぁちゃんに、その通信簿を観せて、褒めて貰いたかったであろう……。
でも、通信簿を持って病院へ行った時には、……。