第一話 ⅩⅩⅦ 上
一週間ぶりです。いつもですけど。
何とか、年内には第一話を終わらせたいと思います。
お楽しみいただければ幸いです。
ファルベント魔術学院の第四訓練室で巨大な炎の蜥蜴が出現した頃。
都市ネピア、ケレステア神殿にいる神官長のディアナ=サクラーレは執務室でティータイムを迎えていた。
書物がぎっしり詰まった本棚と、堆く積み上げられた書類の乗った机がある部屋にコポポポポ……とティーカップに紅茶が注がれる心地良い音が響く。
白磁のティーポットを持ち、琥珀色の液体を注いでいるのは官員長のタリア。
カチャ、という音と共に、ソーサーに乗ったティーカップがディアナの前に置かれる。
「もう一ヵ月経つというのに、まだ変な感じがします」
カップの中を見つめて、寂しそうにディアナが呟く。
彼女はいつも、午後の休憩の時間をエル達と共に過ごしていた。
「まだ一ヵ月も経っていません。習慣はそう簡単に変わるものではありませんよ」
少し苦笑して、タリアが言う。
「そうですよね……」
同意を示し、ディアナは紅茶にミルクを入れてスプーンで掻き混ぜ、口を付ける。
「美味しい。今日はダージリンですね」
ほっ……と息を吐いて感想を述べる。
「はい。ダージリンのファーストフラッシュです」
タリアが笑って応える。
「そう言えば、エルはこれが好きでしたね。送りましょうか」
そうディアナが考え、言うと、言い難そうにタリアが口を開く。
「いえ……、それはフィンレイさん達が送られているかと…………」
「あぁ……、そうですよね…………」
少し引き攣った笑顔でディアナは同意した。
フィンレイ、とはエルの父親の名前だ。ちなみに母親の名前はジゼル。
彼等は息子のエルを溺愛している親バカだ。見ている全員が引くほどに。
そんな彼等がエルの好きな物を送っていない訳がない。
事実、既にエルの両親はダージリンのファーストフラッシュを送っていた。
「それにしても、エル達は平穏な日々を送っているでしょうか?」
ディアナは話題を変える。
彼女の意を察してタリアが答える。
「大丈夫だと思いますよ。あの三人が怪我をするような事はそうそう起きたりしませんから」
平穏かどうかは知らないが。
ミルクティーを一口含んで、タリアの返答を聞いたディアナは安心した様に笑って言った。
「そうですね。そんなことがそうそう起きる訳ありませんよね」
◇◇◇◇◇◇◇
場所は戻り、ファルベント魔術学院第四訓練室。
そこでは現在進行形でディアナとタリアの会話を否定する出来事が起こっていた。
平穏とは程遠い出来事が。
ユウキとナディアとソフィアがエル達の元に近寄ってきた直後、H組が実習を行っている所で巨大な炎の蜥蜴が出現した。
「オオオォォォォォ――――――――――ッッ!!!」
巨大な蜥蜴の咆哮が、酷く苦しげにエルには聞こえた。
「な、なにあれっ?!」
「とかげっ?!」
ナディアとソフィアが驚愕の声を上げる。言語を発するだけこの二人はマシだ。
突然現れた巨大な存在に生徒達はパニックを起こす。
「全員、俺の近くに集まれっ!!」
生徒達の混乱を切り裂いたのはスハイツ。
彼の珍しい大声に驚く暇も無く、G組の生徒は彼の居る所へ集まる。
「ハイト!」
エルも召喚獣の名を呼び、スハイツの下へ決して長くない距離を走る。
見れば、カルロも同じようにH組の生徒を蜥蜴から離れた場所へ集めていた。
そうこうしている内に、蜥蜴の周りには炎が渦巻き、大きな火の玉が形成されていく。
G組全員がスハイツの元に集まった時、蜥蜴の作り出した火の玉が無差別に発射される。
打ち出された火球が物凄い速さで迫ってくる。
「ッ。<守陣>!!」
苦い表情を浮かべ、スハイツが術名を唱える。
何かの力が作用しているのか、声に出すことで魔力の扱いが向上しているのかは分からないが、魔術は術名を唱えると魔方陣の展開が速くなり、発動時間が短くなる。故に、大抵の魔術師は術名を唱えながら魔術を使う。
スハイツが唱えた<守陣>とは、防御魔術の中で最も良く使われるオーソドックスな魔術だ。この魔術で創り出されるのは結界。場所が固定される固定式で、任意で大きさや形を変えることが出来る。
<守陣>の発動がギリギリ間に合い、ドォンッ! という爆発したような重い音を出して結界が火の玉を防ぐ。
その光景を見て全員が一旦胸を撫で下ろす。
「先生、これは一体?」
ロウェンがG組生徒の疑問を代表して担任に問う。
スハイツは苦い顔をして答える。
「ムローワが召喚した召喚獣が暴走し始めた」
暴走する直前、召喚獣が前にいたのはアマンシオだけだったのを視認している。
「何で暴走したの?」
喰い気味にソフィアが問う。
「……多分、契約もしてないのに魔力を注ぎ込んだんだろ」
答えるスハイツは自信なさげだ。
「そんな非常識な……」
ナディアが眉をハの字に曲げる。
無差別召喚の場合、契約していない召喚獣は召喚主に従わない。それなのに魔力を与えても召喚主には一切利益が無い。仮に分け与えてしまえば、(量が少なければその限りではないが)今の様に暴走してしまう。
だから、契約前に魔力を渡したりしてはいけない。
「だから多分って言ったろ。でもそれ以外思いつかん」
スハイツの眉間の皺はナディアの三倍ほどはある。
「っていうか、それ以外にはありえませんよね」
答えに自信が持てないスハイツ達の不安をエルが切り裂く。
その目は、自身の周りに炎を渦巻かせ、火の玉を放っている蜥蜴に向けられている。
意外な人物からの断言に、スハイツは目を丸くする。
そして、口を開く。
「その根拠は?」
エルはスハイツを見ることなく答える。
「今回、俺達がすることは召喚獣を呼び出すだけ。呼び出した後は何もせず、召喚獣にはそのまま帰ってもらう。何か実験をしようとしてた訳じゃありません」
ハイトと契約した自分を棚に上げてエルは話す。
「その上、蜥蜴の力は中級位でしょうか? まだ魔術を習い始めたばかりの新入生には呼び出せて精々が下級二位。H組に経験を積んだ人はいないようですし、あんな強い者を呼べません。よって、暴走した原因は魔力を召喚獣に無理矢理流し込んだ以外には考えられません」
ハイトはヒッポグリフ、中級二位だがそれも棚に上げてエルは論じる。
今はエルやロウェン、マリアのような例外ではなく、その他一般について述べているのだから。
だが次に話すことは、例外でなければ分からないことだ。
「それに、蜥蜴の纏っている魔力が濁っています。多分、あの蜥蜴のものではない魔力が混じっているからでしょう」
意思を持った召喚獣が、襲いかかっているのではなく暴走しているのだ。
外部からの影響を受けた、これ以外にはありえない。
「オオォォォォ―――――!!」
苦しげに鳴く蜥蜴に呼応した様に、エルも苦しげに顔を顰める。
魔力の受け渡しは輸血、または臓器移植に似ている。
自分の血液型とは違う血液型の血液を輸血されたり、自分のものではない臓器を移植されると拒絶反応が出ることがある。
血液や臓器のようにガッチリした型は無いが、魔力も同じだ。
他者の魔力は普通制御できない。酷い時には拒絶反応が出て魔力が暴走し、死に至ることもある。
魔力の譲渡は相当の熟練が必要なのだ。
契約魔術は渡される魔力を拒絶反応が出ないよう、変換する役目も負っている。
だと言うのに、魔力を注ぐとは。
「何で分かるんだ?」
スハイツの疑問は至極単純で、純粋で、当然だ。
普通、自分に入ってくる他者の魔力の存在は気持ち悪いという感覚で認識できるが、他者と他者の魔力が混ざりあった魔力を判別することなど出来ない。
その問いを受けて、やっとエルがスハイツの方を向く。
彼は苦笑して答えた。
「俺は魔力の制御とか、そういうのが得意なんです」
「……そうか」
スハイツが頷く。
「でも、そもそも魔力を渡すこと自体難しい事なんじゃないの?」
ソフィアがナディアと同じように眉をハの字にして訊いてくる。
「召喚した時点で、繋がりは出来てしまう。お前等もそうだったろ?」
その繋がりを表現するなら、ティッシュ二分の一枚くらい。とても薄いが繋がりがあるのは事実だ。
「あ、そっか。フリサが呼んでって言ってたし」
ナディアがポンと手を打つ。
「あぁ~」
ふむふむとソフィアも頷く。
「このままだとあの召喚獣、危ないんじゃ?」
双子の疑問が消化されたところで、ユウキが次の議題を上げる。
「ああ。このまま暴走を続ければあの蜥蜴は確実に死ぬ」
スハイツの声が淡々と聞こえる。
暴走状態の時は自身の中にある力を全て使い切ってしまう。無論、生きる為に必要な魔力さえも。
「そんな……」
ユウキが絶句する。
「クルルルルル…………」
エルの横で立つハイトが悲しそうな声を出す。
「召喚魔術で帰還できないの?」
「いや、例え帰還しても暴走は収まらん。それにこれは例外だ。強制帰還は発動せんだろう」
ナディアの言にスハイツは冷静に答える。
「どうにも出来ないんですか?」
悲愴な顔でユウキが問う。
「出来ないこともないが…………」
渋い表情で答えるスハイツ。
暴走を止める理屈は単純。蜥蜴の魔力に混ざっている他者の魔力、ここではアマンシオの魔力を抜いてやればいい。
方法としては暴走している対象を気絶させたり拘束したりして、魔力を放出させる魔術を行使する。
他者の魔力は自身が本来持っている魔力よりも結び付きが弱く離れやすい為、対象は弱ってしまうが暴走は止まる。
口で言うのは簡単だがそもそも他人の魔力を操るのは至難の業。その魔術の術式は超複雑な上に使い勝手が悪く用途もあまり無い。故に、術式を知っている人がいるかどうかさえ怪しい。
更に、成功させる為には力と時間が要る。
しかし、そのどちらもが問題大有りだ。
力に関しては魔術学院全体を言えば全く問題ない。だが、この場にいる者達では足りないのだ。
現在この場に教師はスハイツとカルロの二人だけなのだが、予想以上に攻撃が激しくスハイツもカルロも結界の維持に精一杯で他に手を回す余裕が無い。
それに、教師二人で蜥蜴を抑え込むのは不可能。戦力が不十分過ぎる。
生徒を戦力に数えるのは論外。
外からの助けを待つにしても、後どれだけ待てばいいのか分からないし、そもそも気付いてくれているのかさえ分からない。
助けが来たとしても、それまで蜥蜴もスハイツとカルロの結界も持つかどうか。
スハイツがグルグル思考している最中、動いた人物がいた。
お読みいただき、ありがとうございます。




