第一話 ⅩⅩⅣ 中
てなわけで、二回分の二回目の方の投稿です。
一回目の前書きが長かったので、こっちは短く終わらせます。
では、第一話 ⅩⅩⅣ 中、お楽しみいただければ幸いです。
顔を上げると、そこには通常ではありえないほど巨大な鳥の嘴があった。
見れば、キリッとした男前の顔に付いているレモンイエローの瞳がエルを覗き込んでいる。
ヒッポグリフ。
上半身が鷲、下半身が馬の魔獣、または魔物と呼ばれる存在だ。
胴体は一般的に馬と呼ばれる生物より一回りは大きい。翼は広げれば三メートルはあるだろう。体毛は伝えられている通り、上半身には羽が生えており、下半身は短い毛で覆われ、長い尾が揺れている。そして、前足には鋭い爪が、後ろ脚には黒くて厚い蹄が備わっている。色は全体的に灰色で、尾は黒く、下半身は若干茶色い。
その姿には「威厳」よりも「気高い」という言葉の方がしっくりくる。
「クルルルル……」
ヒッポグリフはじっとエルを見つめる。
人にとってはかなり大きく感じる生き物が至近距離にいるのだ。周りから見ればこの時間は緊張の一言に尽きるだろう。
グリフォンに似た性質を持つヒッポグリフは非常に誇り高い。礼を失して怒らせてしまえば怪我をするでは済まされない。
エルは後ろで誰かが、ゴクリ、と唾を飲む音が聞こえた気がした。
とにかく、このままヒッポグリフの好きにさせていては埒が明かない。
「初めまして、俺はエル。よろしく?」
笑って自己紹介をする。最後が疑問形だったのは契約しないからだ。
笑顔に嫌悪感を抱く人はいない……はずだ。魔獣相手にはどうか知らないが、これが最善だろう。
すると、翼を持った魔獣は頭を下げた。言葉を理解できるようだ。
エルは認めてもらえたらしい。
「先生、結界解いて下さい」
ヒッポグリフによって姿が全く見えない担任へ、エルはどうにかその姿を見ようと体を右にずらして声を掛ける。
「大丈夫なのか?」
困惑顔のスハイツに心配される。
しかし、エルの動きに釣られたのか、エルの前に移動した魔獣によってスハイツが見えなくなる。
「大丈夫みたいです」
今度は左に体をずらしてエルはスハイツに言う。
「分かった」
スハイツが返事をするが、またもやエルの前に移動した魔獣によってエルはスハイツが見えなくなる。
疑問に思って見上げると。ヒッポグリフはグリグリと何かに頭を押し付けるようにして動いている。エルは何だか嫌な予感がした。
スハイツが掛けた結界が解かれる。
今まで行く手を阻んでいた壁(結界)が無くなったことに対応できず、勢いそのままにヒッポグリフの足は前に進む。
(ヤバ……)
ヤバい、とエルが最後まで思う暇もなく、自分が呼び出した召喚獣が自分に向かって突進してくる。
結界にグリグリと押し付ける為に下げられたヒッポグリフの巨大な頭が、ドスンッ!! とエルの胸に突き刺さる。
「ぐはっ……!」
胸だけでなく、肺にまで頭突きの衝撃が届く。
衝撃で肺の空気が口を介して外へ押し出される。
幸運なのか不運なのか知らないが、頭を上げたヒッポグリフの頭にエルの体はプラ~ンとぶら下がる。
「「エル?!」」
突然の出来事にロウェンとマリアが驚愕の声を上げる。
その他の者達は声も出ず固まってる。
「ゔぅぅぅぅ……」
(ふ、不覚…………)
ヒッポグリフには敵意が無いことに油断してしまった。
後を引く鈍い痛みにエルは身動きできず、召喚獣の頭の上で唸るのみだ。
ロウェンとマリアに大丈夫だとエルは言いたいのだが、それは無理。
もっと明確な痛みなら叫んでのた打ち回れるのだが、如何せん、こういう鈍痛はそれを許してはくれない。
「クルル……??」
ヒッポグリフは召喚主が自分の頭で唸っている現状が理解できていないようだ。
それもそうだろう、ヒッポグリフは召喚主に近付こうとしたが見えない壁に阻まれ、何とかそれを突破しようと苦心していただけなのだから。
また、エルに頭突きをしたこともヒッポグリフは分かっていない。
ヒッポグリフの様な大きな魔獣にとって、先程の様な頭突きは頭突きではない。ちょっと躓いて蹈鞴を踏んだ様なものなのである。
確かに、ヒッポグリフはいきなり壁がなくなったことに少し驚きはしたが、その後は、ん? 何か当たったかな……? という位の認識しかないのだ。
しばらくエルは奇妙な格好で唸って痛みが引くと、ゆっくりとヒッポグリフの頭から降りた。
困ったような顔をしている召喚獣に、若干青い顔でエルは笑顔を向けて言う。
「悪い、驚かせたな。何でもないから、安心していい」
腕を伸ばして頭を撫でてやると、ヒッポグリフは気持ちよさそうに目を細めてエルが頭を撫でやすいように少し下に下げる。
その素直な動きに思わずエルの口元が緩む。
ヒッポグリフの体毛はわしゃわしゃしているが、羽自体はスベスベしているので非常に触り心地が良い。わしゃわしゃだけどスベスベだ。
そしてエルはヒッポグリフの頭を撫でつつ体を後ろに向け、何故か構えている二人の友に質問する。
「……何してるんだ?」
訊いてから、事実だけ言えば自分は召喚獣に頭突きされたんだな、ということにエルは気付く。
「……いや、悪い。さっきのは只のアクシデントだから大丈夫だ」
驚かせて申し訳ない、とエルはばつが悪い表情で言う。
魔獣・魔物は人と同じように知性を持っている為、召喚魔術は例外として余程のことが無い限り彼等は人間を襲わない。また、彼等は基本的に人間界には住んでいない。多少は人間界に住んでいる者もいるが、それは彼等が望んでいることなので態々《わざわざ》人に討伐されてしまうような事をする訳がない。
しかし、目の前で魔獣に頭突きをされているのを見れば心配してしまうものだ。
「そっか……、なら良かった」
「はぁ、びっくりした……」
ロウェンとマリアが同時にほっと息を吐き、肩から力を抜く。
いや、本当に申し訳ない。
「あー、もうちょっとタイミング考えればよかったな」
後頭部を右手で掻きながらスハイツがヒッポグリフの後ろから出てくる。
「いえ、俺が解いて下さいと言ったんです。先生に非はありません。というか、誰も悪くありません。強いて言えば、注意を怠った俺に非があります」
エルは真面目な顔をして言い切る。
こう言った方がグダグダと話を引き延ばさずに済む。
「そう言ってくれると助かるわ。……それにしても、初っ端から中級二位が出てくるとはなぁ」
エルの傍らに立つヒッポグリフを見上げてスハイツは言う。
「そうですね……。俺もまさかヒッポグリフが出てくるとは思いませんでした」
少々困惑気味にエルは正直な感想を述べる。
感想を聞いたスハイツがニヤリと笑ってエルに言ってくる。
「さすが神官候補生、と褒めた方が良いか?」
「いえ、いいです。クラスで浮いてしまいますから」
「まだ浮いてなかったのか?」
「失礼ですね。まだって何ですか、まだって」
「色つきが三人固まって仲良くしてんだ。普通、速攻で浮くだろ」
「否定はしませんが……、あの二人のそこにそんな近寄り難い雰囲気があると?」
「ああ、そうだったな。そんなお高い空気をアイツ等が持ってる訳ないか」
スハイツのチョーク投げも一役買っている。
「俺一人だったら浮いてたかもしれないですけど」
「あの二人がいたら無理だな」
「無理です」
本人達がいないのを良い事に、微妙に失礼な会話をするエルとスハイツ。
しかし今は講義中、いつまでも油を売っている訳にはいかない。
「よし、エルはこれでOKだな。もう召喚獣帰還させていいぞ」
スハイツの言葉にエルは素直に従う。
「はい、分かりました」
隣で大人しくしている召喚獣に向かってエルは言った。
「ヒッポグリフ、もう帰っていいぞ」
契約をしていない召喚獣に、帰還しろ、ということはもうその召喚獣を呼ばない、または暫くは会わないと言っているのと同義だ。
そう言われれば、召喚獣はさっさと帰還する。
しかし、エルが呼んだ召喚獣は返る素振りを見せない。
スハイツとの会話が終わったのを察したのか、エルに擦り寄ってくるばかりだ。
「ヒッポグリフ? もう帰っていいんだぞ?」
聞こえていなかったのかともう一度言う。
するとヒッポグリフは擦り寄ってくるのをやめたので、良かった、聞こえてなかっただけか、と安心したエル。
だが、今度はエルの体にピタッと密着して動かない。
確実に聞こえていたはずなのに帰還しない召喚獣にエルは混乱する。
契約されていない召喚獣が召喚主の帰還命令を聞かないのは珍しい事、というよりまずありえない。
だって、呼び出された全ての召喚獣が召喚獣になりたいと思っている筈が無いのだから。
故に召喚された召喚獣が暴れるという事例があるのだ。
それでなくても、最初は大体の召喚獣が自身の故郷の為と半ば義務感のようなもので契約する。
以上のことから、契約していないのにヒッポグリフが帰還しないこの状態はおかしい。
もっと言えば、契約していないのに帰還しないこのヒッポグリフがおかしい。
初めての召喚でそんな経験なぞ皆無(こんな経験した人なんてまずいない)なエルは困り果てて、元居た位置に戻ろうとしているスハイツに助けを求める。
「先生、ヒッポグリフが帰還しないんですが……」
エルに言にスハイツが、何変なこと言ってんの? と少し馬鹿にしたような顔でエルを振り返る。
スハイツがそんな小馬鹿にしたような顔を向けた先には、困惑と少し焦りが混ざった表情のエルと、彼の体にピッタリと密着して動かないヒッポグリフ。
その状況を見て冗談には思えない。
「…………マジ?」
「マジです」
マジでなければスハイツに助けなぞ求めない。
二人の間に沈黙が降りる。
「……とりあえず、もう一回言ってみよう」
「……はい」
エルはヒッポグリフを見上げてもう一度言う。
「ヒッポグリフ、帰還しろ」
「………………」
エルの目をじっと見つめるだけでヒッポグリフは応じない。
「……駄目です。先生、助けてください」
諦めてスハイツにエルは助けを求める。
「みたいだな……。何で帰還しないんだ?」
スハイツも初めての事例に困惑する。
「さぁ……。分かりません」
スハイツに分からなければエルにも分からない。
ふと思いついたようにスハイツが言った。
「…………聞いてみれば?」
主語がない台詞にエルは聞き返す。
「……誰に?」
「ヒッポグリフに」
「……でも言葉が分かりませんよ?」
「大丈夫大丈夫。召喚主と召喚獣なら分かる」
「はあ……」
気楽に言ってくるスハイツに若干不信を抱きながらも、エルは素直に訊いてみる。
「何で帰還しないんだ?」
「クルルルル……」
不思議なことに、何となくだが理解できた気がする。
フワフワしていて明確なものではないが、答えを口にしてみる。
「契約……してないから……?」
エルの呟きのような答えを耳にしたスハイツが困惑顔で言う。
「どういう事だ?」
聞いている側からしたらますます訳が分からない。
この召喚獣は契約しないと帰れないとでも思っているのだろうか。
別に契約なんてしなくても帰れるというのに。
お読みいただき、ありがとうございます。




