第一話 Ⅰ
今回は前回よりも長いです。
笑える話になったので、面白く感じてもらえると嬉しいです。
一人の青年が白い廊下を歩いている。
その手には、いかにも重要な書類が入っていそうな茶封筒を三つ持っている。
青年は天井の高さが五メートルはある廊下を、ここで役目に就いてから行儀に厳しいタリアとの戦いで身に付けた、歩いているとも走っているとも言えない絶妙な速度で進んで行く。
そして、奥にある小さなホールの階段を上って、最上階である三階に行く。
目的地はその階に唯一存在している部屋。
扉を開ける。
「うぉっ!?」
青年は彼の顔面めがけてものすごい勢いで飛んできた分厚い本を仰け反ることで躱す。
バサッと音を立てて、本が廊下に落ちる。
「っっ! 何すんだよ、マリア!!」
青年は扉の向こうにいる女性に文句を言う。
「ノックもしないで入ってくるアンタが悪いのよ。ロウェン」
マリアと呼ばれた女性が答える。
秘書や副官のような見た目の、美人と呼ばれるに相応しい容姿の女性だ。長い髪を頭の高い位置で一つにまとめており、ロウェンを睨む瞳は彼女の気の強さを表している。
「お前の部屋じゃねぇだろ」
少し癖のある髪を幾分乱してロウェンが言い返す。
その顔立ちは男らしく、かつ爽やかさを備えている。街に出れば女性の視線を惹きつけてやまないに違いない。
「部屋に入る前にノックをするのはマナーでしょうが」
マリアが言う。
正論だが、人の部屋の物を無断で投げ飛ばす彼女はどうなのだろう。
「二人とも仲が良いのは結構だが後にしてくれ」
と、この部屋の主の介入で二人の口論が中断される。
中性的だが男だと判別できる整った顔立ちの青年だ。短めの髪はサラサラで、纏っている雰囲気は落ちいており、どこか大人びた印象を受ける。
「「よくないっ!!」」
二人の声が部屋に響く。
「何か用があるんじゃないのか? ロウェン」
息ピッタリじゃないか、と思いながら、部屋の主は抗議の声を無視して言う。
「あぁ、合格通知が届いたぜ。エル」
言われて、きれいさっぱり忘れていた用事をロウェンは思い出す。
「そういう大事なことはもっと早く言いなさいよ」
「うるせぇ。お前のせいだろ」
「何よ、忘れてたアンタが悪いんでしょ」
「ロウェン、開けてくれ」
またもや喧嘩を始めた二人をエルが遮る。
この二人、互いの実力を認め合っているくせに、いや認め合っているからこそか、ちょっとした事ですぐ喧嘩に発展する。もっと仲良くしてほしいのだが、どちらも互いをライバルと認識している上に我が強い。仲良くできたとしてもそれはもっと先の話になるだろう。
「おぅ。ちょっと待ってくれ」
答えたロウェンが封を切り始める。
部屋に紙を切る音が響き、ロウェンが三つの封筒から合格通知を取り出す。
「どうなの?」
早く教えて、とマリアが尋ねる。
「三人とも合格だ」
「よかったぁ~」
安心したマリアがほっと息をつく。
「これで無事入学できるな」
微笑みながらエルが言う。
「あぁ、三人とも合格しないと入学できなかったからな」
ロウェンが苦笑する。
「ま、私が心配してたのはロウェンが落ちないかどうかだけどね」
と、マリアが余計なことを言う。
「何だよ。模擬問題の点数の差はほとんどなかっただろ」
ロウェンもロウェンで無視すればいいのに、律儀に言い返すものだから、本日三ラウンド目の喧嘩が始まる。
「アンタは大雑把だから、名前を書き忘れていないか心配してあげてたのよ」
「嘘つけ。試験が終わった後、顔を青くして、落ちたかもしれないって騒いでたくせに」
(ロウェン、お前自分が大雑把なの否定しないんだな)
心の中でエルはツッコむ。
なおも二人の喧嘩は続く。
素直に合格したことを喜べばいいのに、と二人の喧嘩をBGMに紅茶を飲みながらエルは思う。
二人の喧嘩を止めはしない。さっき喧嘩を止めたのは、ロウェンが何か用事があることが分かっていたからだ。普段手ぶらで部屋に来る人が手に封筒を持って自分の部屋に入って来れば、何か用事があるのだろうと誰だって思うだろう。
それにこの二人とはほぼ八年間、同じ時間を共に過ごしている。初めは真面目に喧嘩の仲裁をしていたが、これは二人のコミュニケーションと化しているので、今では特に用のない時は放置している。
「また喧嘩をしているのですか? 本当に仲が良いですね」
エルと同じような事を言いながら、開けっぱなしだった扉から一人の女性がゆったりとした足取りで部屋に入ってくる。
膝まである長い髪はまっすぐで、結んだりせずに背中に流している。見た目は二十代後半で、春のようにほんわかした感じの綺麗な女性だ。
しかし、人を見た目で判断してはならないとはよく言ったもので、エルはこの女性の非常に恐ろしい一面を知っている。
「「よくないっ!!」」
今日二回目のハモりである。
「そう。ごめんなさいね」
女性はくすくすと笑いながら部屋に入ってくる。
「めめ滅相もございません、ディアナ様! ご無礼をお許しください!!」
「申し訳ありません!!」
マリアとロウェンが慌てて謝罪する。
「大丈夫ですよ、気にしていませんから」
ディアナは笑って答える。
「どうしたんですか? ディアナさん」
小さくなっている二人をよそに、椅子から立ち上がりながらエルはディアナに尋ねる。
「えぇ。さっき廊下でロウェンが封筒を持ってあなたの部屋に向かって行くのが見えたものですから、もしかして、と思いまして」
「はい。ご察しの通り、合格通知が送られてきました」
「結果はどうでしたか?」
「三人とも合格です」
「それは良かった。皆さん合格おめでとうございます」
「ありがとうございます」
ディアナにタメ口で言い返してしまったことにダメージを受け、打ちひしがれている二人の分も含めて礼を言う。
「学院では寮生活でしたね。寂しくなります」
ディアナは表情を少し曇らせる。
「休みにはできるだけ、こちらに帰ってくるようにします」
エルはディアナを元気づけるように言う。
「そうですか。では、体に気を付けて楽しい学院生活を送って来てくださいね」
「はい、お気遣いありがとうございます」
エルはもう一度礼を言う。
失礼しました、と言ってディアナは背を向け、部屋を出て行った。
バタン、と扉が重そうな音を立てて閉まる。
「そうだな、まず最初にこの見た目を何とかしないとな」
しばらくして、腕を組み顎に左手を添えて、エルは呟いた。
ダメージから回復してその言葉を聞いたロウェンとマリアは、意味が分からないというように顔を見合わせる。
その時、静かな部屋にノック音が響いた。
「どうぞ」
エルはノックした人物を招き入れる。
失礼します、と言って入ってきたのは、メイドのような恰好をした三十代後半の女性。
髪の毛が落ちないように、頭の後ろで髪を団子状にきっちりとまとめている。
彼女は見たことのある分厚い本を脇に抱えていた。
しかし、その本は記憶しているものよりも、表紙が曲がっていてボロボロである。
それを見たマリアは、あ、と目を丸くし、ポカンと口を開けて固まっている。
ロウェンは、ヤバい、と普段はカッコイイと称されるその顔に冷や汗を流している。
同じなのは、顔色がどんどん青くなっていっている点。
ちなみに、この部屋にある本は希少価値の高いものが多く、値段も結構高かったりする。
「タリアさん、どうしたんですか?」
エルはディアナに掛けた言葉を、今度はタリアに掛ける。
タリアは自分を見て固まっている二人を横目で見、次いでエルを見て、
「マリアとロウェンをしばらく借りたいのですが、よろしいでしょうか」
と、単刀直入に笑顔で言った。
しかし、その目は笑っていない。そして、笑顔の向こうに怒り狂っている一匹の鬼をエルは見た。
そんな鬼と化したタリアに逆らえるはずもなく、
「どうぞ、今日は大事な用事はありませんから、遠慮なく借りて行ってください」
こう言うしかない。
その時の自分の笑顔はかなり引きつっていたであろう、と彼は思う。
「すみません、ありがとうございます。では、遠慮なく」
タリアはその恐ろしい笑顔のまま、マリアとロウェンの服の後ろ襟をむんずと掴み、二人を連れて行ってしまった。
無論、彼らが抵抗などできるはずもない。
本を投げたのはマリアなので、本を傷つけた罪はロウェンにはない。
しかし、マリアが本を投げるに至った原因はロウェンにあるので、それも含めてタリアにみっちり絞られるのであろう。
タリアとタリアの持っている本を見て真っ青になった二人の顔を見て、少し弁護した方がいいかなと思っていた。
でも、ここ最近見なかった鬼のように怒っているタリアを見て、そんな気持ちが一瞬で消滅した。
現在の時刻は、午前十一時三十三分。
そして、ミイラのように干からびたマリアとロウェンが再び部屋に訪れた時刻は、午後四時四十分。
約五時間、彼らがどう絞られたかは知らない。知りたくもないが。
三人がファルベント魔術学院に入学する一か月前の出来事である。
次回はプロローグよりも短くなるかもしれません。
書き始めはどうしても説明が多くなってしまうので。