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Trigger Point  作者: 群青 坊哉
4.昇竜
21/26

1

 幾日も雨の降らない日が続き、日照りで干からびた地に住む人々は苦しんでいた。

 来る日も来る日も枯れた沼の前で雨乞いの儀式を続けるが、甲斐なく雨は降らない。

 そんな中、儀式の最中に一人の見目麗しい女が歩み出る。

 女は沼の主と名乗り、雨が降らない現状は、神の罰であると告げた。

 項垂れる人々に女はこう続けた。

 以前人に救われた事がある。

 その恩を返したいが、天の神がこれを許すはずも無い。

 雨を降らせばこの身は神に裂かれ地に落ちるだろう。

 我が身が落ちたら、これを沼に返してほしい。

 人はこれを了承した。

 女が姿を消して間もなく、曇天に日が隠れ、待ちに待った大粒の雫が干からびた地に降り注いだ。激しい雨の中、踊る人々の歓声は雲を突き抜け天まで届いた。

 恵みの雨はそれから七日間降り続いた。

 七日目の夜。女の告げた通り、空から神の罰を受け身を裂かれた竜の頭、体、尾が降ってきた。

 目にした人々は震えあがった。こんな巨大な竜を殺してしまうなど、神とはなんと恐ろしい力をお持ちなのだろう。

 神から自分達(ひと)を守ってくれた女――竜はもういない。

 神に対抗し得る力を求め、人は三つに分断された竜の体をさらに七つに切断するという冒涜行為で、それぞれの部位から武器を創った。

 復活を果たそうとする竜の魂を阻止してでも。己が世界を守るために。

 こうして人は、神と竜とを敵に回し、より強大な力を求める歴史を綴っていく―― 




 西日の差し込む無人の教室。

 教室の廊下側の席に腰を下ろしていた、一華に良く似た面差しの黒髪の女が絵本を読み上げていた。

「……これが、貴方が求めた真実の物語」

 絵本から顔を上げると、一つ前の席の机に腰掛けている惣一を見上げる。

「これって……竜駒巫覡に伝わっている話だって言ってたよな」

 惣一の問いを受け、女は微笑んだ。

「竜駒と呼ばれるモノを継ぐ時に、伝えられるのだそうよ。竜の魂には、決して竜駒を渡すなと」

 惣一の頭の中を違和感が支配していた。

『竜は人の世を守って散った。竜駒は竜を守る為に在る。だから私は竜を守る。可能な限りでいい。その為の力を貸してほしい、ミコシバ』

 自分に竜駒の事を教えてくれた彼女の瞳には、悔恨の類の負の光は欠片も見受けられなかった。竜駒を語る際、幾度と無く口から飛び出すのはむしろ使命感とか、誇りのようなもので満ちていたはず。

 晶はひょっとして、何も聞かされていない――どころか、作り話の方を与えられたのではないだろうか。

「……その、竜の魂って、今も在るのか?」

「ええ。未だ竜駒と呼ばれている自身の体を求めて彷徨っているわ」

「彷徨っているって……竜駒の近くにいるの?」

「そうね。すぐそば。いつでも、貴方の、とても近くに」

「俺の……?」

「貴方の真実ものがたりもあるのよ」

 言って、黒髪の女は絵本のページを幾枚か捲る。

 再び流麗な声が歌うように室内に響いた。




 貴方には霊力(ちから)はない。

 この世で一番霊力を持たない。けれど、人が竜駒を使用した際、貴方が受ける影響は尋常じゃない。貴方の今の両親は、竜駒の反動から貴方を護る為、そして貴方が竜駒に反応しない様、竜駒から遠ざける為に飯沼家と一守家が選出した者達。

 彼等から、血の繋がりがない事を聞かされたのは、小学校を卒業したその日の夜の事。

 貴方に過保護な両親の前ではなんでもないように笑って、部屋に戻った後で一人、孤独に耐えながら泣いた。どうしようもなく悲しくて、けれど告げられたその瞬間から、貴方はとても楽になったから。

 無意識かもしれない。けれど貴方は、二人に明かされる前から真実を感じとっていたから。

 注がれる愛情、恵まれた環境にこれは自分に対して用意された物ではないと感じ取ってストレスとなっていた。その理由が、ようやく形を持ったから。




「……そうして貴方は、益々人に気を遣うようになった」

 絵本を置くと、女は惣一を見つめる。

「……なんで、それ……」

 惣一の戸惑いと、僅かに滲んだ哀しみの色に女は節目がちに笑む。

「いつも貴方のすぐ近くで、ずっと貴方を見てきたから」

「ずっとって……いつから? それに俺は、あんたの事、知らない……」

「私は、黒竜の魂と呼ばれているもの」

「……こく、りゅう……?」

 惣一の脳裏で、目前の憂いの表情が、白竜の子孫であるという一華のそれと完全に一致した。

「私は、貴方の中にるの」




「……はじまったか」

 夜闇のようでそれは決して夜ではない。星の瞬きも月の仄かな光もここには届かない。宙では、気が遠くなる程莫大な霊力が大渦を巻いている。濃厚なそれを時々突き破っては黒く輝く巨大な鱗が流れるのが垣間見れた。

 一守一徹は飯沼本家の門前で一息吐くと額から滴り落ちる大量の汗を土埃の汚れと共に拭って、やれやれとその場に腰を下ろした。その身なりはぼろぼろだった。黒衣は汚れ所々裂け一見浮浪者のようだし、纏う霊気も普段のそれからすれば冗談のように儚く頼りない。衰弱したその様子は彼を八十一歳という実年齢以上に見せていた。

「数時間見ない間に随分老けたね、一徹さん」 

 無用心に砂利を踏む音の接近に、ようやく一徹がそちらを見上げる。

「……お主もそう変わらんではないか。何しに来たんヂャ」

 引き裂かれたブレザーに切り裂かれたシャツ。焼け焦げたネクタイの先に、擦り切られたズボン。体の至る所に傷を受け生地を真紅に染め上げた満身創痍の姿で、水戸光國がいつもの薄ら笑いを浮かべて一徹の隣に立った。

「何って……どうなったんかなって思って」

「どうもこうも」

 一徹は促すように景色を顎で指す。

 彼等の正面――闇の中に広がるのは荒野だった。

 数時間前までは確かに見慣れた街が存在していた。道路、電柱、住宅を囲う壁、家、そして公園、学校の校舎、至る所に存在していたであろう人間はおろか、犬猫の類まで何もかもが綺麗さっぱり景色から抉り取られていた。一体どれ程の範囲が地図上から削り取られてしまったのか、この暗がりでは把握できない。

「見ての通りヂャ」

「いや、圧巻だね」

 光國が右手を翳し感嘆を吐く。「巨人の使う重機が扇状に蹂躙してったって感じ」

 相変わらずふざけおって……と溜息交じりに呟く一徹。

「防いだ一徹さんも人間じゃないけどさ」

 片手を翳したまま、ぐるりと振り返る光國。一徹の背後――巨大な敷地に聳え立つ古めかしい日本家屋はその堂々たる外見を未だ保っていた。

「万一の為に飯沼本家及び内部の人間、特に白竜の力を濃く継いだ者達には傷一つつけてくれるなと、そういう依頼ヂャ。さすがにくたびれたわい」

「瑛サンが失敗、もしくは裏切った時の保険って事? そしたら依頼人は……」

「飯沼本家ヂャよ」

「お嬢なしでこの事態を予測してたっての?」

 眉を潜める光國に、「いンや」と左右に首を振る一徹。

「以前から飯沼は、心霊省に動きがあるとその都度一守に連絡を入れてきおったからの」

「さすがに用心深いね。そりゃまぁ一度でも一徹さんの力を目にしてりゃあ頼りたくなるのも当然かも。だって、この状況。目にしてもまだ信じられないさ」

「受け流しただけヂャ。あれ程強大な人外の力を防ごうなんつう大それた事、正気の人間ならハナから考えんわい」

受け流す(それ)が出来ないんだって。暗くて見えないだろうけどさ、この後ろも見事な廃墟が広がっちゃってるんだから。世界が滅びたみたいに静かだよ」

「なんヂャお主。暢気に被害を把握してまわっとったんか」

 呆れたと言わんばかりに声を上げると光國、まぁねと両手を後頭部にやって上機嫌の様子。

「病院を中心に、東側は嘘みたいに日常ぶじだった。西側は一筋残して壊滅。山も跡形なく削り取られた位だから、市の周りに張り巡らせてた心霊省の結界が無けりゃどこまで被害が及んでたかわかんないよ」

「一筋ヂャと?」

「十中八九、晶チャンが竜角で防いだんじゃない? ま、この状況じゃ竜角も取られて王手されちまったみたいだけど」

「晶、か……」

 二人は荒野の先に建つ、大きな建物――総合病院を見る。

「無事かのぅ」

「自分で送り出しといて」

「心の方ヂャ。竜角を握る為の鋼の心を保ち続けるあの子の支えはずっと竜角あに。生き甲斐にしとったのは、あにの夢を叶える事だけヂャったからの。双方をいっぺんに失った訳ヂャからして」

いびつだよねぇ」

「おぬしも人の事言えんヂャろが」

「ま、お嬢がいなくなったら俺っちもどうなっちまうんかわかんねーけどさ。でも晶チャンなら大丈夫なんじゃん?」

「根拠は?」

「同種の勘。ってか、そもそも晶チャン(おんな)って(おとこ)より打たれ強いでしょ」

「相も変わらずいい加減な奴よのぉ」

「じゃあ真面目に。竜角だけは扱える自信なかったんだよ俺。つか、竜角にだけは俺、使い手として認められないだろうなぁって。……つか、そういや一徹さんさ。竜駒巫覡の本当の使命、竜駒(りゅうかく)継承時に晶チャンに伝えてなかったんだっけ? 一徹さんが一番気にかけてるのって、そこじゃないの?」

「継承後に、瑛が(いちもり)を出て行く事は判りきった事ヂャったしの。(あのこ)の支えをそれ以上奪う訳にはいかんかった」

 一徹は渋い顔で唸った。

「竜駒とは、地に堕ちた黒竜の死骸をさらに切り刻んで、将棋の駒をモチーフに当時の飯沼(ふげき)が創った武守具。我々人は神への恐れから、黒竜おんじんを冒涜する行為で得た神力を持って神に対抗しようとした。竜駒巫覡とは本来、黒竜を復活させる(すくう)為ではなく、黒竜の復活を阻止する為に存在する。竜玉の護りが最優先事項となっておるのはこの為。竜玉は、竜の逆鱗で創られとるからの」

「本当は、玉だけでも手に入れさえすれば竜の勝ちだからね。竜駒巫覡を否定して掻っ攫った竜駒ごと天に還っちまう。竜駒を失うのは人にとって大損害だしそれに……単純に仕返し恐いもんね。竜の魂って執念深そうだし……性格も悪いとみた。なんせミコちゃんにとり憑くくらいだからさ」

 飄々と語る光國の横顔に視線だけを向ける一徹。

「……やはり、知っておったか」

「そりゃ俺っちだって一応関係者だかんね。幾ら物心つかない内に生き別れたっつっても、自分の親がどんな奴で何してるのかって、フツー気になるもんっしょ」

「お主はなんというか浮世離れしとるからの。一度も尋ねられんかったし。興味がないのかと思っていたのヂャが……なかなかどうして健全な子供(ガキんちょ)だったか。安心したわい」

「訊いて素直に答えてくれる人だったらそうしてたけどね」

「人聞きの悪い。知らせなかったのはお主のためでもあったのヂャぞ。それに、知ったお主が何をしでかすかわかったもんじゃない」

「え。危惧される程問題児扱いされてた訳? 俺っち」

「出来れば良い方にとってほしいのぅ。それだけおぬしに力があった、優秀ヂャったという事ヂャ」

「まぁね。それほどでもあるけどね」

 「呆れた子供(ガキンチョ)ヂャわい……」一徹のボヤきにへへっと無邪気な笑みを漏らしつつ、光國は病院を中心に渦巻く曇天を仰ぐ。 

「竜の魂は、これまでずっと竜駒(からだ)を求めて竜駒巫覡と戦ってきた。けど、人より遥かに強大な力を持つはずの竜はその度に封印されて戦いを強制終了された。いくら非力とは言え、相手は同一の神力を放つ竜駒を振るう巫覡だからね、そりゃやりにくいだろう。実体でなければ対抗出来ない事を悟った竜の魂は仮初めの身体に人体を選び、中に潜んで機会を窺うようになった。で、今期、竜の魂が選定した人体は御子柴惣一。御子柴惣一はこの世で最も霊力を持たない人間らしいからね。抵抗力がゼロに近かったのも理由の一つだろう……って、俺っちが調べる事が出来たのはここまでなんだけど」

「憑く時期が不味かったんヂャよ。黒竜は生後間もない御子柴惣一に憑いて、意図せずあ奴の容姿を造り替えてしまったんヂャ。生まれたばかりの赤ん坊の瞳が青く光り、髪は黒く一気に伸びきって、皮膚は黒く変色して硬くなり、とどめに背に鱗なんぞをこさえてみぃ。まるで悪魔憑きヂャ。親御さんが恐怖し放置するのも無理もない。結果御子柴惣一の母親は自害し、父親の気は狂ったと聞いておる。そして、入ったはいいもの赤ん坊故、自分で身動きが取れなかった黒竜は四方八方に霊障を発生させおった。そんな不気味な赤ん坊の噂を嗅ぎ付けて保護したのが飯沼一族。御子柴惣一の肉体に封印を施したのが飯沼に依頼された儂ヂャった」

「ふぅん。どおりでミコちゃんの精神体、晶チャンの水晶に収まったなと」

「一守の水晶球には代々の当主が霊力を込めておるからの。一守印の封印同士、引き合ってより強固なものになったんヂャろ。それに、お主の両親の功績も大きい。幼い頃から御子柴惣一の封印を日々強化しておった訳ヂャからして」

「俺っちの親って一徹さんの弟子だったんだろ?」

「左様。儂が彼等を御子柴惣一の護衛(かぞく)に選んだ。儂が御子柴惣一を引き取ってもよかったんヂャが、竜角を所持しておったしの。折角封じたものを、竜駒を近づけて目覚めさせてはならん。そもそも竜の魂を引き取ったとあらば、瑛がおとなしくしていまいて」

「俺っちをお嬢の護衛に推薦してくれたのも、一徹さんだよね?」

「知っておったか」

「さすがに、いくら優秀って施設から太鼓判押されたところでガキンチョを要人(おじょう)の護衛にしようとは思わないでしょフツー。おかげで退屈してた施設はこから出られたけどさ。何、罪滅ぼしのつもりだった?」

 問われ、一徹は後頭部をぽりぽり掻く。

「おぬしには全て筒抜けヂャのー。口止めしておったはずヂャが……如何なる非道な術で吐かせたか、あるいは覗いたか……」

「あ、それもう時効だからさ。考えちゃ駄目よ」

「ならば、小僧。お主の目的はなんヂャ」

「ん? 俺っちの?」

「すっとぼけておったが。お主にも心霊省から極秘に任務が課せられとるヂャろ」

「……まぁ、超優秀な俺っちに頼み事してくる奴は五万といるけどもさ」

「瑛からもか」

 あれって顔で一徹を見る光國。

「一徹さんには今回のカラクリ、バレバレだったんだ?」

 重々しく頷く一徹。

「三日前のある刻を境に、竜玉を中心にこの地だけがガラリと毛色を変えおった。気も精霊も安定せぬまっさらな空間……それこそ、この地だけが全く新しく創り替えられたようヂャった。探ってみると元の地も小さくではあるが異空間に存在しておった。が、徐々にその形は失われつつあった。このような馬鹿げた現象を引き起こすのは竜駒――それも竜玉しかあるまいて。なんらかの理由で竜玉が元の地を否定してしまったのヂャろうという事くらいは見当がついた。何かあれば飯沼や心霊省が動くヂャろうし、儂等には何の害もない。このまま放置しようと思っておったんヂャがの。あの日晶があ奴の精神体を連れ帰ってきた時はさすがの儂も驚いたわい。消え行く元の地を御子柴惣一の命と一緒に竜角が繋ぎ留めておったのヂャからの。結果、この地には今も二つの空間が存在しておる。これは完全に世界の容量食いヂャ。周囲の土地にも悪影響が出ておるな? 心霊省の目的は恐らく、楔となっておる竜角の霊力を払拭し、反転しておるこの地を元に戻す事。飯沼の嬢ちゃんも葬れて一石二鳥ヂャしな。その為に瑛を派遣し、監視と保険にお主を残した。不安定な空間に心霊省の数少ないエリート達を留まらせるのは得策ではない。それに、お主らだけで事足りると思ったのヂャろう」

「さっすが。腐ってもエリートだね」

「腐ってもは余計ヂャ。しかし解らんのは小僧、お主ヂャ。嬢ちゃんを守ろうと影で動いたり、瑛に挑んだり。どれも心霊省に対する裏切り行為。お主の行動は矛盾だらけヂャ。同じ心霊省の出のお前達が一度殺り合えばどちらかの死による終わりしかない事も、小僧が瑛に敵う事など万に一つもない事も分かっておったヂャろう。印場沼では数分もかからぬ内に決着が着いたはずヂャ。しかし、瑛は病院に移動し、どういう訳かお主は生きてここに戻ってきた。恐らく小僧。瑛に挑むと見せかけてお主、瑛とコンタクトを取りたかったのヂャろう? お主が生きとるのが何よりの証拠。今この時、嬢ちゃんを助けに行こうとしない事もな。互いの利害が一致した結果ヂャろうて」

「んーまぁ、概ね正解ってとこかな。別に俺っち、事の有様を全部聞かされてた訳じゃなし、一度瑛サンにガチで挑んでみたかったってのもあるし。今も高みの見物してるって訳じゃないよ? 一応やる事あってここに居るし。お嬢の所にはもう行かなくちゃだし」

「瑛の奴は、お主に何を託したんヂャ」

「何って」

 振り返って視界に入れた一徹の祖父の表情。その心情を察して光國は苦笑を浮かべる。

「……終わらせないためのもの、だよ」

 ズボンのポケットに入っているモノを握り締めて、決着の地を仰いだ。

「俺っち達はさ、ただ……人の夢(つくりばなし)続き(はっぴーえんど)が見たいだけなんだよな」

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