8
考えなんてなかった。
盾になるつもりもなかった。
つまりは無意識に彼女の前に飛び出した。
それ位、意識を取り戻した惣一が目にした光景は切羽詰った状況だった。
だから、わけが解らなかった。
死よりも絶望的な、己の消滅を確信させる程のあの光渦が、思わず目を閉じてしまったその一瞬で、一体どこへ消えてしまったというのか。
「……危ない……下がれ、ミコシバ……!」
満身創痍の少女が自分の後ろでか細い声を絞り出した。
ひょっとしたら彼女が、何かしら不思議な力で、また自分を護ってくれたのだろうか。
血だらけで、煤まみれで、見るからに痛々しい虫の息の少女が。
考えるだけでムカムカと腹が立った。どこにそんな余裕があるっていうんだ……っ
「おまえこそ下がってろ!」
頭にきた、その勢いで正面の男を睨んだまま怒鳴った。
「おまえ……私に怒っていたのではなかったのか?」
背後から困惑の声が返ってくる。俺が自分を庇った事が、よっぽど不思議らしい。
「ああ、怒ってるよ! 現在進行形!」
「なんだそれは」
「もっと自分を大事にしろっつってんの! 竜復活なら命厭わないだとかぬかして、そんな大怪我してぼろぼろになって……これじゃあ喧嘩もできないじゃないか!」
一瞬の間。
「喧嘩、だと?」
掠れた声が返ってきて、思わずそちらを振り返ってしまった。
いつの間にか立ち上がって細い肩を上下させていた血だらけの少女は、呆けた様子で自分を見上げている。……って、痛くないのか、おまえは。
「ああ、喧嘩してただろ俺ら!」
大きく頷いてみせる。「ひくほど大怪我してる奴が平気そうな面して突っ立ってんじゃねぇよ恐いから」瑛と対峙しながらじりじり後退して体を支えてやる。やはり相当な無理をしているのか、晶は差し出した腕にふらりと凭れた。触れた身体は見た目以上に小さくて細くて、頼りない。本当にこんな傷だらけの身体で、どうして立ってられるんだよ……。
自分は一体、どれくらいの間意識を失っていたんだろう。彼女はどれ位の間、俺や飯沼を護って一人、慕っていた兄と戦っていたのだろうか。それは一体、どれほどの孤独だっただろう。
「…………ミコシバ……?」
声に視線を落とすと、煤だらけの顔に戸惑いの表情を浮かべて自分を見上げている晶。
「私を、軽蔑したのでは?」
「けいべつって……」
どんな意味だっけ。急に問われて、ぱっと嫌なイメージしか出てこない。ケイベツ……あぁ、『軽蔑』。軽蔑か……。頭の中で単語を噛み砕きながら、心底不思議そうな晶の顔をマジマジと見る。
確かに、自分は彼女に、怒っては……いる。
飯沼を殺してでも竜を蘇らせようとかしているし、全部知ってて、それを俺に協力させるし。その為に、こうやってボロボロになってるし。理由も何も教えてくれないし。
……でも、多分、『軽蔑』とは違うと思う。
自分は多分……。
「…………」
ただ――
「……ミコシバ?」
急かされて、思考の渦内から現実に返った惣一は慌てて言葉を捜した。
「そ、そんなのよくわからないけど、俺……嫌いになるほどお前のことなんてまだ知らないっつの!」
惣一の搾り出した言葉に、晶は瞳を僅かに見開いた。
「…………それも、そうか」
呆けた表情で、それでも納得のいったかのように呟く。
どことなく間の抜けた彼女の様子に、惣一はどこか投げやりに、しかし力強く肯定した。
「そーだよ!」
「そろそろ、お別れは済んだかい?」
耳どおりのよい声にはっと正面を向き直る。瑛がこちらへ飛竜を構えていた。
力集まるそれは、真っ直ぐに惣一の胸を狙っている。
惣一の腕を払い、晶が竜角を構えようとした。が、地に着いた刃先は僅かに浮くかどうか。どういう訳か晶は竜角を持てないでいる。
「ほら、もうよせって! 自力で立ってすらいられない奴が、そんなデカい武器振るえる訳がないだろ! 無茶だ!」
「…………無茶でも……身体が動く内は……っ」
竜角を持ち上げようと全身を震わせて両の細腕に力を込める。苦しそうに表情を歪めながら晶は惣一の手を拒んだ。
「だから、なんでそこまでして……だぁあ、もういいっつの! あいつが狙ってるのは竜角だろ? もう渡しちまえよ、でないとおまえ、本当に死んじまう……!」
「嫌だ!」
止めようとして、竜角に伸ばした惣一の手を拒絶の意志をもって払う。
「一守……!」
「これしか……ないんだ!」
晶はガクガクと震える細腕で必死に竜角を構えようとする。
正面――瑛を睨みながら、晶は声を絞り出した。
「私には……これしかないから……!」
――自分は多分、ただただ、悲しいのだ。
そんなことしか言えない彼女が。
「一守……」
彼女が本当に抱えようとしているものは、違う。
抱こうとしているのは、きっと竜角じゃない。
「……!」
震える小さな手に、見かねた惣一が手を添える。
「ミコシバ……!?」
「一人じゃ無理でも、二人ならなんとか……!」
言葉尻と共に、腕に力を込める。二人がかりで竜角を持ちあげようとした、が。……やばい。竜角、見かけ以上に……とんでもなく重いじゃないか。例えるなら、鉄の塊――自動車的なものを持ち上げようとしている感じ。うんともすんともしない。どうやっても上がらない。こんなものを、今まで一守はぶんぶん振り回していたってのか……全くなんて奴だ!
「昨日会ったばかりなのに、君達は本当に仲がいいんだね」
声にそちらを視界に入れて、思わず惣一は呻いて仰け反った。
瑛の構えている飛竜という弓――自分を狙うその中心で、視認できる程圧倒的な神力が巨大な白渦を巻いていた。まるで、台風の天気図をリアルに目にしているようだ。その威圧感たるや。気を抜けば腰が抜けて二度と立てなくなってしまいそう。あれを前にして未だ直立している自分が奇跡の存在のように思えた。……実際には、身が竦んで動けないだけ、なんだろうけど。
「その姿は微笑ましいけれど……残念」
再び響く声に、我に返る。
白渦の中心――台風の目に、綺麗な青光が灯った。
「時間切れだ」
瞬間、一気に白渦が青く染まったかと思うとついに、巨大な神力――衝撃波が瑛の手から放たれる。
「畜生……っ」
惣一は竜角を手放し、バランスを大きく崩した晶に覆いかぶさった。
「ミコシバ! よせ!」
抱きしめる自分を振り払えない程弱い力で抵抗する晶。怒りとも悲しみともとれない彼女の必死の表情がすぐ目の前にある。大丈夫だから。安心させようと口を開いた直後、まるで新幹線が全速力で突っ込んできたような衝撃を背中に受けた。
「ミコシバ!!」
……だが、それだけだった。
「…………っ」
……痛くない。
…………。
……っつうか。なんで無事?
あんな異様なものが直撃したはずなのに、消し飛んでいない……だって?
不審に思った惣一は僅かに身を起こすと、恐る恐る瑛を振り返った。
瑛は飛竜を下げ、ただそこに佇んでいた。
穏やかに微笑んで、惣一達を眺めているだけだった。
「やはり、君には竜駒が効かないんですね。御子柴惣一君」
静かで不気味な――嵐の前の、夜の海のような笑顔。
「え?」
「最初に会った時もそうでした。僕の霊波で吹き飛んだだけで、竜駒の力は一切効かなかった。一応試してみたけれど竜眼も、全力で放った飛竜すら効かない。まぁ、予想はしていましたけどね」
やけに穏やかな声色は不安を齎しつつゆっくりと流れる。
「何の……話だよ?」
「もうすぐ解りますよ。……ここには全てが揃っているから」
「全てって……」
「状況は解らずとも感じているはずです。何せ君は、私の呪縛を打ち破って自力で起き上がり、竜駒の力を吸収して実体化を継続させる程の力を得ているのですから」
……呪縛?
実体化?
言われてみれば、晶が立つ事すらままならない状態に陥ってるというのに、自分は半透明に戻っていない。現にこの手は、晶に触れているじゃないか。
「けど、俺にはなんの力も」
「そうですね。君にはありません。だけど御子柴惣一君。君のご両親が、宮司が、飯沼家――竜玉が守っていたものが確かに在るんですよ。それはそれは、強大な力が」
微笑みと声色の不協和音が生み出す不安の影が、瑛のよく通る声を辿って徐々に濃くなる。
「俺の……親が?」
「君と君のご両親に血のつながりはない。そうでしょう?」
「なんでンなこと、知って」
「当然でしょう。君のご両親は元は心霊省の役員だったのですから」
「馬鹿言え。俺の親は平凡な……ただの指圧師だぜ? 仮にもしそうだったとしても、そんな事、一言も……」
「言う必要もなかったんでしょう」
濃厚な影が闇となり、徐々に正気を塗りつぶしていく。
「ある事情により君は、生後すぐに飯沼家に引き取られた。その飯沼家の申請で君の護衛兼養育係に抜擢されたのが今のご両親です。履歴も、存在すら偽ってね。本当は名も違う。実の子供と縁を切ってまで君の家族となって立派に育て上げたのですよ」
「…………冗談、だよな? それ……」
掠れた声が出た。
何故か、笑みを浮かべていた自分に気づいた。
「君の両親は、今は『ご旅行中』でしたよね。飯沼家からもらった『抽選券』で」
一際大きく響く鼓動とともに、脳裏に古いフィルムのように流れる数日前の出来事。
抽選券を自分に手渡した、一華の笑顔。
「………………うそだろ?」
「事実です。君の両親は『旅行』の期間が過ぎても二度と君の家に帰ってきませんよ。今日でお役ごめん。要するにもう『両親』は必要ないのです。だって君は今日、消失するのですから」
「やめろ……!」
濃厚な闇を切り裂く高い声がすぐ近くで響いた。
抱えていた晶が、懇願の表情で瑛を見ている。
「晶は黙っていなさい。彼にだって知る権利はあるだろう」
「だが……!」
「…………一守。何か知ってるの?」
声に俺を見上げた晶は、しかし、気まずそうに視線を逸らす。
「私は……」
「晶には少し前に――君が意識を失っている時に話したんですよ」
晶の声を遮って響く闇。
「彼女も寸前まで知らなかった。もし知っていたら君達の関係は違ったものになっていたかもしれませんね」
「どういう……事だ」
「君が、私達にとって重要なものを持っているという事です」
重要なものだって?
そんなもの自分は。
――やはり水戸の言っていた通り、ミコシバが関わっているという事なのだろう。
いつかの晶の声が、瑛を肯定するように蘇る。
「そこの彼女ですが」
ベッドを眺める瑛。釣られて惣一も寝かされている一華を振り返る。
「晶の言っていたとおり、まだ死んではいません。正確には、死に行く直前で時を止められたようなもの」
「どうして」
「止めたのは、晶。そして、竜角ですよ」
晶を見る。未だ竜角を手に瑛を睨んだまま、否定も肯定もしない。
「晶を問い詰めたって無駄ですよ。私が彼女を利用させてもらったのです。止める手立てはもう、なんにでも触れる事の出来る竜角しかありませんでしたからね」
「飛竜っての、持ってるじゃないか、あんた。確か一守が、それを使えば死んだ人を生き返らせる事が出来るって……」
「私が――竜角が止めたのは飯沼一華個人ではありません。世界そのものです」
「世界……だって?」
自分にはさっぱり訳のわからない話だというのに……これはなんだろう。
「言ったでしょう? この空間だけは現実。……正確には『だった』と付きますけどね」
「現実、だった……」
「そう。君が晶と出会ったのは、世界交代した後の世界です」
正気を侵食する闇の足音のように響く、早鐘のような鼓動。
「ああ。だから後ろに広がる焼け野原にも、一瞬にして命を失った者達に対しても気に病む必要はありません。だって、今から在るべき世界に戻すのですから」
至った闇で、弾けそうになったその時。
「……さぁ。そろそろ彼女に目覚めてもらわなくては」
瑛が竜眼を足元に置いた。鏡が発光する。
光の中から、天井に届く程巨大な水の塊が現れた。
「…………飯、沼……!?」
水塊の中に、瞳を閉ざした制服姿の一華の姿があった。
「飯沼……!」
駆け寄る惣一を、しかし瑛の発した霊波が吹き飛ばす。
「ミコシバ!」
壁に叩きつけられた惣一になんとか駆け寄るとなおも起き上がろうとする惣一を制して晶は瑛を振り返った。
「兄、これは……!?」
「空間を繋げて印場沼からこちらに移したのさ。この水は沼の泥水を飛竜が吸収して浄化したもの。つまりこの中に入るという事は、沼に入る行為に等しい。人はようやく、竜との約束を果たせるんだよ」
瑛が飛竜を揮うと、水塊から勢いよく水が溢れ出でた。恐ろしいスピードで室内が水で満たされていく。
「な、なんだよこれ……!?」
あっという間に水面が天井に到達する。慌ててもがくが、その内、苦しくない事に気づいて惣一は動きを止めた。
「当然でしょう。君は精神体ですから呼吸が出来なくても何の問題もない」
声に振り返る。青く光る飛竜を手にした瑛が制服姿の一華を抱えて正面に浮いていた。
慌てて周囲を見渡せば、先程までベッドに寝かされていた白衣姿の一華の体が浮いているではないか。惣一は慌てて彼女の元へ泳ぎ、漂う彼女の身体を捕まえた。
「どういう事だ? 飯沼が、二人……!?」
「兄の近くにいる飯沼は、先ほどまで我々と行動を共にしていた飯沼だ」
冷静な声に振り返る。
「……結界内で召喚する気か」
自身の周りに薄い空気の膜を張った晶が瑛を睨んでいた。
「現実じゃないと意味がないんだよ」
「意味がないとは?」
「私と心霊省の目的を果たすために必要な事なんだ」
「なんだと……?」
「心霊省もこの有様を元に戻したいそうだ。これは、そのために預かった力――」
縛っていた紐が解けたか、瑛の長く美しい黒髪が水中に広がった。
漂う毛先が、銀色に発光している。
「千日手のからくりはそれか」
「皮肉だね。私が家を離れる前はあんなに長かった髪を、まるで男の子のように短く切り落としてしまった君の代わりに、短髪だった私が長髪になるなんて」
「兄には関係……」
「ないというのかい? 本当に?」
一華を腕に晶の近くまで移動を果たした惣一。沈黙に、振り返って晶の顔を覗き込んだ。晶はばつの悪そうな顔で俯いている。庇うように、惣一は晶の前に立ち、瑛と対峙した。
「知っているかい? 御子柴惣一君。一つの強大な力がこの世界に存在する時、必ず対抗力も共に存在しているそうだよ」
「今度はまた何の話だよ」
「心霊省で囁かれている伝承ですよ。この世全ての存在には必ず対抗存在がいるのだと言われています。白竜には黒竜、といった具合にね。けれど、いるはずの白竜は今はその役目を成していません。大昔に身を裂かれ現存出来ない黒竜の対だから、白竜もまた存在できないということなのかもしれません。故に、この土地はいつまで経っても不安定なのです。そもそもここは出来てまだ間もない新しい世界ですから、管理者たる『世界の意思』も上手く機能していないのかもしれませんが」
「出来て間もない?」
「世界交代した、と言ったでしょう。日付が変わりましたから、ようやく創世三日目になった所ですよ」
「三日……? 三日前って……俺が事故った日じゃないか……」
呟きに、髪の毛の半分を銀色に染めた瑛は満足そうに頷く。
「あの時、晶は君を竜角で刺しました。おかげで世界交代した後、消えるはずだった元の世界は消滅を間逃れ、そこの飯沼一華の様に時を止めた状態で未だ留まっているという訳です。死に行く君とともにね」
穏やかな表情で惣一の困惑の様子を眺める。一拍置いて、瑛はゆっくりと告げた。
「飯沼一華の対抗存在は君なんですよ。御子柴惣一君」
「俺が……飯沼の? けど、俺には力なんて……」
「そうですね、君は無力だ。実のところ君はこの世で一番、力のない存在です。でもだからこそ、君は竜玉の対抗存在になり得る」
「そんな事言われても、意味わかんねーっつか……」
「でしょうね。君にはさっぱりでしょう。だから、こうしようと思うんですよ」
音もなく水中を竜牙が飛び、晶の身体を散々に切り刻んだ。上がる悲鳴に振り返った惣一が見たものは、漂う鮮血と、場に崩れ落ちる晶の小さな身体だった。
「一守!」
慌てて抱き起こそうとして、腕が晶の身体をすり抜ける。惣一はそこで初めて自分の体が半透明に戻っている事に気づいた。もう片方の腕で抱えていたはずの一華の身体も宙に浮いている。
「道理ですよね。晶の水晶を絶ってしまえば、幾ら外部から供給しようが無力な君は実体化すらできない」
声に見れば、晶が常に左手首につけていた水晶の数珠が切られて水中を漂っていた。きっと瑛を睨む。
「どういつつもりだ、あんた。妹にこんな真似して……一守はあんたを……!」
「妹の口からは過去形で出ました。今の晶にとって、私はただの柵でしかありません。ならばそんな感情はいっそ粉砕してしまった方が彼女の為だと思いませんか?」
「あんたはこいつの事、大事に思ってるんじゃないのかよ!? 子供の頃変な施設からこいつを連れ出したのはあんたなんだろ!? こんな危なっかしい奴、責任とってあんたが近くで見ててやれよ!」
「……君にそこまで話していたのですね」
惣一の言葉に、少しだけ瞳を見開いた瑛。
やがて、記憶を辿るように瞳を伏せる。
「晶をあそこには置いておけなかった。あのままいれば晶は駄目になってしまうと、彼女に告げられましたからね」
「彼女って」
「決まっているでしょう。竜玉ですよ」
瑛は腕の中の一華を視界に入れて薄く笑んだ。
「飯沼が?」
「成駒化し竜玉と混ざり合う事で、全てを否定する力を手に入れると同時に、本来備わっていた、あらゆる時代に在する自身と交心する力を目覚めさせた彼女は世界で唯一人、未来を正確に認識し操る事の出来る存在です。彼女は、晶を生かす為に私に接触したのだと思います」
「飯沼が、一守を生かした……」
「全てはきっと。君が死に行くのを止めるためですよ」
「…………どうして」
「君はつくづく、何にも知らないのですね」苦笑して惣一を見た後、瑛は再び視線を一華に移す。
「彼女はその強大な力を手に入れてからというもの、公平を保つため、己の望みを抱かないよう出来る限り人との接触を絶ってきました。人との出会いで人は変わってしまいますからね。良い様にも、悪いようにも。一族にもそう言い聞かされて育ったのかもしれない。そんな彼女が初めて自ら接触を望んだのは君だったのです。君が彼女の対抗存在だったからか、だから君こそが彼女の対抗存在となったのか。それは私には知る由もありませんが。そしてその力を持って、彼女は君の運命を知ってしまった。君が三日前の夕方。彼女のおかげで死に至ってしまう事も」
「飯沼の、おかげだって……?」
「三日前。君は使ってしまったのですよ。駒を」
向き直り、惣一の戸惑いの表情を見下ろす瑛。
「世は不条理。彼女も、君の存在も。だからこそ今ここで、私が全てを正す」
確固たる意志の言葉を口にする。
手にしたのは竜眼。向けられた竜眼の鏡から発せられた光が、晶の手から離れた竜角を包み、瑛の前に転送させる。
「これでようやく、全てが揃いました」
全てを銀に染めた長い髪が淡く発光する。
瑛の周りに、手に入れた全ての竜駒が浮かんだ。
飛竜。竜角。竜眼。竜牙。竜爪。竜尾。指揮者のように、瑛が両腕を広げると、これらはそれぞれ青、碧、金、黄、銀、赤色に輝く球体になり、それぞれの軌跡を描いて瑛の周りを飛んだ。
「御子柴惣一。君は思い知るべきなのです。無知でありながら彼女へ己を貫こうとする自身の罪を。彼女の闇――深い孤独と絶望を。そして、君と私との差を……」
「――兄、駄目だ……! そんな事をしては……っ」
甲高い、悲鳴のような声が耳を劈いた。
ただならぬ気配に意識を取り戻した晶が瑛に向かって手を伸ばす。
その銀に光る長い髪は、既に瑛のものではない。
球体の輝きを追っていた瞳が、声にそちらを向くと優しげに笑んだ。
「晶。共に施設にいた時から、私は君の事がかわいくて仕方がなかった」
それは晶の記憶にある兄の顔と同じで。晶の脳裏に一瞬で、瑛と共に過ごした全ての時間――その記憶が駆け巡った。
「本当の妹のように思っていたんだ」
耳にした言葉に一瞬、晶の世界が暗転する――それこそ、小さいが鋭い雷に身を貫かれたような気がした。
そこで始めて、晶は自分の奥底にあった小さな想いの存在に気づいたのだ。
「しかし、君を連れ出したあの刻から既に私達の歩む路は違えていた。私は竜玉に魅入られていたからね。宮司はね、それを見抜いていて、初めから君に竜角を継承する事を決めていたそうだよ。私もね、妹にならばかつての夢を託してもいいと思えたんだ」
寂しい響き。もうどうにもならないのだと、ひんやりとした現実に突き落とすその言葉に、晶は愕然とする。
「君を利用する形になってしまったこと。そして、君の路を曲げてしまったことを、どうか許して欲しい」
「兄……っ 聞いて、私は……!」
最後ににっこりと笑って、瑛は光り輝く六つの球体に向き直った。
『我、昇格を望む』
静かな静かな、力ある言葉に、それぞれの球体が爆発的な光を発し、瑛の体に次々と飛び込んでいく。
その度、銃で撃たれたように、瑛の身体が大きく揺れた。
「……瑛…………!」
晶の絶叫の中、全ての球体を吸収してそこに立っていた男は、最早瑛の身なりをしていなかった。
髪も皮膚も眼球も、全てが漆黒に染まっていた。
六つの竜駒の成駒化の果て。人間ではない、ただの駒。ゆっくりと顔を上げる。黒く染まった眼球に一筋の光が宿っていた。
「どうなったんだ……あれは……!」
「……兄ではない」
がっくりと項垂れた晶。
「成駒化してしまった者は、人でなくなる。もう……誰も届かない」
震える声で現実を紡ぐ。
「そんな、どうして……」
「それでも助けたかったのだろう。あの女を」
『竜角』
二人の正面で、黒男が低く唸って右腕を掲げる。と、雷を纏った右腕が碧く光り硬質化した。
「竜角……!?」
掲げた右腕をそのままに、男は傍らで瞼を閉ざしていた制服姿の一華に接近する。
「や、やめろ……っ」
「ミコシバ、よせ!」
水中を跳んだ惣一、伸ばした手が、一華に触れる瞬間、
『飛竜』
黒男の、水泡を纏った青く輝く左腕が発生させた大きな水流に巻き込まれ、惣一の体は水中を木の葉のように舞った。晶が漂っていた数珠を掴み揮う。
「――亀守!」
出現した半透明の何かが惣一の体を掴んで晶の元に引き寄せる。
「無事かミコシバ……!」
「っきしょ……っ」
飛ぶ寸前だった意識を奮い起こして惣一がそちらを見た時には、もう遅かった。
「…………!」
水中に漂う、鮮やかな鮮血。
一華の胸を、黒男の碧に光る腕が大きく裂いた。
「…………飯沼!!」




