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Trigger Point  作者: 群青 坊哉
3.雲蒸竜変
17/26

6

 ひっそりと静まり返った夜闇に沈む病院を前に、眉を潜めた晶。横顔を覗く惣一に視線を送るとコクリと頷いた。

「結界だ。それも、建物――いや、敷地全体を覆うほど強大な……」

「中に入れないのか?」

 晶は片手を伸ばして病院の敷地に入っていく。数歩歩いて、触れた感触に立ち止まった。

「そういう訳ではないようだが……中の空間が妙だ。違和感がある。…………竜眼か?」

「一守兄、印場沼に居るんじゃなかったのかよ?」

「水戸が戻ってこない事からして、そのはずだが。何故ここに仕掛ける必要があったのか……目的は」

 しばし宙を仰ぐ晶。ふと、惣一を見た。

「やはり水戸の言っていた通り、ミコシバが関わっているという事なのだろう」

 把握している限り、病院には惣一の体しかない。晶の言葉に惣一は困惑の表情を返す。

「俺何もしてないし」

「わかっている。だが、事実はこうだ」

 二人して、病院を睨んだ。その間数秒。

「どうする?」

「行くしかないだろう」

 晶は竜角を手にすると結界をぶった切った。

 正面玄関の自動ドアを手で押し開け、二人は暗い院内に侵入した。

「……いいのかな」

 きょろきょろと落ち着かない様子で闇を覗くように歩く惣一。一方晶は竜角をしまうといつものように大股でスタスタと歩を進める。

「いいも悪いもない。非常事態だ」

「……ですか」

 ため息混じりに呟くと、晶の後を追って非常灯だけが頼りのただっ広い待合室を歩く。機能を完全に停止したような無人の病院は無機質で暗くまるで生の感じがない。廃墟に紛れ込んだような感覚だ。少しだけ不気味に思えて晶の様子をちらっと覗くが彼女は臆した様子もなく、いつもどおりの無表情でスタスタと病棟へ向かう。

「なぁ、さっき言ってた違和感って今も続いてるの?」

 晶の言う違和感を惣一は実感する事が出来ないでいた。昼間のように死霊がうようよしている訳でもない。なんの変化もみられない。勿論罠も。

 暗い病棟はそれだけで不気味だったが、ただの病院。それ以上でもそれ以下でもない。

「確かに、陰陽のバランスは安定している……というか、安定しすぎていると言った方がいいか」

「しすぎているって?」

「印場と白羽……飯沼が管理している土地はそもそも、他と比べて異常だ。竜駒が発する神力の影響で空間の性質が乱れている。ちょっとした衝撃で……例えば、人の動作――呼吸をするだけでも陰陽のバランスが乱れる。その状態が常であるのに、病院内部ここだけ、そうではないのだ。私はともかく、幽体のミコシバが実体化して歩いても波紋が生じないのは、この地においては有り得ない事だ」

「それって、いいことなんじゃ?」

「そうだが……意味がわからない。わざわざ結界まで張ってこの病院を正常に保つ理由が」

 エレベーターの表示は一階で点灯している。

 ボタンを押すと電子音がしてすぐに扉が開いた。闇に慣れた目に痛い程明るい箱が現れる。車椅子の後方確認用に備え付けられた大きな鏡が暗い室内に佇む惣一と晶の姿を映し出していた。

 乗り込んで惣一の病室のある、四階のボタンを押した。間も無く扉が重たく閉まり、機械音と共にエレベーターが昇る。惣一は、操作ボタンの前に立つ晶の背を眺めていた。

「大丈夫かな。水戸の奴」

 黙っていると、どうしたって一華が居ると思われる向こうの様子が気になる。ぼそっと呟いた惣一を振り返る事なく晶が開口する。

「水輪の飛竜のみであれば土輪の竜牙に勝機はあったかもしれないが、金輪の竜眼をはじめとして、火輪の竜尾、月輪の竜爪を手にした兄に単独で挑むのだ。無事で済むはずがない」

 冷たい響きに、惣一は少女を凝視した。

「……わかってるのに一人で行かせたのか?」

「策があるようだった。もしかしたら勝ち負けではなく、飯沼を逃がす事が水戸の目的なのかもしれない」

 光國は一華の護衛だ。奴が一華の為に動くのは当然である。わかってはいるのだが……。

 小学生の頃から一華とともに居て、ずっと一華を護ってきた。それは、惣一の"立ち位置"を揺るがす事実だった。それで何かが変わる訳ではない。だが、まるで自分のいる位置にだけ巨大地震が発生したような感じだ。足元がぐらぐらして心許ないというか、居ても立ってもいられないというか。

 惣一が一華を好きになったのは……文字通り一目惚れだ。

 初めて会った時。早朝補習で嫌々乗り込んだバスの中で、ハンカチを拾って見上げた先に一華がいた。

 視界に入れた瞬間から……なんというか信じられなくて、目が離せなくなった。どこをどう見ても好きだと思った。浮かべた笑顔に、どうしようもなく惹かれた。自分だけの宝物を見つけたような気がした。

 翌朝から同じ時間のバスに乗って、彼女を探し続けた。そわそわしては落胆する、浮き沈みの激しい日々が続き、そうして翌週の月曜日の朝、バスに乗り込んできた彼女の姿を見つけたその瞬間、予感は確信に変わった。居ても経ってもいられなくて自分から声をかけた。名前を覚えてもらうと舞い上がってどんどん会話を続けた。話すようになるともっと笑顔が見たくなって笑い話を仕込むようになった。おかしいくらいに彼女に執着した。こんな事は初めてだった。

 光國はそんな彼女と毎日を共にしていたのだ。自分が彼女を見つけるもうずっと前から。

 おかしいだろうけど、自分だけだと思っていたのだ。女子校育ちで、どこか人を遠ざける雰囲気を放つ彼女は――そりゃこれだけ神がかった容姿だ。モテるのだろうけど――仲の良い男なんていないと、馬鹿みたいだけど思い込んでいたのだ。

「……水戸ってさ。やっぱ」

「なんだ?」

「いや、なんでも」

 好きなのかな。飯沼の事。

 女々しい感じがして、言葉を飲み込んだ。そもそも、こういう自分は嫌いである。他人には見せたくなかった。

 飯沼と会ってから、自分はどんどん情けない奴になっていく気がする。

 っていうか、知らなかった。自分にこんな面がある事。

 軽快な音と共にエレベーターが開いて、内に入り込んでいた惣一を現実に引き戻した。

 ……考えるのはやめよう。いくら想像したって仕方ない。今、自分には一華を助ける術がない。部外者だったのだ。認めて飯沼の無事を祈って、水戸を信じよう。もう、嫌な自分が出てこないように。

 改めて直視した正面のナースステーションには、明かりこそ点いていたが人っ子一人見当たらなかった。なるべく音を立てないように横切って、惣一の体のある病室へと二人で急ぐ。

「巡回に行ってたりするのかな。ばったり鉢合わせしたら追い出されそうだな」

「面会時間外で、鍵を竜角で破壊した後の不法侵入だからな。当然だろう」

「自覚あるんだ。銃刀法違反」

「……ミコシバがあんまりしつこく咎めるからな」

 俺言ったっけ? と考えて、はたと答えに辿りつく。心中が丸聞こえだったんだっけ。

「病院のスタッフと鉢合わせしたらどうする気だよ?」

「気の毒だが、眠ってもらうしかないだろう」

「平然と」

「仕方があるまい。水戸ならばもっとうまくやるだろうが、生憎私は結界を張るのが上手くないのだ」

「なら、一守は何が得意なの?」

「……斬る、事くらいか」

「…………」

 惣一の視線を受けてか、心中を読んだか。晶は気難しそうな表情で僅かに惣一から顔を逸らした。

 後方のナースステーションから漏れる光に照らされて、黒い髪の隙間から覗く赤く染まった耳が目についた。




 個室の扉には面会謝絶の札が仰々しくかけられていた。

 確か、今日行われた検査結果に異常が見つからなければ明日にでも一般病棟に移されるはずだった。このタイミングはありがたいかもしれない。個室であれば、一守兄妹がドンパチやっても無関係の人間が巻き込まれる事は……ないと、思う。多分。じゃんぼの有様を思い出して徐々に自信がなくなる惣一。だって、恐らく兄が気を遣う訳はないし、妹の方は結界とやらが苦手ときた。あの時大惨事を防いだ結界を張ったのは、不在である水戸と一守爺だ。

 躊躇なく晶は扉を開けようとして、さらに顔を顰めた。

「また結界か」

「今朝はなにもなかったのにな」

「準備が整ったという事かもしれん。どちらにせよ、こちらの行動は読まれているという事だ」

「……罠か」

「下がってろミコシバ」

 竜角を手に一閃すると誘うように僅かに開いた隙間。とってに手をかけ引き戸を全開にし晶を先頭に、室内に足を踏み入れる。

 惣一の命を繋いでいる精密機械の音が止んでいる事を不審に思う前に、室内を漂う独特な匂いが鼻腔を擽った。

「……線香……?」

 廊下から漏れる弱々しい光を頼りに匂いの発生源を確かめようと見渡した部屋の様子が、今朝見たものとまるで違っていた。

「…………ここって」

 音がしないのは当然だった。精密機械など、この部屋には必要ない。

 線香の煙が細く棚引く四角い室内の中央に、白いシーツで覆ったベッドが一つ置いてある。

「……部屋違う? 間違えた?」

 晶はぶんぶんと首を横に振る。

「位置は間違いない。だが、空間を弄られたかもしれない」

「弄られたって……でも、これじゃあまるで……」

 ――霊安室じゃないか。

 言い終わらぬ内に、晶は首を縦に振って肯定した。顔を顰めている。

「無数の死者の気配が入り混じっている。ミコシバ、それよりあれは……」

 線香の置かれた台の前に設置されたベッドに歩み寄る。白いシーツにこんもりとした膨らみ。誰かが、寝かせられている。

 しっかりとした生地の白い布が一枚、顔面を覆い隠していた。

「うそだろ……これ……」 

 自分の病室だった場所に寝かされている白に包まれた人物。

 青い顔で僅かに後退した惣一を横目に、晶が布をとる。

 そこで寝ていたのは――

「い、飯沼……!?」

 二人は目を見張った。

 飯沼一華は白肌をさらに白くさせて無機質な蝋人形のようにベッドの上に横たわっていた。

「飯沼……! 嘘だろ!?」

 真っ白になった頭に熱い何かがぐわっと駆け上がる。

 金縛りを解いた惣一は息をするのも忘れて彼女の体に駆け寄った。

「飯沼! 起きろよ、飯沼!」

 何度名を呼んでその体を揺すっても起き上がる気配は一向にない。長い睫毛が縁取る大きな瞳は硬く閉ざされたままだ。

「飯沼、起きろって……頼むから……!!」

 冷たく硬い感触。生きている感じがまるでしない。これじゃあまるで……無じゃないか。沸き上がる恐怖で顔が引きつる。

「……嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だろ……こんな、こんなのって……!」

 ほの暗い絶望で思考が真っ黒に塗り潰される瞬間。脳に絡みつく線香の煙を払うように、惣一は両の拳でベッドを思いっきり叩いた。

「無事だって、言ったじゃないか! なんで、なんで飯沼が、こんな…………!?」

「違う、ミコシバ、これは……!」

「それが現実だからですよ」

 穏やかな声に振り返る二人。

 戸口ににこやかな表情を浮かべて瑛が立っていた。

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